Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

『一語間違えたら死ぬ』のブログ記事、Kさんへのコメント

2023年02月24日 23時51分36秒 | 日蓮正宗無量山寿海寺・菩提寺・末寺・お寺・僧俗一同・僧俗一致
この時の御発言の、元となったのは、恐らく、私です。私は、私も、郡山市の、無量山寿海寺の信徒です。
この時、私は、お寺を、親睦の場、娯楽の場と、どうかしていましたが、勘違いして、自宅から、小型PCを何とお寺に持って来て、いつもの如くに、これまた謗法臭く、音楽など掛けたり、自身が、ネットからダウンロードした、動画等を、皆の前で見せつけて居りました。今から、六年位前の話です。
そうした所へ、その時(我がお寺にとり、女性初の)講頭だった方から、お叱りを受け、私は言葉に詰まり、その時、だれがこう言っていた、とか、誰それから、こんな言葉を聞いた、といった、言い訳がましく言い募り、その場が騒然と致しました。
その時に、私は、直接、このブログ主の、ブログ作者の方とは、非常に面識があり、このブログの、舞台裏を知り抜いた者でありますから、今になって、種明かしをして居るので御座いますが、その時、さっと立ち上がったKさん、OKsureさん、が、私を手招きして、お寺の奥の間に私を誘い込み、その場の難を逃れさせると共に、ある一言を、その時、Kさんは仰られました。
Kさん「私が、怒っているように、貴方は現在の今、正直な所、思っていますか。どうですか、どう思っていますか?」
との私への問いかけ、質問でした。


私は、その時は、まだ、このお寺、寿海寺にては、まだ入ったばかり、入信したての、よちよち歩きの子供同然でしたから、勝手が全然分からない訳です。しょうがなく、とても、Kさんが怒った風には見えませんでしたが、何となく、の返事で、
「怒って居るように、理解しています」と答えてしまいました。
それに対して、このブログ作者のKさんは、
「そう、誤解させてしまっている、私の方が悪かった」と仰られ、何か、私は、大変な誤解を与えてしまった、との後悔の念を抱きました。
それから、Kさんは、私のその時の、皆への対応、言葉遣いを、大変に、ご指摘為されて、
「貴方は、先程、皆の前で、『誰それからこう聞いた』とか、そういった、○○さん(私の事)の話は、いつ聞いてても、『伝聞』の域を出ない。詰まりは、自分の言葉で貴方は、自信を持って語ってはいない。それが、貴方の、人に誤解を与える、悪くて、非難を受けかねない、一つの、クセの様なものです」と厳しく仰る。


私は、訳が判らなくなり、その場で取り乱し始めて、その部屋にあった、今年のカレンダーをおもむろに見詰め、見つけて、こう言った。


私「今日は日取りが悪い。今日は、縁起が悪い日だ、きっと仏滅かなんかなんだろう。うちのお母さんも、一所懸命に、占いに凝り、その、高島暦に凝って、だいぶ、縁起を担いでた。その息子だもの、当然、日取り、縁起を担ぐよなあ」といってうそぶいた。


これには、Kさんは、唖然として、声が出ず、あっけらかんとして、私を、憐れむように凝視したまま、沈黙の時が流れた。それから、一呼吸おいて、言った。


Kさん「とにかく、今、お寺で、お寺は、遊びに来るところじゃない。修行をする場所、道場だ。
私が、若い、学会員時代も、その時、皆で、カラオケに行ったり、飲みに行ったり、皆でワイワイ盛り場に繰り出し、その頃は騒いでいたものだ。
しかし、信心とは、関係が全くなく、学会は、何か勘違いをしていたんだろうね。学会は、そんなところからも、間違いの、ほころびの様なものが、当時からあった訳だ。
だから、そんな、学会の時代を懐かしむようになってしまったら、それこそ、謗法に近い、自分が、魔にやられている証拠だ、との、○○さんの自覚が、欲しい所だ。魔にやられている、最中なんだとね。」
と、Kさんは、そう言った。


私は、妙に、このお寺では、皆が、私を、実際に、何だか、皆が折伏主の、親玉になってくれているような、常に、親近感を、私がいつも感じさせて頂いていて、何かお礼を言わなければ、というような、このお寺に限らず、日蓮正宗という、宗派自体が、何か厳かな、威厳に満ちていて、そして、一番、入ったばかりの新入信徒に対して、心が籠った、心憎いばかりの『育成』『人材教育』『共に励まし合う、日蓮正宗』といったものを、一人になった時にも、いつも皆と居る時にも、常に実感として、私の胸には在った事柄であった。
それは、極めて、私などの、宗教、仏教、日蓮正宗を信じ始めた者には、大変に、頭が下がる程、有難かった。いつか恩返しがしたい、と思わしめる、最高の我が身が置いている環境であった。
ここに書いている事は、幾分のズレも無く、皆真実である。誇張も宣伝も、何も無い。創価のやり方が、幾分、ズレていて、ズルく、ウソまみれ、何も肝心の、日蓮大聖人様の事なんて、ちっとも話題にも出ない程、いかにも謗法まみれの団体かが判ろうというもの。
私は、ここに書かれた真実の、生き証人である。Kさん、私のブログへ転載許して!
(K様、Kさんから、先程、許可・許諾は、二つ返事でメールで頂きました。どうぞ、との事でした。私は、急ぐたち、待ってられないたち、なので、見切り発車で、転載してしまいましたがねえ)



以上。よしなに。wainai、長文失礼します。


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