Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

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私の福島県立安積高校受験時代についての想い出

2022年11月08日 19時26分05秒 | 学校・教育特集・学生生徒時代の想い出
(これも、或る方へのメール送信記事だが、自身の希望に満ち満ちた?!中高生、高校受験時代の事が載ってる記事なので、想い出として、のっける事にした。のっける意味は、在ると思う。以下、その文章が続く。)

今日は私の中学校から高校受験のお話をしたい。
確かに、私は中学校時代、英語と数学が大の苦手科目でした。
では、そこからどうやって脱却したか?私ら母子の本当の戦いが始まります。
まず、私は基本中学では劣等生でした。
今言ったように、英語と数学はからきしダメでした。
しかし、他の教科、国語と社会と理科は大得意で、オール5でした。
私は基本、暗記物に強かったのです。
しかし、当時の中2の担任の先生は、私に岩農、岩瀬農業高校の進学を薦めました。私の学力の低さと、私の家の家業がペット屋だった為でした。
私と母はその時、岩瀬農業とはどこにある高校かと担任の先生に聞きました。
すると、福島県は鏡石町と聞いて唖然呆然としました。
そんなにうちの息子は馬鹿だったのかと。
ここから母と子の二人三脚の塾探しが始まります。
まず近所である事。不得意な英語と数学を教える教室である事。
そして、とうとう、母子ともに念願の塾を見つけ、通いだします。
それからです。私の成績がうなぎ登り、学校でもごぼう抜きの快進撃を見せたのは。
まず、県立郡山高校が眼中に狙える程の成績を修めました。
これでも足りず、尚も私は上を目指します。福島県立安積高等学校でした。
私は、その、郡山市立大槻中学校を大変優秀な成績で卒業致します。うちの校長先生も常に私の頑張りを褒め、我が校始まって以来の、劣等生から優等生に押し上がった生徒だと、びっくり為されて居りました。
三月に安積高等学校の受験試験を受けました。余り手応えがなく、私は落ちたものだとばかり思い、受験後、考えて居りました。
合格発表の日、私は敢えて、安高の発表には行きませんでした。とても受かる自信など無かったからでした。
その頃は、ラジオで、合格者速報という番組が、丁度昼11時か12時頃から、ラジオ福島で全県放送されて居りました。
私はかじりついて、イヤホンでその放送を聞いていました。
郡山地区は、最初に安積が真っ先に放送です。俄然、ラジオのボリュームも大きくなります。
段々男子の名前が読まれてゆき、私の中学校の生徒名までに達して行きます。
私は他人事のように、あの人も受かったんだ、当たり前だよな、あんなに勉強してたんだもんなあ、とこの時はあくまで他人事でした。
いよいよ、私の受験番号に差し掛かりました。
アナウンサーが、受験番号○○番、氏名○○、と言って私の名前が呼ばれた時に、その時ふて寝して布団に寝ていたものですから、驚いて飛び起きた訳です。やったー、と。
うちのお母さんも、最初のうちは、発表見に行かないと駄目よとは言って注意して叱ってはいたのですが、息子の自信のなさに、こりゃダメだと諦めていました。
突然大喜びしている私に父も母も、早く安高行っておいで、と、これも又、大喜びでした。
でも、一番に喜んでいたのは、犬なりに、何も分からないんだけども、ワンワンと吠えて、私にじゃれて来て構ってくれた、あの犬、シェルティー犬のメス犬、ラッキーだったんじゃないか、ご主人様のご機嫌な様子に、犬まで機嫌が良かった。
あの犬は正に、人が喜ぶとそれを二倍にし、人が悲しむと半分にする。
あの犬は、うちでは大変賢く、主人孝行だったので、きっと亡くなった今は、人間界に生まれて来ているんじゃないかと個人的には日々、思い続けて何十年も経つ。
以上。よしなに。wainai.


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