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息苦しい世の中で 自由に語り合える空間を

自由でも民主でもない この日本を もっともっとよりよく変えていくことができるように たくさんの知恵を語りましょう。

:研修は私たちの義務であり権利であること

2014年08月04日 22時09分10秒 | 教育を考える
 民間教育団体である教育科学研究会の全国大会(法政大学)に参加するために、せめて「承認研修でも」と思い、管理職に
大会のコピーをそえて打診しました。
 その顛末は、以下の「再考のお願い文書」で読み解いてください。

「○○○教育委員会 教職員係     様
 2014.8.4
 ○○立●●小学校
 主任教諭  □□□□

 承認研修の申請と、その回答について再考をお願いいたします
 8月1日(金)に、教育科学研究会全国大会参加にあたって、初日(金曜日、午後)の承認研修をお願いし(受理は副校長先生)、その回答が本日、校長先生よりいただきましたが、再度承認研修のお願いをいただきたく、書面にて申請をすることにいたします。
 校長先生より、口頭で「市に問い合わせをしたところ、年休で参加していただきたい」「職務とは直接関係ないと思われるとのこと」という回答をいただきました。

 1日の段階で、実施要項、研究会の内容一覧のコピーを副校長先生にお渡ししましたが、十分にその趣旨が伝わっていただいていないことだとも考えます。
 この研究会は3日間にわたって開催されます。1日目は、全体会が中心で行われますが、単にこの日が独立したアトラクションではなく、あとに続く分科会への橋渡し的な内容を含んだものとなっています。とりわけ、「教育問題フォーラム」の「震災と教育」に私は参加する予定で、これは今後の私の教育実践のための、大きな学習内容となっていくことは言うまでもないことだと考えています。
 つまり、指導技術向上と同時に得ていくべき学習内容を、直接、間接に補強するものです。ですから、このような研修は、職務と言っても差し支えないのではありませんか。
 2日目、3日目は、幸いに土曜日、日曜日にあたっています(分科会は「道徳性の発達と教育)「ことばと教育」に参加予定であり、2学期の授業にも活かせる内容です)ので、自主的な参加で済むことですが、1日目は、勤務日のため、承認研修をお願いしたいのです。
 教特法には、
 「教育公務員は、その職責を遂行するために、絶えず研究と修養に努めなければならない」(21条1項)
 「教員は授業に支障がない限り、本属長の承認を受けて、勤務場所を離れて研修を行うことができる」(22条2項)
 とあります。
 たんなる「年休処理」の問題ではなく、教員の職責を遂行するための「職務」に関わるものとして、再考をよろしくお願いいたします。」

 結局は、この文書を持って校長室に行き、再度検討してもらえることをお願いしました。
 30分後に、校長は教室を訪れて、「いいことになったわよ。ただ、テーマが過激なんで(安倍内閣に対する批判的なテーマ)、届けには
 分科会の題名程度にしてね。いろいろうるさいから」とのこと。

 言わない限り、権利は自分のものにはならない。
 言うことよりも、権利自体を知らない若者が多すぎる。

 しかし、「承認研修」って、なぜ旅費が出ないのだろうか。
 出る、出ないの線引きなど、おそらくは、あいまいで恣意的なのではないかと思う。

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三連休にならず

2014年03月22日 22時32分07秒 | 教育を考える
この時期は、通知表、指導要録、教室の整理、新しい年度の教育計画の印刷や製本などなど、短期間にいくつもの「待ったなし」の仕事が
どっと押し寄せます。
今日、10時過ぎに学校に行くと、すでに5人の先生が仕事をしていました。
私も最後の学級通信を作成したり、クラス分けの資料を作ったり・・・
あっという間に昼になっていまいます。

明日も、つづきをしなくては・・・

こんなことだから、本も読めない、教養とも文化とも離れていく教員が多くなる。

早く終えて、たまった本を読みたい。
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学力テスト結果 学校別公表容認は何をもたらすのか

2013年11月30日 22時10分24秒 | 教育を考える
「これまでの実施要領では、調査結果について個々の市町村名や学校名を明らかにした公表はおこなわないこととしていました。今回は、教育委員会が「自らが設置管理する学校の状況について、それぞれの判断において、公表することは可能」とし、市町村教委が学校別の結果を公表することや、都道府県教委が市町村教委の同意を得て市町村別や学校別の結果を公表することを認めました。

 その場合、単に平均正答数や平均正答率などの数値のみの公表は行わず、結果についての分析や今後の改善策を示すこと、学校側と公表する内容や方法について事前に相談すること、数値を一覧にした公表や順位をつけた公表は行わないことなどを条件としました。」

と、報道記事にはあるが、普通の親や市民の関心は、分析内容や改善策ではなく、もっぱら数値や順位である。

文科省は、なぜころころと主張を変えるのか、それについては一切きちんとした説明はない。
つまり、無責任な態度だと言われても、返す言葉がないだろう。

誤答を分析して、次の指導に生かす。
それ以外で、テストの結果を外に出す必要はない。
いや、外に出してはいけないものであろう。
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週末はぐったり

2013年10月18日 23時37分59秒 | 教育を考える
金曜の放課後は、職員室は、1週間が終わった安堵感と、それまですり減らした精神的なやつれとが入り交じった雰囲気が漂う。
だれもが、この1週間で、こなしきれなかった仕事を、これからどうしようかと悩んでいるかのようでもある。
校長は出張で不在なのだが、副校長が、校長の書いたメモを片手に持って「自己申告は今日までですからね」と、職員室内を歩き回って各個撃破。
何人かがパソコン画面とにらめっこをして、自己申告の空欄を埋めている。
どんよりとし気だるい雰囲気と、孤立無援で自己申告を完成させようとする個々の職員。
職員室は、かつての「土曜日の午後」の様相はない。
「さあ、みんなで~」といった声をかけづらい職員室に成り下がってしまった。

生き生きとして生きていない教師が、子ども達に「さあみなさん、元気よく・・・」とむなしく声をかける現実だ。
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みみっちく こすい判断

2013年10月15日 22時56分43秒 | 教育を考える
私の勤務する学校のある自治体では、校長間、教育委員会との連絡などの末に、明日は「10時30分登校」を決めた。
私は、てっきり「休み」かと思っていたので、意外な判断に驚いてしまった。
決定は昼頃に出されたのであるが、そのころの予報では、台風の明日9時の予報円は、まだ関東にかかっている。
スピードを速めると予想されるが、この状況では、まだ風の強い中を、子ども達に登校させる危険性も十分に考えられる。
「無理して登校はしないように」との但し書きがあるものの、それでも無理して学校に来ようとする子は、ゼロではないだろう。
なぜ、2時間なのか。明日は、午後から私たちは教科ごとの全員研修会のために出張、4時間授業でもある。
給食の中止がもったいない? まさか2時間でも授業時数を確保したいため?
本来ならば、最悪の事態を考えての判断をすべきだろうと思う。
しかも、職員を集めた会で、校長は、「職員は勤務です。調整はとれません。来れないときは、遅延証明をもらうこと」と、
服務優先。つけたしに「まあ、みなさん気をつけてください」とのお言葉。

近隣の自治体が「臨時休校」を打ち出しているとの情報に、いったいここは、なにが大切にされているのだろうかと、怒りよりも
情けなさを、先に感じてしまった。

とにかく、台風には、それる、早く通り過ぎる、勢力が衰えるなど、恐れている被害をもたらさないことを祈る。
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習熟度別指導について 悩む

2013年10月13日 00時01分35秒 | 教育を考える
二回にわたって、担当教師と話し込む。
彼は、
①習熟度別は、ここの学年だけがやっていないので実施したい。
②学力の低い子を底上げさせたい。
③3クラスなので、4つのグループにして、15人の「低学力」の子を集めたい。
④あとは「上位」が1つ、「中位」が2グループとしたい。
⑤ただし「下位」グループで、「規律」「生活指導的」に大変な子は、ほかのグループに散らばせたい。
という趣旨。

私も、
①学力の底上げには異論はない。いい方法があればそれに越したことはない。
②ただ、この習熟度別の編成ではたして学力がつくのかが、よく理解できない。
③まず「下位」の子は、担任との結びつきだけで(個別に対応、ノート指導を徹底するという)指導しきれるのだろうか。
 私はいっぺんに15人の子をていねいに見てあげることはできない。
④「立ち歩く子」「集中できない子」「妨害する子」は、別のグループに入れるというが、その子たちも「下位」として
 あえいでいる子たちである。それがどのように学力保障していけるのか、方法論について何も聞かせてもらっていない。
 また、希望をとりつつグループ編成を行うとするなら、どうやってその子、保護者に納得させるのか。
⑤「上位」の子たちに「エリート意識」や「個人競争」の意識がもぐりこみ、利己的な集団を形成するのではないか。
 むしろ、こういった子たちに「教えあいけ「学びあい」のリーダーとして、ほかのグループの子とまじりあわせる必要が
 あるのではないか。(リーダー意識も警戒が必要だが)
といった疑問を投げかけた。

彼は、この15人の「底上げ」しか考えていないようだ。
なんとか力をつけさせたいと思うのは、敬意を表するが、全体の学びの構造を考えるうえで、あまりにも単純で素朴な粗い
プランなのではないだろうか。

結局、私の疑問に対しては、ほとんど答えを準備することはできなかった。

ただ、「加配教員」の条件として、「習熟度別編成」が「しばり」としてある(らしい)ので、なんとか、いい方法を考え
ださないといけない。
上記の方法では、「学びあい」という観点が、まったく忘れられている。

はてどうしたものか。
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運動会の再考を

2013年09月23日 09時48分22秒 | 教育を考える
何回も書いていることだが、昨今の運動会は、児童の自主性を育てるというよりも、「いかに見栄えをよくするか」「統制のとれた動きをするか」「シナリオ通り、子どもが動くか」を主眼とするものばかりで、少しも教育的に価値のある行事とは思えない。
台本を渡して「せりふ通りに話しなさい・動きなさい」「歯をくいしばれ」
できない子には、容赦なく怒声が飛ぶ。
子どもも親も、完成品を見るだけで、「達成感に感動した」として、その取り組みを疑うことすら忘れてしまっているかのようだ。
「拍手をたくさんもらえてよかった」「みんなとひとつのものを仕上げた喜びがある」「かっこよかった」
それはそうだろう。
しかし、なにがそこから得られたのかは、誰も問わない。
どこかの国のマスゲーム。それとどこが違うのか。
軍隊の規律ある行進と、どこが異なるのか。
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歴史から目をそむけてはならない

2013年08月20日 20時37分35秒 | 教育を考える
島根、鳥取では、「子ども達に残酷な場面を見せるのはいかがなものか」として、学校図書館での「はだしのゲン」の閲覧の
自粛を要請していたとのこと。
もちろん子どもにとって、過度な、刺激的なものを見せることについては、ある程度の配慮は必要だろう。
しかし、この「残酷さ」こそが、私たちの先祖が犯した侵略戦争の事実なのだ。
基本的には、それこそ観る必要のあるものなのだ。

この背後には、市議会などへの「ウルトラ愛国者」集団の署名、陳情などがあることは自明のことである。
おそらく同じような趣旨で集まった、この集団は、
「自虐的な日本の歴史を教えるな」
「戦争は聖戦であり、侵略、略奪、強制された慰安婦など存在しなかった」
「子ども達には、むごい戦争の実態を見せるべきではない」

それが今度は、行政側から「半強制」となって降りていく。

率直に反省するということは、「自虐」とは違う。
反省することなく、自国の歴史を自画自賛する姿は見苦しい。
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体罰 もっとあっても不思議ではない

2013年08月10日 22時08分07秒 | 教育を考える
今年度に限った調査であるから、なんとも言えないが、これが「これまでに~」という質問だとしたら、その数は桁違いに増えることだろう。
私も、記憶に鮮明なものでも、二件、痛々しい思い出として記憶している。(昔のことだからとして免罪されるつもりもない)
これまでの私の教職経験では、あからさまに体罰をしていた教員は、ほんのひとにぎりである。
どちらかと言えば、露骨で嫌みな叱責をする教員が多かったこと。こちらのほうがずっと気になっていた。
言葉の「体罰」だと思うのだが、新聞に載るような暴言、差別発言の、ちょっと手前の言葉を子どもに投げつける。
いわゆる「見せしめ」の時もあり、従順でないことを揶揄して発せられる時もあり、これらは多分に、その教員の「人間性」に関わっていることが多かったように思える。
体罰はもちろん肯定できるものではないが、ただ「いけません」ではなく、その背景についてよくよく考えていかないと、いつまでたっても根絶できないだろう。
背景としては、職場の人間関係、階層(他の教員から「あなたのクラス、ちょっとうるさいわね。ちゃんと厳しく指導している?」などと言われれば、その言われた教員は、とたんに子どもに対して管理的になることは、いつもいつも辟易して見てきたことだ)、日本の文化の特徴、学習すべき内容の吟味(道徳では、「権利」と「わがまま」はほとんど同義になっているという、悲しむべき現実がある)など。


「全国の国公私立の小中高校などで、2012年度に体罰をした教員が6721人にのぼることが、文部科学省が9日に発表した実態把握調査で分かった。大阪市立桜宮高での暴力事件を受け、児童・生徒や保護者にアンケートをするなど綿密な調査を実施した結果、前年度調査(404人)の17倍近くに増えた。被害を受けた児童・生徒は1万4208人にのぼる。

 調査対象は全国の小中高校、中等教育学校、特別支援学校、高等専門学校。初めて国立、私立でも調べた。高校の発生率が高く、公立では全高校の21・8%で、私立では29・1%で体罰があった。

 6721人のうち、公立の教員は5415人。国立は20人、私立は1259人だった(高専を除く)。学校ごとにみると、小学校1559人、中学校2805人、高校2272人などとなった。 」(朝日新聞)
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東京、神奈川 教育委員会の傲慢

2013年08月02日 00時02分38秒 | 教育を考える
「あの手口に学んだらどうかね」
と言った麻生氏を先取りしたのではないだろうが、
特定の教科書の申請を見直すよう、高校の校長にこっそりと打診していることが判明した。
東京といい、神奈川といい、どうしてこんなに知的レベルの低い教育委員会なのだろうか。
なんと傲慢な考えなのだろうか。 


「神奈川県教育委員会が、県立高校で来年度使用する教科書について、実教出版の「日本史A」「日本史B」を申請した校長に再検討を求めていたことが30日までにわかりました。採択審議前の県教委の行為に現場の教職員らは「不当介入だ」と指摘しています。

 県立高校の教科書は、各学校の申請を受けた県教委が毎年審議・採択しています。ある学校の教職員によると、県教委は再検討を求めた際、審議過程で学校名が明らかになるとした上で「外部団体からの圧力があるかもしれない」などと説明したといいます。

 両教科書は、「日の丸掲揚・君が代斉唱」について「一部の自治体で公務員への強制の動きがある」と記述しています。

 県教委高校教育指導課の久保田啓一課長は「日の丸掲揚・君が代斉唱」について「教職員の責務だと考えており、(両教科書が記述している)『強制』という言葉は合わない」と主張。両教科書は、不採択の可能性があるために再検討を促したと認めました。

 県教育運動連絡センターの加藤誠事務局長は「教科書の採択は県民の前で公に行われるべきです。審議前に圧力をかけて申請を変えさせようとする県教委のやり方は、採択過程を闇の中に置く不当な介入で許されません」と指摘しています。」(赤旗記事より)
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都教委の傲慢さにあきれかえる

2013年07月15日 08時25分32秒 | 教育を考える
われは真理なり
どこかで聞いた文句だが、こんな理不尽なことも、マスメディアはほとんど伝えていない。
権力を監視する
その役割が果たせないマスメディアは、いったい何を伝えていこうという「気概」なのか。
中立?
そんなものはありえない。
なにを報じるか、選択した瞬間に、すでにどちらなせよ「偏っている」のだから。

長い文の引用だが、ご容赦を。

「2013年6月28日

東京都教育委員会

 委員長 木村 孟 殿

           子どもと教科書全国ネット21

              代表委員:石川康宏・尾山宏・小森陽一・高嶋伸欣・田代美江子・

田港朝昭・鶴田敦子・西野瑠美子・山田朗・渡辺和恵

                〒102-0072 東京都千代田区飯田橋2-6-1 小宮山ビル201

                      ℡:03-3265-7606 Fax:03-3239-8590



東京都教育委員会の特定の教科書排除の見解の議決に抗議し、撤回を求める



 東京都教育委員会は、2013年6月27日の教育委員会会議において「平成26年度使用都立高等学校(都立中等教育学校の後期課程及び都立特別支援学校の高等部を含む。)用教科書についての見解」(以下、「見解」)を、何らの議論もなく「委員総意の下」で議決した。

 「見解」は、実教出版の教科書『高校日本史A』『高校日本史B』について、「日の丸・君が代」(国旗・国歌)に関して「一部の自治体で公務員への強制の動きがある」という記述が「都教育委員会の考え方と異なるものである」とし、この2つの教科書は「都立高等学校等において使用することは適切ではない」と決めつけ、「この見解を都立高等学校等に十分周知していく」としている。この決議後、直ちに比留間英人教育長名でこの見解の議決を都立学校長宛に通知した。さらに都教委は、「指摘した教科書を選定した場合は、最終的に都教委が不採択とすることもありうる」(「毎日新聞」2013年6月27日夕刊)といって、この教科書を選定しないよう強制している。



 実教出版の教科書の「一部の自治体で公務員への強制の動きがある」というのは事実を指摘したものであり、文部科学省の検定でも認められた記述である。それを都教委の「考え方と異なる」として排除することは、文科省の見解さえ否定する「二重検定」であり、到底容認できない。この記述は「強制の動き」のある自治体を特定していないのに、これを理由に実教出版の日本史教科書を排除する「見解」は、都教委が「日の丸・君が代」の強制を行っていることを認めたことになる。

 都教委は、昨年の教科書採択では「情報提供」と称して学校長に電話するなど証拠が残らないように実教出版『高校日本史A』を採択しないよう圧力をかけた。今年の「見解」では、教科書発行者と教科書名を特定し、その排除を公然と要求している。これは明らかに教育委員会の権限を越えた不法・不当な行為である。



 この議決は、都教委による学校現場への不法・不当な支配介入であり、絶対に許されるものではない。教科書の選定は、学校の教育課程編成権に属するものであり、「見解」はこれに乱暴に介入するものである。旭川学力テスト事件最高裁大法廷判決(1976年5月21日)は、「教育行政機関が法令に基づいてする行為が『不当な支配』にあたる場合がありうる」とし、教育行政機関(教育委員会など)が教育基本法(1947年)第10条の「不当な支配」とならないように配慮しなければならない拘束を受けている」としている。この「不当な支配」の規定は、2006年教育基本法第16条でも規定されている。都教委の「見解」及び議決はこの教育基本法第16条および最高裁判決に違反する不法・不当なものである。



 都教委は、学習指導要領に基づいて「国旗・国歌」の指導を行っていることを根拠に、実教出版の教科書を都立高校等で「使用することは適切ではない」としている。前述の最高裁判決は、学習指導要領は「(大綱的な)基準の設定として是認することができる」としながら、「法的拘束力をもって……教師を強制するのは適切ではない」とし、学習指導要領には、法的拘束力が予定されていない部分があること、地域および各教師の自主的教育の余地を十分残していること、教師に一方的教育内容を強制してはいけないことを判示している。特定の教科書を選定から排除することを強制することは、この最高裁判決にも違反するものである。



 都教委の「見解」及び議決は、学校教育法にも違反する行為である。学校教育法第51条(高等学校の教育目標)3号は、「広く深い理解と健全な批判力を養い」としている。この目標を達成するためには、多様な教科書や記述、内容を提示して生徒に議論させ、考えさせることが必要であるが、都教委の行為はそうした機会を奪うものである。都教委の教育行政について批判的な内容を生徒の目にふれさせないようにするというのは、生徒の学ぶ権利を奪うものであるが、同時に、都教委は自分がやっていることの正当性に自信がないことを世間に公開していることでもある。



 都教委の今回の行為は、地方教育行政の組織及び運営に関する法律にも違反するものである。同法23条は、「教科書その他の教材の取扱いに関する」「事務」を「管理し、及び執行する」としているが、教育委員会が議決によって、教科書の採択に介入し、特定の教科書を排除する権限までは与えていない。



 都教委の今回の行為は、教科書採択の妨害、実教出版の営業活動への妨害ということを越えて、さらに重大な出版活動に対する妨害であり、憲法が保障している、言論・出版の自由(第21条)、学問の自由(第23条)に違反する重大な憲法違反の行為である。



 都教委の今回の行為を許せば、「日の丸・君が代」問題だけに限らず、他の様々な記述や内容について、都教委の考えと「異なる」「相容れない」と議決すれば、都教委が気に入らない記述・内容の教科書をいくらでも排除できることになる。例えば、都教委は準教科書『江戸から東京へ』を発行して全都立高校生・都立学校教員に配布しているが、その内容と異なる記述・内容の教科書は、都教委の議決によって排除できることになる。これは、歴史教科書だけではなく、他の全ての教科書にも波及する危険性がある問題である。特定の教科書の排除が許されれば、次には特定の教科書の使用を強制することも可能になる。そのようなことは絶対に許してはならない。



 都教委の今回の行為は、安倍政権がすすめる「教育再生」政策の教科書制度改悪や教育委員会制度改悪を先取りしたものである。



 以上のように、東京都教育委員会の「見解」および教育委員会による議決は、どの面から見ても不法・不当なものであり、そもそも教育委員会がこのような「見解」を議決することはやってはならないことであり、許すことのできないものである。この「見解」の議決に一言も意見を述べないで賛成した全教育委員の責任も重大である。私たちは、これに怒りをもって抗議するとともに、この「見解」および議決をただちに撤回するよう強く要求する。



 私たちは、東京都教育委員会による昨年の実教出版『日本史A』教科書の採択への介入・妨害について、「都教委の高校教科書採択妨害を許さない実行委員会」を結成して、広く世論に訴えて都教委の不当性を追及してきた。私たちの追及によって、採択への介入・妨害についての不当・不法性について追い詰められた都教委は、教育委員会の議決によって、その行為の正当性を示そうとしたものと思われる。しかし、これによって、都教委の不法・不当性はますます明らかになったといえる。私たちは、広く世論に訴え、都教委の不当な教科書採択への介入・妨害をはじめ、教育行政全体を追及する取り組みをすすめていくことを表明する。」
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移動教室に同行してーー悲観して帰校

2013年06月08日 18時18分21秒 | 教育を考える
八ヶ岳に、六年生の移動教室の付き添いで、お手伝いに行ってきました。
一言で言うと、落胆、悲観。あ、二言ですね。
このまま私が教師を終えるのだとしたら、これまでの私たちの実践はなにも生かされないでしまったのだと思い、重い気持ちで帰校しました。
素敵な思い出を創り出すために、知恵を出し合い、個と集団の力を寄せ集めて計画、実行していく。
それが、この移動教室のねらいだと思います。
自律、自治の力を生み出すには、うってつけの行事です。

しかし、この三日間で、担任、校長が一番に主張していたことは、
※勝手な行動はするな。
※しおりのスケジュールを見て、五分前行動をしろ。
の二つでした。
班長会議もあるにはありますが、班員の健康状態の報告、明日のスケジュールの確認のみです。
一日の最後の打ち合わせも、だれさんは山で足が痛いと言っていたけど、あれわがままよね、あの子、要注意だわよ、上履きが揃ってないから徹底させましょ。そんな意見、感想ばかり。
私の担当したクラスには、ちょっと周りから浮いた、「つっばり」の女子がいたり、いつもなにかをするたびに、担任の顔色を伺う自信なさげな男子がいたり、毎回言葉の揚げ足をとって、小競り合いを繰り返していたりしている子がいたり、と、この移動教室で、みんなで考え、取り組むべき課題がたくさんあるのに。

とにかく与えられた課題を、そつなくこなす。これが、至上命令なのです。

そんな中でも、子供たちは逞しいものです。
就寝時刻後の非合法活動、部屋間の交流などは、昔も今も変わりません。

受け身で従順な子供養成計画。
かわいそうに、子供たちはそれが当たり前だとして、ひたすら一糸乱れずに生活、行動していく。

問題なく終えてよかったですね。
言われたことをよく守れました。
そんな言葉が、管理職から出てくるようでは、学校の堕落が、来るところまで来たなといった絶望感しか残らない。
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はいたつです の馬鹿馬鹿しさ

2013年05月11日 01時02分04秒 | 教育を考える
「学習指導については、様々な課題が見られます。「はい・立つ・です」については、地域の皆様、教員の肯定率が大変低いです。「はい・立つ・です」とは、毎時間の授業規律の一環として、全校で行っている取組です。児童が指名されたときは、「はい」と返事をして「立ち」「~です。」のような丁寧な言葉で最後まで発言をする、というものです。教員の児童への指導が、十分に徹底できなかったということ
でしょう。(杉並区立松庵小学校 学校だより 2013 1月号 副校長 巻頭言より)

「①授業規律を浸透させます
名前を呼ばれたら、「はい」と返事をする、そして「立って」発言をする、発言の語尾は「……です」というように丁寧な言い方をする、などの授業規律をしっかり身に付けさせます。授業規律がきちんとすると、学習効果が高まります。」(東京 小平14小 学校経営方針)

「数値目標
1. 生活目標に対し努力したとプラス回答する児童が80%以上
2. 友だちに思いやりを持って接したとプラス回答する児童が80%以上
3. 勉強がよくわかると思うとプラス回答する児童が80%以上
4. 前学年より読書量が増えたとプラス回答する児童が80%以上
5. 集団生活のルールを守るとプラス回答する児童が80%以上
6. 元気よく安全に気をつけているとプラス回答する児童が80%以上」(国分寺市立第五小学校 平成24年度 学校経営計画)

「学力の向上を図る ・「はい、立つ、です」などの学習のルールをしっかりと身につけさせる。そのためには、授業開始や終了の時刻を守る。授業のはじめと終わりにはあいさつをしてけじめをつける。机の上には必要な物だけしか置かない。体をきちんと先生や友だちに向けて話を聞く等の学習規律を各学級で徹底をする。」(立川市立松中小学校 平成24年度 学校経営計画)

「●発表の仕方「はい。」椅子をれて「立つ」「~です。」「~ます」を身につける」(中野区立西中野小学校 西中野スタンダード(案)」

「黙って 手を挙げ、名前を 呼ばれたら、「はい!」といって 立つ。そして、答える。学習規律の 一つです。」(ようこそ高辺台小学校1年生のページへ)

「《発表の仕方》 ・だまって手をあげる。 ・「はい。」と、はっきり返事をする。・「です。」「ます。」と、最後まで話す。」(兵庫県 新温泉町立照来小学校 研究・研修のページ)

「授業 規律 はい たつ です」で検索をかけると、出てくる出てくる・・・とにかく引用しきれないほどの「はいたつです」のオンパレードです。
どこもかしこも、「学力向上のために」「規律ある生活のために」、これを徹底しますと、外に向かって約束をしています。
薄ら寒い風景。

中には、すべてのクラスで、この「発言の仕方が統一されて実践されている」ところもありました。

ひとつの型として、それはそれで支持して行うことは、まあいいでしょう。(「まあ」と書いたのは、私はそれに賛成しないからです。あまりにも薄っぺらで、従順な子どもこそ理想だといっているに等しいからです。見た目はたしかにいいかもしれませんが、これが崩れれば、学力の向上はあきらめるしかないというのは、あきらかに間違っています)

ちなみに私のクラスでは、
「最後まで話をよく聞きなさい(聞かなければ、あなたにとって価値があるかないかはわかりようがないから)」
「考えたら、頑張って発言してみよう」くらいの約束しかありません。
つまり、
「黙って」手を挙げる必要はありません。「先生、質問でーす」「ちょっと先生、いいですか」「あっ、それわかりました」
先生、反対の意見があります」と言って手を挙げています。黙って手を挙げられたら、私の交通整理がしにくくなります。

「立つ」ことも絶対ではありません。どんどん意見を出したいときは、座ったままで発言させます。椅子をきちんと机の下におさめて・・・いるうちに、間の抜けた時間が経ることになってしまうからです。

最後の「です」くらいは、エチケットとして使おうや。そんな程度の推奨です。

前述しましたが、これは「子どものため」というよりも、「親の受けがいい」「担任の思い通りになる」といった側面の強いもの。
「素直でいい子」「従順な子」
その程度の子しか創出されることはないでしょう。


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2人の「期待の星」は 権力に巻き込まれてしまうのか

2013年04月28日 10時41分51秒 | 教育を考える
 今回は初回とあって、まだ何も発言できなかったのか、また発言したが受け入れられなかったのかは、まだ分からないが、2人だけに「活躍」に期待するのは、委員会の構成からして、なかなか難しいものだと思える。
 それを支える、周辺の支援、情報の伝授など、周到な「準備運動」が必要だろう。

「4月25日、都教委定例会の傍聴席(20席)はほぼ満席だった。「君が代」処分への関心の高さをうかがわせた。冒頭の報告事項を終え、いよいよ非公開の処分議案に入る直前、傍聴者の中から「君が代処分をやめてください!」の声があがった。複数の人が「処分をするな」「減給は違法」などのボードを持ち、教育委員に訴えた。この日、都教委は、今春の入学式で「君が代」不起立をした3人の教員に対する処分を決定した。3月の卒業式に続き、連続5回目の不起立をした田中聡史さん(都立板橋特別支援学校)は減給10分の1・1ヶ月、他の二人(都立大森高校)は戒告処分だった。昨年2012年1月の最高裁判決で、減給以上の処分は原則違法とされたにもかかわらず、都は3月に続き田中さんへ二度目の減給1ヶ月の処分を言い渡した。

最高裁判決以前の「君が代」処分は、戒告、減給1ヶ月・6ヶ月、停職1ヶ月・3ヶ月・6ヶ月の順に加重されていった。今回、都教委がこの累積加重処分に踏み込めなかったのはなぜだろうか。最高裁判決の重みとともに、直接の申し入れや電話・FAX・メールで届く「処分をするな」の元教員・市民の声、「東京新聞」特報欄の(君が代不起立)再発防止研修批判などが、都教委に少なからずプレッシャーを与えたことは十分考えられる。処分を繰り返す都教委が何よりも恐れているのは世論なのだ。

今春、猪瀬都知事は二名の新教育委員を任命した。(教育委員は全部で6名。他に内館牧子、竹花豊、木村孟委員長、比留間英人教育長)。一人は、女子柔道の暴力告発問題でサポート役を引き受けていた山口香氏。もう一人はイジメ問題などでマイノリティーの立場から積極的に発言をしている乙武洋匡氏だ。これらの問題では、まっとうな人権感覚を発揮した両氏が、基本的人権の中でも最上位におかれるべき「思想・良心の自由」に対してはどのような態度をとったのか。定例会の議論の内容はわからないが、少なくとも教育委員の一員として、両氏の責任は免れない。「みんなちがって、みんないい」(乙武氏のことば)の中身が問われている。 (佐々木有美)」(レイバーネット日本)
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体罰と権力関係

2013年04月27日 22時20分17秒 | 教育を考える
 少なくとも、私の受けた教育、経験した学校生活の実態とは、かけ離れた数字である。
 「二倍を超え」たといっても、これは調査活動が強まったからであり、「増えた」ことにはならない。

 私の小学校時代には、私語をするとチョークを投げる男の先生がいたし、当番などで遊んでいると、次の授業が始まってもずっと廊下に立たせている女性教師もいたし、子どもの前で「お前はバカだ」と罵倒することに、生き甲斐を感じているようなおじいさん先生もいた。
 さらに中学校では、イーゼルを投げつけ、気にくわないと拳を振り上げて殴りかかる美術の先生がいたし、ここにもチョークを投げつける先生、宿題忘れには「往復びんた」をお見舞いする、若い男性の先生もいた。
 私だけが、「体罰」の濃縮された環境にいたとは考えられないから、全国で考えれば、あと一桁や二桁は多くなるに違いないと予想できる。

 「生徒・児童と教員とが、権力関係にあることは当然のことであるから」として、体罰を肯定する議論があるが、それは暴論である。たとえ、もともと「上」と「下」があるとしても、それだけから体罰を容認することはできない。


「平成24年度に全国の公立小中高校で体罰を行った教員は、今年1月末段階で840人に上り、23年度(404人)に比べ2倍を超え過去最多となったことが26日、文部科学省の調査で分かった。大阪市立桜宮高校の男子生徒が自殺した問題を受けて緊急実施。体罰への社会的関心の高まりを受けて学校現場での把握が進んだとみられ、これまで多くの体罰が見過ごされてきた実態が浮かび上がった。

 今年1月までの10カ月で、各教育委員会が把握した処分済みと処分検討中の教員を集計。文科省は子供や保護者にアンケートして24年度全体の件数を再調査するよう求めており、今後大幅に増える可能性が高い。国公私立全校の結果とともに6月に公表する見通し。

 体罰の内訳は中学校が416人で最も多く、高校が220人、小学校が189人、特別支援学校が15人だった。1人の教員が体罰を複数人に行ったケースもあるため、被害児童・生徒は1890人に上った。

 体罰を行ったのは、小学校では授業中が51%で最も多かったが、中学、高校では部活動中が最多で、それぞれ32%、42%だった。

 「打撲」を負わせた教員は99人で、「外傷」が64人、「鼓膜損傷」が30人、「骨折・捻挫など」が23人。3分の2のケースでけがはなかった。

 体罰の内容は「素手で殴る」が479人と処分対象者の6割近くを占めた。「つねる」「頭突きする」「給食を食べさせない」といったケースもあった。

 体罰把握のきっかけは、最多が「教員の申告」(39%)で、「保護者の訴え」(36%)などとなった。

 都道府県別では大阪の96人が最多で、福岡77人、岐阜64人と続いた。一方、岩手はゼロで、ばらつきがみられた。文科省は調査前から自主的に把握に努めるなどした県は件数が多くなったとみている。

 文科省は「これまでは『これくらいなら許される』という考えもあったと考えられる。今後も体罰禁止の取り組みを徹底させていきたい」としている。」(産経)
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