治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

構造化原理主義

2013-11-28 11:25:05 | 日記


昨日、佐賀のちゅん平からお肉をいただき、昔のことをいろいろ思い出しました。

ちゅん平は支援のおかげで、家族が人間だとわかるようになりました。
詳しくは「自閉っ子的心身安定生活」に書いてあるけど
視覚支援と構造化の賜物ですね。

ここまではよかった。

ところが、自立支援プログラムが奏功しないうちにどんどん精鋭化していき
構造化原理主義になっていきました。
絶対に親元に帰らないこと。連絡も取らないこと。
なんの権利があるかわかりませんが、支援者はちゅん平にそう厳命しました。
律儀なちゅん平は冬になっても親元に連絡できないので
衣替えもせず寒さに震えていました。

自閉っ子の生体エネルギーを重視せず、自閉という特性を備えた特別な人間扱いするということが専門性なんでしょうかね。
私にはただの専門バカが支援の名の下に人権侵害しているように見えました。
支援者というだけでそんな非人間的な要求を真顔でするなんて
どこの封建制度だよ。


今はわかります。ていうか理論武装できます。
あのやり方は間違いだった。
ようやく親が人間だとわかり始めたちゅん平には、子ども時代をやり直すことが必要だった。
だから支援を切って、親元に帰ったからこそ、ちゅん平は自立に近づくことができた。
神田橋先生、愛甲さんと出会った今はそれが説明できます。

自閉っ子だってね、人間なんです。
早寝早起き朝ごはんとか、愛着とか、そういう人間としての健やかさがあっての療育や支援でしょう。
そこをすっ飛ばしても効果が上がらず
けれどもそういう養生の部分をトンデモとバカにし
「一生治らない」と当事者を固定資産にする。
これがギョーカイと猿烏賊、すなわち治らない同盟の基本的戦略ですが
実にマッチポンプですね。

理解力のない人のために念のために言うと、私は構造化を否定するものではありません。
でも構造化原理主義者が見逃していることがあります。
それは
一治障害は治癒するっていうことです。

そして専門バカが見逃している治癒力が二つあります。

一つは本人が持っている治癒力。
そしてもう一つは
ギョーカイの外の一般社会が持っている治癒力です。
支援者はこの二つの力が発動するまでのつなぎの場を作るのがお仕事なのではないでしょうか。