昭和の戦後20年30年頃まではこのあたりでの主な荷運び手段は人が引く大八車、このあたりでは車力シャリキと呼んでいましたが、でした。朽ちた車力が長く軒下に放置されていたのですが、ついに木部は刻まれてストーブの灰となりました。その木枠に張り付けられていた登録票です。車力が登録制になっていたとは今まで知りませんでした。これにも税金がかかっていたのかもしれません。
昭和の戦後20年30年頃まではこのあたりでの主な荷運び手段は人が引く大八車、このあたりでは車力シャリキと呼んでいましたが、でした。朽ちた車力が長く軒下に放置されていたのですが、ついに木部は刻まれてストーブの灰となりました。その木枠に張り付けられていた登録票です。車力が登録制になっていたとは今まで知りませんでした。これにも税金がかかっていたのかもしれません。
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