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息苦しい世の中で 自由に語り合える空間を

自由でも民主でもない この日本を もっともっとよりよく変えていくことができるように たくさんの知恵を語りましょう。

色あせた、いや最初から? 乙武氏の「俗人」たる姿

2016年04月03日 11時09分54秒 | 教育を考える
この時点では、彼は参院選の出馬に向けて、うきうきして「辞任」を申し出ていたのかもしれない。
彼の「目立ちたがり」については、以前から気にはなっていたが、最低限「弱い者の味方」として期待していたのに。
それも都の教育委員会の議事録を読んでいるうちに、色あせてしまってもいたが・・・
「不倫」以前、彼の人間性の問題からして、期待できるものはかけらもなかったということか。



「東京都教育委員会は10日、教育委員の乙武洋匡氏(39)が任期途中で辞職すると発表した。乙武氏から「一身上の都合」との申し出があり、舛添要一知事が同日、同意した。辞職は今月31日付。乙武氏をめぐっては来夏の参院選への出馬が取り沙汰されている。
 都教委によると、乙武氏は、猪瀬直樹氏が知事だった平成25年2月に教育委員に就任。任期は29年2月までだったが、10日午前に辞職願が出され、その後開かれた教育委員会で同意が得られた。」(2015.12.10 産経)
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最優先が後回しにされる現場

2016年04月03日 10時39分36秒 | 教育を考える
春休みは、私たちにとって忙殺される毎日が続きます。
本来は、じっくりと次年度の準備の時間をとるべき期間とならなければいけないのですが、
指導要録の完成とチェック、教育課程の届けの確認(これがまた細かい)、各分掌の提出文書の仕上げ、新組織での会議、入学式の準備などなど、それだけでも休日出勤でなんとかこなさなければならない職員も続出します。(必要ではないと言っているのではありません)
おまけにこの時期は、異動により新しい先生方を迎える準備も行われます。
私の学校では、新学期が始まる前に、各学年の「引き継ぎ」の時間が、なんと15分しか設定されていません。
担任が替わり、子どももクラス替えなどで変わり、30人、40人の子どもたちの情報を、たった15分で伝え尽くせると考えているのでしょうか。
会議や作業の合間の自分のクラス、学年の準備は、細々と細切れになってしまっている現状。
1日、私は新しい先生からの質問攻めで、ほとんど自分の仕事は手つかずになってしまいました。(これも大事なことながら)

今日は学校にいかなくては・・・
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卒業式の抜本的な改革を

2016年03月21日 21時41分31秒 | 教育を考える
この時期、どこの学校でも6年生を中心に、かなりの時間をかけて、卒業式の練習をしているのだろうと思います。
別れる子ども達と、たっぷりと時間をとって、最後のまとめをしたり、またゆっくりと1人1人話し込んでいくべき、大事な時に、
やれ礼のしかたは・・・やら、証書のもらいかた、よびかけ(実は教師がほとんど考えた台本)で大声を出せ、動くな・・・
そんな「作法」中心の指導が、きっとどこでも行われているかと思うと、残念な思いがします。

私たちの若いときも似たようなものだと反省しているのですが、それでも卒業式のねらいには、「最後の授業」という言葉が入っていて、
国旗、国歌の歴史、未来に向けた子ども達の夢を語り合う、校長の授業、現代社会の到達点(ここまで人権が獲得されたこと、まだ未解決の社会の課題など)の学習など、多彩な取り組みがなされたものでした。

今は、そのほとんどが「作法」。つまり、一糸乱れぬ式の遂行のためにがんばること。別の言い方をすれば、いかに従順な態度を培うかがメインの取り組みになってしまっています。
しかも、東京では都の前代未聞の通達により、式場の椅子の配置すら定まったものとして押しつけられ、対面式ですらできない状況です。(もうそんな通達すら知らない教師がたくさんいます)

 ネット配信のニュースで、こんな記事を見つけました。読んでみてすくに分かるS新聞社の記事です。
 意図的で、偏見に満ち、レベルの非常に低い記事でも、中には「けしからん」とする方もいるのかと思うと、この新聞社の政権政党機関誌然とした取り上げ方には、腹が煮えくりかえるような憤りを覚えます。

 国歌を背にしたら非国民?
 国歌を背中に背負って・・・と考えれば、愛国者?
 言葉は、いい加減なものですね。


「大阪市立菫(すみれ)中学校(同市城東区)が11日に開いた卒業式で、卒業生が会場正面の舞台に掲げた国旗に背中を向けたまま式を行っていたことが19日、分かった。卒業生は国歌斉唱時も国旗のほうを向かず、2時間の式の大半で国旗に背を向けていた。卒業生と在校生が向かい合って座る「対面式」を採用したためで、外部からの「国旗を軽視していないか」との指摘を受け、学校側は来年度からの見直しを検討する。

 ■2時間の式のほとんど背を向ける

 卒業式は出席者が同じ方向に座る「一面式」が多いとされるが、菫中は約10年前から保護者が写真を撮りやすいなどの理由で、対面式を採用。卒業生が会場正面の舞台側に背を向けて座り、在校生と保護者が会場入り口側で卒業生と向かい合うように着席し、フロア中央に設置された演台で、卒業証書の手渡しや関係者のあいさつなどを行っていた。

 ただ、卒業生は、式にかかった約2時間の大半が国旗に背を向けたままとなり、その上、国歌斉唱時は国旗のほうを向かなかった。このため卒業式終了後に「国旗を軽視していないか」などの電話が数本寄せられたという。

 ■来年度からは国旗のほう向く

 取材に対し、菫中の山西雅人校長は「(国旗を)愚弄する意図はなく、国旗や国歌の意義について十分な教育をしている」と説明。一方で「来年度からは国歌斉唱時に国旗のほうを向いたり、対面式をやめたりすることなども検討したい」と話した。

 今回の事例について、文科省教育課程課は「あまり聞いたことがない例だ」と指摘。徹底した反復学習で基礎学力の向上を図る「陰山メソッド」や「百ます計算」の実践で知られる立命館大学教育開発推進機構の陰山英男教授は「国旗に背を向けて国歌斉唱をすることには違和感を覚える。厳しい指摘が出るのも自然なことだ。対面式で挙行するにしても、国旗に背を向ける時間を一時的にするなどの配慮を学校側はできなかったのか」と話している。

 ■各校や教委の判断任せ

 文部科学省の学習指導要領は「入学式と卒業式においては、国旗を掲揚するとともに国歌を斉唱するよう指導するものとする」と定めているが、出席者の配席についての言及はなく、「各校や各教育委員会が判断している」(同省教育課程課)という。

 同課によると、対面式の実施状況についての全国的な統計はない。対面式といっても、会場の両サイドに卒業生と在校生が座る方法を採用し、正面の舞台上の国旗に生徒が背中を向ける状態にならないよう配慮している学校もある。

 大阪府豊中市では平成27年度、市立中学全18校のうち、16校が卒業式で対面式を採用した。中央に三脚を使って国旗を掲揚し、国旗が生徒の後ろにならないよう工夫している。卒業式のスタイルは各校の判断に任されている。対面式が多い理由を、豊中市教委の担当者は「車いすのため舞台に上がることができない生徒に配慮した」などとした。

 ■東京都は「一面式」

 一方で教職員の国歌斉唱時の不起立や、出席者が確認できない場所に国旗を掲げるなどの“問題行為”が多発していた東京都では平成15年、都教委が全ての公立校に対し、入学式と卒業式では、児童生徒が式典会場の正面を向いて着席するよう通達を出した。この結果、対面式を採用する都立校は1校もなく、全ての学校で「一面式」による厳粛な式典が開かれるようになったという。

最終更新:3月20日(日)11時43分」
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2分の1成人式の歌をオリジナルで 「輝いていますか」

2016年03月06日 00時25分42秒 | 教育を考える
2分の1成人式の取り組みの際に、できるだけ手作りのものを、オリジナルなものを追求したいと思って、冬休み中に歌詞を3編作り、休み明けに音楽の先生に頼んで、その中のひとつにメロディーをつけていただいた。
自分なりには、気に入っていて、子どもたちも、普段、鼻歌を歌うくらいに歌ってくれているし、また式で披露したときには、何人ものお母さんが涙を流していたのだが・・・

こんな歌詞です。メロディー、楽譜希望の方は「コメント」してほしい。

輝いていますか? 二十歳になったわたしへの手紙
         詞 志麻 克己  曲 LATTE

1.ひさしぶりです 十年前の わたしのあなた
 今のわたしは 小学四年生 まだまだこども
 二十歳になった あなたに贈る メッセージです
 年下だけど タメ口だけど 許してください

2.健康第一 風邪などひかず 元気でいますか
 好き嫌いなく しいたけ ピーマン 食べられますか
 ゲームばかり テレビばっかり 卒業したかな
 むずかしい漢字 長い作文 書けるかな

3.コロッケが小さいと きょうだいげんか してはいませんね
 マンガもいいけど 長い小説 読んでいますか
 お風呂のシャンプー 夜中のトイレ 一人でできるね
 わかっているのに 屁理屈言うのも なくなりましたか

 そして そして 今のわたしから
 未来のわたしに
 せいいっぱいの お願いをします 

4.家族 友だちを 自分と同じに 大切にしてね 
 まがったことにも 目をそむけないで 生きてください
 ちょっとのことに へこたれないで 歩いてください
 自分のからだを 大事にしてね いたわってね

 そして そして ひとつだけの人生を
 輝かせてね
 花のように 光のように

 さあ あなたに向かって わたしに向かって さあ・・・
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2分の1成人式の賛否を考えながら

2016年03月06日 00時11分25秒 | 教育を考える
最近は、どこの学校でも行われている2分の1成人式。
「家族への感謝や愛情を、学校で押しつけている場面が多い」
「過去に触れてほしくない、または家族の愛情など話題にされたくない子がいたなら、その子にとっては2分の1成人式は、なんとも残酷なものとなるのではないか」
この指摘は、確かに言えることだと思う。
そこで「やると決まった」、この式を家族への愛情、感謝について、できるだけ薄めた内容のものとして取り組むことにした。(これも根本的な解決法とはとうてい言えないものであるが)

自分史はまとめるとしても、自分の成長、時代との関わりを中心にして、家族に関わるものは最小限に。

あとは定番とも言える式次第(よびかけ、合唱、合奏、運動会の再現、20秒スピーチなど)で行ったのだが、そして大半の親が目に涙を浮かべていたのだが、はたしてこれでよかったのか、については、うまく整理できないままで終始したような感を免れない。

これはいつか改めて、しっかりと総括したい。
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愛媛県教委の時代錯誤

2016年03月05日 18時23分45秒 | 教育を考える
公立高校の生徒が、集会やデモに参加する際に「許可、届出」の導入の動きがあるとの報道。県の教育委員会が、校則のひな型を作成して各学校に示しているという。
「1週間前に保護者の許可を得て担任に届ける」「18際未満である場合は許可されない」
とのこと。
いやはや困った大人たちだ。
よほど子どもたちを信用していないのだと、情けなくなる。
なんのための18歳選挙権だったのか。
当事者に聞いてみたいものだ。
こんな大人たちを反面教師として、高校生は現実を学べとしているのか。そしてさらに高校生は、政治的に目覚めていく。
そこまで意図したものであるなら、私は愛媛の教育委員会を、手放しで礼讚したいが、ま、そんなことは微塵もないか(笑)
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笑顔の絶えない職場になっていますか

2016年02月21日 09時33分27秒 | 教育を考える
今に始まったことではないですが、最近、近隣の学校で、似たようなことを耳にする。

それは、「教育委員会から言われたのですが・・・」「教育委員会に問い合わせると・・・」として、それが真っ赤な嘘、またはその事実がない、そんなことが平然と起きているとのこと。
校長自体の保身のため、独断の職員管理をするため、自分の落ち度を糊塗するため。
きっとそんな動機からだろう。

裏をとることはたいがいできるはずもないから、誰も疑わしく思わない。
たしかめようとすると、「勝手に電話するんじゃない。校長を通して行え」と言われ、実際は不可能になる。


最近、異動に関することで、校長の言動について組合を通して教育委員会に問い合わせてみると、校長の言動とまったく食い違っていることが判明した例があった。
実は校長が勝手に、当事者に圧力をかけていることを、校長が認めた。詳しく書けないのが悔しいが・・・

みなさんの学校、校長の取り巻きだけで、なあなあと運営されていませんか。
平気で休憩時間も会議や作業を入れていませんか。それを何も問題にされない職場ではないですか。
相手によって、物言いの極端に異なる管理職ではないですか。
だれも発言しようとしない、できない職場ではないですか。

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定時制高校の廃止 なぜか?

2016年02月07日 12時39分08秒 | 教育を考える
定時制の高校が危ない。
エリート校を増やし、予算をたくさん割り当てる。「底辺」「弱者」には切り捨て、予算も切り崩していく。
教育行政は、福祉行政とは密接な関わりをもって進めていく必要があるべきものなのに、まったく正反対の施策を提案した。
なさけない「公務員」たちである。


「夜間定時制高校4校の廃止(閉課程)に反対する会長声明


2016年02月01日

東京弁護士会 会長 伊藤 茂昭

 東京都教育委員会は、平成27年11月、「都立高校改革推進計画・新実施計画(案)」(以下、「計画案」という。)を取りまとめ、その中の「定時制課程」の「改善」において、チャレンジスクールや昼夜間定時制高校の規模を拡大する一方で、夜間定時制課程(以下、「夜間定時制高校」という。)のうち、立川高校(立川市)、小山台高校(品川区)、雪谷高校(大田区)、江北高校(足立区)の4校を廃止(閉課程)するとした。
 しかし、東京都においては、平成9年度から平成18年度における「都立高校改革推進計画」の中で、101校存在した夜間定時制高校のうち44校が、チャレンジスクールや昼夜間定時制高校への統合対象とされることとなった。これに対し、当会は、生徒らの学習権を侵害するおそれが高いことなどから平成16年6月7日付け「都立定時制高校の廃校による募集停止措置についての意見書」を発表し、再検討を求めた。にもかかわらず、平成16年度以降、定時制高校の統廃合が進められ、現在、夜間定時制高校は44校となっている。
 こうした統廃合の結果、夜間定時制高校は、全日制高校に通うことの出来ない生徒らの最後の受け皿としての機能が期待されているにもかかわらず、平成22年度都立高校入学者選抜においては、夜間定時制第二次募集では、募集定員に対し合計300人を超える応募があった。現在も、廃止(閉課程)の対象とされている立川高校では、平成27年度都立高校入学者選抜の二次募集で入学希望者が募集定員を超えている。こうした状況において、さらに4校の廃止(閉課程)が計画されているものである。
 今回の廃止(閉課程)の理由として、計画案では、まず夜間定時制高校設立の当初に想定されていた「勤労青少年」の生徒は減少の一途をたどり多様な生徒が在籍するようになっていて、多様な生徒の状況に応じた指導を行う必要があるとされている。しかし、当会の先の意見書においても指摘した通り、そもそも多様な生徒のニーズに応える上で、学校の種類や数の拡大はともかく、夜間定時制高校という既存の学校の廃止が必要といえるのかとの疑問は払拭されていない。上記計画が減少してきたとする「勤労青少年」は正規雇用者のみを意味し非正規雇用者を除外していると考えられ、非正規雇用者が増加している実態が踏まえられていないと言うべきである。また、同じく夜間定時制高校の廃止理由とされる、全日制・定時制併置校における施設の共用による利用上の時間的制約という弊害についても、学校現場における長年にわたる自発的努力によって工夫、解決されてきたものであり、さらなる廃止(閉課程)を要するほどの弊害があるのか、疑問がある。
 また、夜間定時制高校は、少人数の家庭的な雰囲気の単学級(ないし少数学級)として運用されてきたとの特性もあって、昼間就業しながら夜間勉学する勤労生徒をはじめ、帰国子女、外国から日本に帰化した生徒、在日外国人などの外国人生徒、社会に出たあと高校卒業の必要性を感じて入学してくる成年者の生徒、高校を中退した生徒、様々な原因で中学校まで不登校であった生徒や引きこもり傾向であった生徒、心身にハンディキャップをもつ生徒、夜間中学出身者などの、多様な生徒を受け入れ、憲法26条第1項に定める、教育を受ける権利を保障する重要な受け皿となっている。これに対し、計画案では、生徒らの多様なニーズに応えるという視点から既存のチャレンジスクール及び昼夜間定時制高校の規模拡大と、チャレンジスクール2校の新設が検討されている。しかし、これらの学校は単位制で、特に3部制の高校については教員同士の情報共有が難しいなどの指摘もされているところであり、多様な課題を抱えた生徒に対して個別・丁寧な対応を目指す夜間定時制高校とは趣旨が異なる。その上、チャレンジスクールは応募倍率が高いことが指摘されており、新設されても狭き門であって、夜間定時制高校へのニーズを持つ子どもたちが、事実上、教育機会を失う結果となりかねない。
 さらに、夜間定時制高校が対象として想定する生徒らにとっては、通学費の増大や通学時間の長時間化は、経済的、体力的、精神的に通学そのものを困難とする可能性が高い。既に、これまでの統廃合の結果、例えば、立川高校定時制課程に在籍する生徒の居住地は、平成27年5月1日現在、全生徒301人のうち、立川市49人、八王子市47人、東大和市29人、武蔵村山市24人、昭島市20人などと広域化している。また、江北高校は平成27年4月7日現在、4学年併せて180人もの生徒が在籍しており、需要が高い。さらに、雪谷高校と小山台高校は、比較的近距離に位置し、2校が同時に廃止(閉課程)の対象となれば、周辺地域の生徒に対する弊害は大きい。なお、計画案においては、既存のチャレンジスクール等7校の規模拡大が検討されているものの、これらの学校の多くは、廃止(閉課程)される4校とは地域を異にし、生徒らが通学に利用する路線も異なっており、4校の廃止(閉課程)を補完するには不十分であることは明らかである。こうした状況においては、4校が廃止(閉課程)となれば、通学に要する経済的、体力的、精神的負担の増大は避けられない。まして、子どもの貧困がますます拡大し、学費等の自己負担を強いられる者が増加している現状においては、こうした負担増が教育機関へのアクセス権に及ぼす影響は重大である。
 以上の実情を踏まえれば、夜間定時制高校4校を廃止(閉課程)することは、現在の夜間定時制高校へのニーズを持つ子どもらにとって、その学習権を侵害するおそれが極めて強く、たとえ限られた予算の有効な配分を理由としても決して許容されるものではない。
 従って、当会は、夜間定時制高校4校を廃止(閉課程)とする計画に対し、強く反対する。」
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道徳の教科化で「はしゃぐ」教育界

2016年02月07日 12時25分35秒 | 教育を考える
「道徳の教科化に向けていろいろな研究団体がそれぞれの方法で研究やメッセージを発信し始めているけど、表現は適切かどうかはわかりませんが、あまりはしゃぎすぎるのはどうかと思います。
特に、道徳の教科の指導をどうするかというアプローチは、本質を見失うのではないかと心配しています。いったい国家は何を狙っているのかという意味での本質を。
 道徳の教科化と同時に打ち出されているのか、他教科においても道徳的価値を「教える」ということ。
 たとえば、理科の植物の授業で生命の大切さを強調させるとか、文学的教材の読み方を特設道徳的に読ませるとか……。
 こうなってくると、もはや道徳の授業をどうするかの問題だけではなくなってくるということです。授業そのもの、いや、学びとはいったいどういうことなのかまでさかのぼって研究していかないと、逆に国家の路線にのっかり、国家優先な学校づくりに加担することになります。」

と、全生研の塩崎さんが書いていましたが、「感情・価値観を押しつける」ことに向けた道徳の教科化は、すこぶる危険なものだと私は考えています。
あくまで、科学・事実の学習のもとで、価値観を自分で作り上げていくことが教育なでしょう。
この動きは、どう考えてみても「教化」です。

この問題は、18歳選挙権のことともかかわり、「教育の中立性とはなにか」とも絡み合います。


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高校生の政治活動 よほど信じていないのだな

2016年01月30日 10時40分33秒 | 教育を考える
やはり出てきたなという思い。
 よほど子どもに対しても、国民に対しても、信用していないのだなという論議が繰り返されている。
 「自由にさせると、なにをしでかすかわからない」
 そんなところだろう。
 なぜ、自分の意思で、信条で政治的な表明をすることに、「許可」「認可」が必要なのか。

 学校は、基本的に「なんでもあり」であり、それを教師が、論理的に交通整理をしてあげること。
 そんな、どーんと構えた現場にならないかぎり、子どもたちの自主性、自治など、生まれるはずがない。

「高校生のデモ参加などの政治活動をめぐり、文部科学省は29日、休日や放課後に校外での政治活動に参加する場合、事前に学校に届け出させることを認める見解を示した。今後、届け出制を導入する学校が出てくる可能性がある。
高校生の政治活動は1969年の旧文部省通知で規制していた。選挙権年齢が18歳以上に引き下げられるのを受け、文科省は昨年10月、校外での政治活動を原則容認する通知を出し、方針を転換した。この通知の解釈について、自治体などからの問い合わせに答えるため、Q&Aを作成。29日には都道府県教育委員会の生徒指導担当者らを対象にした会議を文科省で開き、Q&Aを配布した。
それによると、休日や放課後の校外での政治活動を届け出制にできるかとの問いに対し、各校で適切に判断するものとし、禁止はしない方針を示した。担当者は取材に「生徒の安全に配慮したり、政治活動に没頭して学業に支障が出ないようにしたりするなど、生徒指導上把握が必要なケースがあるため」と説明した。
また、Q&Aでは、放課後や休日も含めて校内での政治活動を全面的に禁止する校則をつくることは「不当ではない」とした。学校は教育活動のための施設であり、政治や私的活動を目的とした場所ではないというのが理由だという。
この日の会議に出席したある県教委の指導主事は「届け出制は生徒の信条に立ち入ることになり、難しいと思う」。別の県教委の担当者も「校則で縛ると、生徒が萎縮してしまう。主体的に考える力を育む妨げになり、本末転倒ではないか」と語った。一方、西日本の県の私学担当者は「届け出制なら、許可制ではないので問題ないのでは。学校は勉強の場なので、校則による禁止も踏み込み過ぎとは思わない」と話した。」(朝日新聞デジタル)
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ブラック化している学校現場

2016年01月06日 23時02分52秒 | 教育を考える
まだ始業式2日前だというのに、退勤は7時である。
新学期に向けての準備、来年度の教育課程の作成、学級や学年の打ち合わせ・・・きりがないくらいの過密な内容で1日が、あっという間に過ぎてしまった。

私たちには、無制限の残業が約束されている。
どんなに学年会や部会、明日の準備で退勤時間を過ぎようと、家でテストの採点をしようと、なんら調整する権利をもたない。もちろん残業手当もつきはしない。(4%の教職調整額というものがあるが、それがかえって無制限な残業の温床となっている)

「限定4項目」というものがある。
それは、
1 教育職員については、正規の勤務時間の割振りを適正に行い、原則として時間外勤務を命じないものとすること。
2 教育職員に対し時間外勤務を命ずる場合は、次に掲げる業務に従事する場合であって臨時又は緊急のやむを得ない必要があるときに限るものとすること。
イ 校外実習その他生徒の実習に関する業務
ロ 修学旅行その他学校の行事に関する業務
ハ 職員会議(設置者の定めるところにより学校に置かれるものをいう。)に関する業務
ニ 非常災害の場合、児童又は生徒の指導に関し緊急の措置を必要とする場合その他やむを得ない場合に必要な業務

つまり、学年会、部会、学級事務などは、「教員の自発的行為」であるから、時間の調整や手当ての対象にはならないということである。
しかし、現実には勤務時間内では、子どもの下校後はほとんどが会議である。
それが終わって、さあ自分のこと、学年のことを・・・と思ったときは、3時45分の休憩時間開始の時刻である。
余裕のない教員は、その休憩時間に仕事をがんばって、なんとか済ませてしまう。(100%終わらないとは思うが)
しかし、それは本来は「心身を休める」ための時間帯である。

退勤時刻の4時45分に、帰ったことは、ほぼ皆無。
みな私生活の時間を削って「働いている」のだ。

だから、真面目さでは引けを取らない教師は、知的にはどうしても後退していく。自らを高める時間がとれないのだから。疲れ切ってしまうのだから。

組合は、この「調整額」「4原則」の見直しについて、重点的に闘う必要があると思う。

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大阪市教委に見る教育の敗北

2015年11月24日 07時15分11秒 | 教育を考える
レベル1
 問題行動:授業をさぼる。自分の机等に落書き。
 学校等の措置:固執での個別指導と家庭連絡。奉仕活動または学習課題。
レベル2
 問題行動:授業をさぼり校内でたむろする。先生に対しバカにしたようなことをしたり言う。
 学校等の措置:個室での複数教職員による個別指導と家庭連絡、数日間の奉仕活動または学習課題
レベル3
 問題行動:他の子のものを壊したり捨てたりする。押す。プロレスの技をかけるなど暴力をふるう
 学校等の措置:一定期間の個室での個別指導と学習指導、警察へ相談
レベル4
 問題行動:金品を奪う、盗む、たかる。殴る、蹴るなど強い暴力をふるう。
 学校等の措置:出席停止措置、警察へ通報
レベル5
 問題行動:極めて重い暴力、傷害行為、脅迫、強要、恐喝行為
 学校等の措置:警察、こども相談センター、児童自立支援施設等における対応

 これは原発の事故対策ではない。子どもを対象とした「罰則規定」である。

 「大阪市教育委員会は17日、暴力や犯罪、いじめといった市立学校に通う子供の問題行動を5段階に分類し、学校の対応を明示した「学校安心ルール」を定めることを決めた。ルールは一覧表にして児童や生徒に配布する。保護者らの相談窓口を市教委に設けることでルール順守を徹底する。
 ルールのうち、最も軽い段階のレベル1では、子供の「学校をずる休みする」「(他の児童や生徒を)無視する」といった問題行動に対し、教職員が「その場で注意」「別室での個人指導や家庭連絡」といった対応を行うとしている。
周囲への暴力や傷害、恐喝といった犯罪行為を含む問題行動は最も重いレベル5に分類。学校が警察などの外部機関に対応を委ねることも盛り込んでいる。
 大森不二雄委員長は「学校を安全安心な場所とするには、最低限の“法秩序”が必要だ」と話している。」(産経)

 これは教育活動ではない。教育によらず、罰則を設けて児童・生徒を管理するものだ。
 ルール違反には奉仕活動。家庭連絡。固執に追いやって隔離。警察に通報。

 実際大変なのだから、この程度ならやむを得ないという考えもあるだろうが、私たち教師からすれば、権威で、罰則で対処しようとする「敗北」でしかない。発表を聞いて、思わず笑ってしまったほど、馬鹿馬鹿しい、低俗なものだ。
 1人1人の行動の原因、背景を、ていねいにくみ取り、対話と説得を通じて、問題の解決策を探っていく教育の原点が、完全に抜け落ちている。
 単純にマニュアル化された指針は、学校にはなじまない。

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火中に飛び込む? 教員を目指す姪へ

2015年08月24日 20時51分20秒 | 教育を考える
愛知から、妹の長女、つまり私の姪が、教職の免許をとるためにスクーリングにきている。
大学を卒業して、民間に就職したあとでの決心である。
私の長男の嫁の妹、その子もやはり転職して教員になるのだと、こちらもスクーリングに通っている。
しばし我が家がホテル代わりになっている。

だらだらとした無制限の勤務時間だし、親のクレームにほとんどが単独で向き合わなくてはならないし、管理職は保身めいた者が増えて、自己責任を言い張り続けるし、教員も「我が身かわいさ」が優先されてきていて、主任、主幹、副校長、校長という出世の路をひたすら歩むか、必死で自己を守る道を歩き続けるしかないし、そんな「くだらない」職場に、どうして入りたいのか。

私はどうだったろう。
私の志望の1番の理由は、「こどもと一緒に学べること」だ。よくよく考えると、けっこう利己的な動機だったのかもしれない。
しかし、年を重ねると、「一緒に知って、感動する」ことが生き甲斐になっていく。
子ども達に先行して学習し、子ども達が感動するような授業を目指すことが生き甲斐となってきた。
それから創造性。「右に倣え」の子どもではなく、自分の頭で考え、行動できる子どもになってほしい。それをどうしたら実現できるか、そんなことも目的として力を入れ始めた。これこそ、明日の日本を創りあげる主権者を育てることになるのだから。

「現場」から少し離れたところに頭を置いて、ぜひとも教育を語ってほしい。実践してほしい。

<もっとアカデミックなところだと思った。>
学校について、最初に感じたことです。

いつも、「それはなぜ?」「どうして必要なの?」と、そんな疑問を自他に問いながら、教員までの、いや教員となってからも、疑問を追い続けてほしい。

苦しいけれども、楽しいよ。
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子どもたちに「通信」を送る

2015年08月23日 19時52分53秒 | 教育を考える
クラスの子どもたちに、夏休み中、できるだけ担任にはがきを出すようにとお願いをしました。
全部で22人の子たちが、私に送ってくれました。
はがきの裏の上段には私宛の文面を、下段には「クラスのみなさんへ」という題名で近況報告を書くようにもたのみました。

その下段の文面を、そのまま私がパソコンで打ち、学級通信・夏休み号として、各家庭に郵送します。

宿題を早々と終えた子、これから追い込みに入る子。
プールでしこたま泳いだ子。
おじいさん、おばあさんの家に長くお泊まりをした子。
料理に挑戦した子。
暑さでぐーたらしている子。

みんなそれぞれの「解放感」でもって過ごしているようです。

あと1週間。みんながちょっぴり大人になって、教室にやってくるのが、今から楽しみ。

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憲法より礼儀が大事!

2015年08月01日 20時16分39秒 | 教育を考える
と、学校だよりに書いた中学校の校長がいたらしい。
なんで順位をつけるのかねえ。なんで二者択一にするのかねえ。
「憲法も大事、礼儀も大切」
これで円く収まったのにと残念に思う。

新聞記事によれぱ、憲法は知らなくても生きていけるが、礼儀は知らないと生きていくのが難しい、そんな趣旨の文章だったそうな。

ま、それはそうだが。(笑)

ただ、憲法は知らないと、今の安倍首相の推進する戦争法案審議の際の詐欺のような手法と、あきれるほどの詭弁に、いともかんたんに騙されて、いずれは国民が殺戮の時代に投げ出されるかもしれない。
そうなれば、「生きていかれる」どころか、「殺される」「殺す」未来の自分が待っている。

このような浅はかな校長も山ほど見てきたが、配布される前に、気がついて止める先生はいなかったのか。
それが私には一番恐ろしい。
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