夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

新緑、新芽  昨日のドライブの続き

2007年04月15日 01時06分50秒 |  あなたの鼓動、華
昨日の花やダイサギ、ウインドサーフィンに続き、またまたでました新緑の写真。
嫌われるのが判っているのに懲りない私。



千葉は早場米の産地なのだそうです。田んぼには水か引かれ、田植えが終わったものも結構ありました。






できないくせに、あの新緑の輝きを写真に収めようとしたがるのですよね~





でも、いいわけじゃないけど、この新緑の輝きには呆然とする思い。
それが定着できないのが悲しい、、







ダイサギ  いすみ市岬にて

2007年04月14日 21時07分34秒 |  写真
今日のドライブの途中ダイサギを2度みました。
一度目は撮れませんでしたが、2度目はなんとかシャッターを切れました。
ちなみにトップ画像の羽のJALみたいな模様は、自分の首が映っているのじゃないかと思います。










今日の写真は失敗写真。あえて失敗写真も入れておきます。
師匠、、やはりキャノンの手振れ防止の400が欲しいです。飛んでいる鳥もセンターで捕らえていますけど、ぶれてる、ピントも合ってない、露出もあってない、、、泣いています。
師匠、一枚目の最後は師匠が取りたいといっていた離陸の体制で水をはねているダイサギ、

他のは鳥をセンターで捕らえているけど、ぶれ、ピントや露出があっていないものです。 世が世であればいい写真だったのに、キャノンの400、欲しいよ~







いすみからの花便り

2007年04月14日 20時04分37秒 |  あなたの鼓動、華
昨日から千葉県いすみ市岬へ来ています。
今日は曇りかなと外出を諦めていましたが、雨は夜のうちに上がり、朝には太陽が出てくれました。
絶好のドライブ日和ということで、いすみ市とその周辺を回ってきました。
ここには花の写真を中心にアップしておきますが、チュウサギやウインドサーフィンなども撮りましたのでそれはまた別な日記で。

今回の岬行きで一番楽しみにしていたのは入り口の桜です。東京はもう終わりましたが、ここは東京より少し遅い、それにこれは八重桜なのでまた遅いのです。ですからちょうど良いくらいじゃないだろうかと期待していました。
そして期待にたがわず、家の入り口を飾る満開の桜を見ることが出来ました。





庭には全く手をかけないでそのまま放置していたにもかかわらずいろんな花が咲いています。







もちろん雑草もね。


           右のタンポポの花の上にいる緑の虫はなんでしょう?

これはからドライブ途中で見た花々
早春から初夏にかけての花が咲き誇っていました。






















反日世論、、先ほどの小泉元首相の発言に続いて

2007年04月13日 10時58分40秒 | 芸術・文化
 
たった今、小泉元首相の意向という記事に対して、表面的なものの見方だけでは真意が伝わらないかも、あるいは利用されるだけかもって書いたけど、これもそれの引き続き。

原爆の記事に関しても、例えばアメリカ政府に公的な話を聞こうとすれば、核兵器へのネガティブな反応が返ってくるだけ。だからといってそれを鵜呑みにして行動を起こすと、表に出にくい国民感情の底辺にぶつかってしまうことになるかもしれないことは昨日書いた。

日本だって、ロシア人を目の前にして、悪口を言える人はそんなにいないかもしれない。でもたくさんの人が抑留や、その後のロシア政治のあり方で、懐疑をもっていることも事実。でも公的な発言や、記事にはそれはでてきにくい。

まして中国は長い言論統制の歴史を持っていて公的にでてくる記事が政府や、政治家への思惑を持って書かれていることが多いのは承知の事実。でも鬱積した国民感情がWebへの投書ででてきているのでしょうね。

問題はここから;
ところが日本の政府に限らず、どこの国でも、その公的な発言や発表しか評価されない。外交官が送る報告書でもなになに新聞の記事とか、政府や党のだれそれの発言とかをまとめるのが主。国民感情はそれに反対していますなんてかいても、誰がそういった、貴方の個人的な主観ではないかで、なにも評価されない。それどころか個人的な感情を入れすぎるとして出世街道から引きずりおろされるのがおち。

たしかに、これらは自分の持っているネットワークや、置かれている環境で、間違いの情報を掴む確立は大きいけど、でも少しはそれにも注目をしておかないと、舵取りを間違うと思う。

個人的な話だけど、西欧人は日本人に比べて論理的って言われる。日本人はその部分感性に長けているとも。
だからこそ、私は神秘主義の展覧会をやってみたいと思った。
西欧人の底辺に流れる、論理以前のどろどろしたもの、彼らだって人間だよな~と思われるもの、それをわかっていないとその上に立つ論理は理解できないだろうと思う。

でも自分自身だって、自分の行動を表面だけで判断し、理解することが多いのかもしれない。その行動の奥底にある本当の自分の気持ちは判っていても蓋をしてしまうこともある。
毎回毎回失敗した。失敗の原因は自分でも考えています。
でも、全部がタイミングが悪かった、相手が悪かった、、じゃない、なぜ、そこでそれをやろうとしたかの自分の奥底の気持ち。そこまで行きつかないと、自分自身はわからないし、人や国民を理解する事も出来ない。(もっとも、そこまでする必要のある関係ってそれほどないかもしれないけど)

と、ここまで来ると、「公的な」意見の評価の問題ではなくなってしまいますね。





対日友好ムードのメディアVSネット掲示板には反日世論(読売新聞) - goo ニュース

小泉前首相は安部首相を批判?  ものの見方

2007年04月13日 10時20分41秒 | 芸術・文化
今日の毎日新聞の記事に;

<小泉前首相>参院補選は沈黙 何もしないが一番の応援!?

 参院福島、沖縄両補選を前に、小泉純一郎前首相が水面下の応援要請をすべて断り、沈黙を守っている。同氏周辺は「小泉が動けば安倍晋三首相と必ず比べられる。何もしないことが一番の応援」と話しており、自らテコ入れに乗り出す首相への配慮もあるようだ。
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というのがでていた。


この記事が正確だと仮定してのお話ですけど。物の見方、言い方って凄く面白いですね。

>何もしないが一番の応援!?
>同氏周辺は「小泉が動けば安倍晋三首相と必ず比べられる。何もしないことが一番の応援」

こんなことが書いてあります。

記事の全文を読むと、小泉さんは自分の評判が悪すぎるので、その自分が安部支援に回れば、安倍さんが困るだろうと言っているわけではない。

ということは、

安倍さんの評判が悪すぎるので、自分が出て行ったら、余計に事態を悪くするだろうといっているのですね。
つまり安倍さんを評価していないってことの裏返しではないですかね。

記者さんは言葉の表面だけを見て、小泉さんが安倍さんを消極的に応援しているということを言いたいのかもしれないけど、
ならこの時期になぜ周辺を通じてそんな「消極的」な態度をしていることをリークしてくるんだろう考えるのが普通の考え方じゃないかな。
安部さんへの嫌悪感、でも党人としてそれを表に出せないというような記事が出てくれば面白いのに。

知覚の衰え

2007年04月12日 15時33分11秒 |  姥捨て山は大騒ぎ
母と一緒の生活をしてみて、改めて感じたことがある。

それは母の耳が聞こえなくなっているということ。
全体が聞こえないのではなく、高い音が聞こえないようだ。

家の中にはさまざまな電化製品がある、電話機やファックスなどもそうだけど、台所にも炊飯器やレンジ、ポット、そのほか洗濯機、掃除機そのたもろもろ、それにガスや煙の検知器などもある。
これらの多くが高い警告音とか確認の音をいろんなステップで出す。ご飯が炊けたとか、レンジの加熱が終わったとか、、、例のピッ、ピッですよね。

隣の部屋にいて仕事をしていて、その音が聞こえていってみると、その部屋にいる母には聞こえていないのに気がつく。

母がテレビを見ているときには普通の音量で聞いているし、話をするときにも特に声を上げる必要はない。だからこちらは母には耳の衰えがないのかと思っているから、それにちょっと吃驚したり、いらいらしたりする。

それより怖いのは、母が自分の聴覚の衰えに気がついていない。
普通に聞こえているから、一部の音が聞こえなくなっているのには気がつきにくいのはわかる。

以前、どこかのテレビで、自転車のベルの音が老人には聞き取りにくいということで老人が聞こえるような音を再現していたけど、ベルの音は本当に聞こえなかった。
だから頭では理解していたはずなのに、自分の目の前の母がそうだとはわからなかった。普通に話をしているのだし。
一部の家電メーカーではこのことに対応した製品を作っているようだけど、母の様子を見ていると家にある製品でこれに対処したものはないようだ。

車を運転していて、案内標識や、信号の(特に)矢印が見えにくい。これはすぐに自覚できるけど、視野角が狭まっている、見ているものが意味のある信号として脳に伝えられていない(赤信号や道の端を走る自転車を目には入れていても、そのまま走ってしまう)こんなことは実は自覚するのが非常に難しい。

あるいはこんな場面で衰えが顕著ですという話を聞いて頭に入れていても、それが必要な場面ではそんなことは頭の隅から消えている。それが高齢者の衰退。

呆けも全体できて、後戻りしないで進行するのであれば、対処はまだやりやすいかもしれないけど、全体的には問題ないように見えて、あるとき、ある部分が欠落したり、知覚が衰えたり、その分野も進行状況もまだらになって、あるときには正常になっていたりする。

京都の認知症の母親を殺したケースでも、母親が生きていけないのだから殺して頂戴って言ったというのを、認知症の人がそんなことを言えるわけがないという反論があった。でも認知症でもその部分は正常かもしれないし、あるいはそのときには正常に判断できたかもしれない。そこが問題なのですね。

高齢者の割合がどんどん増えていく、そうした社会でこれらの自覚されにくい知覚の衰え、運動機能の衰えに、社会がどう対応していくべきかもっと考えられてもいいのじゃないかと、母の後を追いながら考えている。



戦争の、そして武器の恐ろしさ

2007年04月12日 14時31分47秒 | 日記
被爆者の一人としてあえて話をすれば、長崎や広島の原爆反対の動きは、原爆が悲惨なものだからよしましょうというPRの方式をずっと変えるつもりはないようで、これではいつまで核兵器反対を唱えてもそんなに効果があるとは思えない。
私はむしろ、場合によっては逆効果、原爆投下を肯定する感情を植えつけているかもしれないと思っている。

このようなときに私がいつも口にするのは、アメリカ人はあのときの原爆投下をこれ以上の犠牲を防ぐための必要悪として肯定しているし、武器を使用するのだから、味方の損傷を少なくして、相手により大きな殺傷力を与えたのであれば、正しい選択であったとしか考えていないということ。アメリカで生活をした人なら、このような考え方が彼らの底流にあることはいろんなところで感じたはずだと思う。

日本の反対論者たちも、原爆展をスミソニアンで開催しようとしても、在郷軍人会などからの反対で出来なかったことなどを見れば、このような考えがアメリカ国民の感情の底辺には流れ続けていることを知っているはずだと思う。

自分が苦しい思い、悲しい思いをして、だからそれさえ訴えれば、皆が判ってくれるだろうと思うのはあまりにも甘すぎる考えだと思う。

武器という点だけで見れば、自分の危険を極力少なくして相手により大きなダメージを与えるものが優秀な武器なのだから。
だからこそ、生物兵器やその他の化学兵器が毎日研究され、生産され、軍隊にベターな武器として供給されているのだ。
原爆の恐ろしさだけを訴えることは、むしろ相手にとって自分は効果的な武器を使用したとの思いを新たにするだけだろう。

武器は手段であって、戦争とそれによって起こされる国民感情そのものが非人道的な行為を肯定したり、否定したりもする。
もっと違った観点から、感情論ではなく、もっと理性に訴えられる核兵器や大量破壊兵器反対の動きはないのだろうか。





国連でヒロシマCGを上映 「日常」と「地獄」再現の映画(共同通信) - goo ニュース

家の子のことが心配で、心配で

2007年04月12日 12時24分20秒 |  写真
センセ、聞いてください。家の子、ご飯を食べにも降りてこないで、寝床に入ったままこちらを見ているばかりなんです。赤ちゃんでもできたのかしら?



多摩川河川敷の土鳩もこんな行動をするのがいたのですけど、でもあちらさんは大勢で生活しているでしょう?いろいろありますよね。



でも、家の子に限って、品行方正、何時も一人でいたのですよ、、、
どうしたんでしょうね~



公子行  劉廷芝

2007年04月12日 01時50分46秒 |  漢詩を長崎弁で
さっき久しぶりで漢詩を長崎弁で訳していたら、何となく疼いてきて、もっとやりたくなってきた。「公子行」(劉廷芝)の前半部分。ここまでが男のパートじゃもんね。


公子行
   劉廷芝(劉希夷)
天津橋下陽春水
天津橋上繁華子
馬聲廻合青雲外
人影搖動波裏
波蕩漾玉爲砂
青雲離披錦作霞
可憐楊柳傷心樹
可憐桃李斷腸花
此日遨遊邀美女
此時歌舞入娼家

                       
天津橋下 陽春の水
天津橋上 繁華の子
馬聲廻合す 青雲の外
人影搖動す 波の裏
波蕩漾(たうやう)として 玉を砂と爲し
青雲離披(りひ)として 錦を霞と作す
憐む可し 楊柳傷心の樹
憐む可し 桃李斷腸の花
此の日 遨遊して 美女を邀(むか)へ
此の時 歌舞して 娼家に入る

橋の下には春の水が流れ
橋の上には貴公子の姿
馬のいななきは天まで届き
緑の波に人の影が揺れる
緑の波はゆらゆら、川辺の砂は宝石のように輝いている
青雲は広がり霞は錦のよう
柳の新緑は春の思いを揺さぶる
春の花は心を動かす
たまらんばい。姉ちゃんを探して
姉ちゃんと歌い踊りに繰り出そう



昔は良かったね~
今じゃそんな元気はなかとばい~ (泣)

田家春望   高適 

2007年04月12日 00時56分53秒 |  漢詩を長崎弁で
さっき、Mixiで李白の詩を引用されたので、お返しに私の現状として、これを返しました。


田家春望           
    高適 


出門何所見
春色滿平蕪
可歎無知己
高陽一酒徒

田家の春望    
門を出でて何の見る所ぞ
春色平蕪に滿つ
歎ず可し知己無きを
高陽の一酒徒


門を出たら何が見ゆる?
あたり一面春の色
この辺じゃわしんことをしっちょるもんはだ~れもおらん
ただの高陽の酒飲みたい

ボクちゃん親切
高陽、、、ある軍師が高祖に会いに行ったと、そしたら取次ぎの人が儒者には会わんと言ったとよ。それで「わしは高陽の酒飲みたい」って言ったそうな。