『 校長や教頭になったものの管理職でいることに疲れ、自ら教諭などへの降格を選ぶ「希望降任」が増えている。文部科学省www.mext.go.jp) の調査では昨年度、全国の公立小中高、特別支援学校で計223人と過去最多を更新。2006年度(83人)から3年で2.7倍に増えた。 内訳は校長から9人▽教頭・副校長から90人▽主幹教諭から121人など。理由は健康上の問題が48%▽職務上の問題26%▽家庭の事情25%。 最も降任が多い「主幹教諭」は学校教育法の改正で08年度に新設されたポスト。教壇に立ちつつ校長や教頭らを補佐し、教諭に職務命令を出せる職だ。中間管理職として校長らと教員らの板挟みとなり、ストレスが多いと指摘される。06年度には今の主幹教諭に当たる中間管理職の希望降任は12人しかいなかったが、3年で10倍に増えた。 東京都内の小学校に勤める40代男性教員は「幹部候補生になって」と校長に励まされ、主幹教諭になった。 しかし仲間からは「雲上人になったね」と言われ、本音が聞けなくなった。しかも授業を担当しながら、副校長が担いきれない書類作りや来客への応対も任される。「まるで管理職の下請けだった」 毎晩残業。持ち帰り仕事も倍増し、体重も10キロ近く落ちた。「自分は子どもと向き合うために教員になったのではなかったか」。眠れない夜が続き、希望降任の道を選んだ。 副校長からの降任を選んだ都内の50代後半の男性中学校教諭は、「副校長は校長よりはるかに忙しい」と話す。 朝7時には学校に着いて事務処理の決裁。生徒が問題を起こせば担任と警察へ。保護者の苦情、地域の行事……。 記念行事を前に、カップめんをすすり校長室のソファで寝る日が続いた。家族に「目の焦点が合っていない」と言われるようになる。週明けの月曜、布団から起き上がろうとして立てなかった。病休に入り、迷わず降任を申し出た。「あのまま続けていたら過労死していたかもしれない」』 2010年10月30日19時16分アサヒコム
以前は、学年主任と副主任は職員会議で決められていましたが。、今の主任教諭から40代の初めで教頭職に昇進し50代で校長職になるのが学校の先生の出世街道で、校長職で無事定年を迎えないと再就職口、私立学校が再就職がないと言われていました。降任の内訳は校長から9人と教頭・副校長から90人、校長の教員の板ばさみになる教頭職は健康を害する人も多意と言う現実です。教頭職から降任した人が昭和50年代でもいましたが、今程多くなかったと思います。教育現場に『主任制導入』の反対運動が起こり反対されましたが。校務の仕事が増えて、教員間の仕事でも乖離が起き、教員間の対人関係も悪くなったのでは働きにくい教育現場になり、余計に精神的ストレスが掛かり精神的にも肉体的にも疲れてしまうのではないでしょうか。学校の職員会議で教員間で自由に意見を言い話し合う学校でないと子供達や保護者の期待に応えることの出来る学校にはならないと思います。今後管理職になるよりも定年まで、表現が悪いですが平教員、一般教員として定年まで平穏に勤務する方が、徳、自分の健康にも精神的にも良いと思う先生が増えて、管理職への成り手が少なくなるのでは有りませんか。今後過労死や健康を害するよりも定年まで、無理をしないで学校に勤務したいという先生が増えるのでは有りませんか。昭和50年代初期の頃のように荒れている中学校に赴任し、生活指導の長年の経験を生かし腕を振るい、荒れている中学校を治めたような名物校長が今後現れないかも分かりません。これからの学校の管理職は、校長や教頭や主任教諭は強い精神力と体力の持ち主で無い勤まらない加重勤務の教育現場になっているのでは無いかと思います。
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