教育カウンセラーの独り言

今起こっている日本の教育の諸問題と受験競争の低年齢化している実態を見据えます。

原発避難、どこへ 飯舘の高校、決まらぬ移転先

2011年04月29日 14時18分17秒 | 受験・学校

2011年4月29日2時52分アサヒコム

写真:移設先が決まらない相馬農業高校飯舘校。校庭では高い放射線量が計測された=24日夕、福島県飯舘村、川見写す拡大移設先が決まらない相馬農業高校飯舘校。校庭では高い放射線量が計測された=24日夕、福島県飯舘村、川見写す 

『 福島第一原発からの避難区域で唯一、行き先が決まっていない県立高校が移設先を巡って揺れている。計画的避難区域になった飯舘村にある福島県立相馬農業高校飯舘校。移設は避けられないが、村には今も転居先が決まらない多くの生徒が残る。最適な場所を求めて県教委は頭を悩ませる。  同校は24日、保護者会を開き、どこに学校を移すのがいいか意見を聴いた。候補に挙げたのは、東北線の駅に近い福島市内の高校や、寮のある県中部の高校など。生徒や家族が県内のどこに避難しても比較的通いやすいからとの理由だ。  会場から質問や要望が次々に出た。「緊急時などを考えると親元から通わせたい」「経済的な負担は」。同校によると、「村役場や学校の行き先が決まらないと、住民は引っ越し先を決められない。行き先は学校側で決めてほしい」との意見も寄せられたという。  同校は1949年開校。元々あった農業科や家政科は廃止され、普通科の中に進学、福祉、農業を意識した3コースを設けた。生徒計81人の8割が村の子で、今も多くが村内に残る。  震災後、学校は原発事故に振り回されてきた。3月15日に原発から20~30キロ圏内は屋内退避区域に指定されたが、学校は圏外。そこで一度は4月21日再開と決めたが、4月11日に村全体が計画的避難区域となることが明らかになり、断念。再開どころか避難せざるを得なくなった。  県教委は、避難区域内の高校は他校に間借りする「サテライト」方式で学校を再開する方法を採っている。相馬農飯舘も同じ方式で隣の川俣町内で再開することを検討した。しかし、町内の学校施設には余裕がなく、適当な間借り先は今も見つからない。離れた地域にも選択肢を広げて検討を続けている。 』アサヒコム

福島県教育委員会は、避難区域内の高校は他校に間借りする「サテライト」方式で学校を再開する方法を採っている。相馬農飯舘も同じ方式で隣の川俣町内で再開することを検討した。しかし、町内の学校施設には余裕がなく、適当な間借り先が今も見つからないのであれば、廃校には出来ませんから計画的避難区域外の安全な場所を探しでブレハブの仮設校舎と役場を建てて当分間学校の授業を始めるしか方法は無いのではないでしょうか。

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