Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

Re: 初心に戻る事を決意、これからは、Eメール主体の付き合いを宣言!武士に二言はない!

2023年11月07日 12時45分19秒 | 人生訓・人生論・人の生き様・年末年始賀正・正月祝・祝誕生日・記念日・祝祭日旗日
以下に示す文章は、或る方に送った私とのEメールでの会話、お話の文章です。
私の「有言実行」行使実践の観点から、これを、発表公表する事に致しました事を、ここに布告致します。これは極論に近いかも知れませんが、私の気持ちは、非常に固いです。もう、無駄な軋轢、争いは結構です。私のこれからの半生は、「平和主義者」でゆく事等々を、先週の土日の総本山で御祈り、願掛けをして来たばかりです。今はそれを着々と、粛々と、実践実行に移すのみです。
如何に、大御本尊様が凄いか、その実験・証明となるように、善因善果の、良縁による良い結果がこんこんと生まれ出ずる事を、この場を借りて公表公言し、正に法華経の行者の祈りは実践行だとの感を呈して実感致して居る最中で御座います。長文失礼。

(kさんからの返信)

すべて諒解です。でも、そう極端に走らなくてもいいのでは?指定時間にはいつでもどうぞ。(短文で失礼)

2023年11月7日(火) 1:14 
初心に帰り、相手を思いやる仏法の慈悲の精神から、
Kさんとの情報のやり取りは、
余程の事がない限りにおいて、
メールを主体にしたいと、今日、決めました。

武士に二言は許されません。

そんなに、他人様をコワがらせる、
電話の着信音とは、それ程コワいのか。
私はまだ実感としては、余りないものの、

想像力を巡らせれば、ジョンレノンのイマジン、
なんかも、「想像してごらん」との歌でありまして、

想像すれば、相手他人の痛みの何分の一かは、分かろうというもの。

しかし、今までは、私が長文のメールを書くのに、
それに対する見返り、というものを求め過ぎた私が悪かった。

スマホで、実際にメールを書こうとすると、どんなに苦痛か?
知らなさ過ぎた。

だから、一言居士なんて言っても、
回答があるだけまだましであり、

私が長文を綴るから間違いなのであって、
その返答者には問題も間違いも一切ない。

そんな損得にこだわるのはしみったれた、
けちん坊、慳貪の罪に堕するだけと見抜いた。

一言居士でいいじゃない。
何か問題でもおありか?

私が長文書くのが趣味みたいであり、
それが電話で話すと皆が迷惑していた。

それを、Eメールなんて知らないから、
ショートメールで福祉関係者に送っていたら、その度ごとに、
電話が鳴り、ノイローゼになりそうな感じであったその御方。

それで、なるべくEメールにしたら、
その方が騒がなくなった。

Eメールの存在は大きかった。

その関係は、私が、ずっと、これは、ガラケー携帯を久しく使っていたせいもあったようなのだ。

これが、この仕組みに気付くには、スマホを買う前から何とか知ったが、
ガラケー携帯の携帯専用Eメールが六つもブロック装置が掛かっていたせいもあったのだ。

これをauで解いてもらい、やっと、スマホやパソコンへの、
ガラケーからのEメールが可能になった。

しかし、時代は今や、スマホだ。
この武器を使わねば、との思いで、購入したが、

それが第二の仇(あだ)となり、それが今の他人様からの甚大なる数々のクレームが私に突き付け寄せられ続ける原因ともなった。(人迷惑もいいとこ)。

そこで、一番最初の頃に、今から、六、七年前ほどに、
Kさんと出逢った頃に戻って、詰まりは原点回帰で、
 
「親しき中にも礼儀あり」「初心に還れ」である。
 
「メールを主体としたお付き合い」これに戻ろうと思い立った。

そんなに電話って恐怖の元となるのか!この恐怖感は、福祉関係者からも嫌になる程、私が聞かされた。

それに対する、想像力、イマジネーションの欠如。鈍感性。これは病気の一種、性格の偏り、と言っても良いだろう。

とにかく、今日からは、冠婚葬祭以外の電話は極力避ける。その積りで、やってみる。
それが人情を持った人間と言うものだろう。それが出来ない者は人間じゃなく、人非人だ。

とにかく、私は行動に踏み出す。

先程も申した通り、武士に二言はない。ここまで来たら、私も男だ。潔く、やってやろうじゃないか。

又もや長文失礼ではあるが、解答、返事が来ないのは良い便り。
そんなものに期待して、見返りを持ったり待つほど、私も愚かじゃない。

人に嫌われるような事はしない、するな、とは、孔子様も説いた、儒学の論語の教えだが、
立派に、仏教が広まる助けを、ツユ払いを、孔子は説いた。

私も孔子が説いた様な「君子」「大人(たいじん)」とは成れなくても、そう成れるような努力はし続けたい。

余り長文を書くと、人様にも非常に失礼であり、私が長文が幾ら好きだからと言って、
それに目を通す人がどれほどいるのか疑問だ。

だから、私はこれからは、「短文の名手」を目指したい。
これだけ長文の駄文を重ねる者がどれだけ本当に出来るか。
今から自己自身の成長進化を楽しみにしている。

以上。よしなに。wainaiより

Kさんへ

尚、Kさんへ、この文章、氏名等、個人情報は抜きにして、私自身のブログに公表させて下さることを、御許し願います。自己自身への、ウソ偽り無き「有言実行」の為に、天下に発表して、自身の励みとするためです。宜しいですね!

※編集後記
「一言居士」、というのは、広辞苑によりますと、何事も自分の意見を一言しなければ気のすまぬ性質の人。とありまして、完全に私のここでの用法は間違いであります。敢えて、ここでは、恥じ入りますが、誤用のまま載せときます。以上。


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