昭和57年頃に、春の立山へスキーにお誘いしたのが群馬県・赤城山の麓にお住みになっているO先生でした。自分がスキーをする中で、人間的にも、スキー技術指導的にも立派な人だった先生をお誘いし、極楽坂のMさんに同行して頂き一ノ越まで春スキーに行った時のものです。当時の年齢78歳だったと思うが・・・・
気圧の関係で、中々、足が進まないのだが・・・・周囲に迷惑を掛けないようにゆっくりと歩いて一ノ越へ、もう少しのところまで来たが足が進まないので、早めに行って自分の荷物を置いて先生を迎えに行き、先生のスキーを背に担いで、後、200歩で着きます。と、感で言った所、先生は、小さい声で歩数を数えだして御出でになった。一ノ越山荘の前に付くとぴったり200と声が出てくる。おおらかな人だった。
晴天の立山の風景を堪能されて、帰りは、一の越から室堂、天狗平、弥陀ヶ原へとスキーを楽しまれたのです。スキーの姿は年齢を感じさせない姿でした。
バックは一の越山荘
スキーは、ワールドカップに使用したスキーと同一のものだった。スキーのベンドに触れると柔らかく、余韻の残る振れするものだつた。私のは、ピンと跳ね返っても余韻のないものだった記憶がある。其れ以後は、自分の体重を支えるスキーにはトップが柔らかく、テールも少し固めモノもを選んで乗ったものだ。
後日、O先生がお亡くなりになったと聞き、暫く、寂しい想いと、あの時の立山での楽しいスキーが最後だったと知る。奥さんも元気だろうか・・・・
我が身も、まだまだ、先生の様な心境になる日が来るのだろうか。
今年は、春の立山へスキーに行き、何処まで行けるのか・・・・試してみたい。