Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

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私達、母子(おやこ)は、元々をたどれば、西国出身者

2023年06月28日 05時01分39秒 | 福島県・郡山市、他、東北・関東地方・栃木他神奈川東京東海地方・日本全国津々浦々
 何度も言ってるが、私の母方の祖父は、鹿児島県は奄美大島出身である。
 母もその血筋を受け継ぐ。当然、私も、同然である。
 祖母は、江戸生まれ、東京出身であった。
 母は常々、私は、それから、あんたも(私の事を指す)西の方から来た者なんだよ、と言い聞かせていた。
 だから、母は、東京生まれとはいえ、関西、京都、奈良、大阪の地理、歴史、文化、にも、造詣深く、関心を示した。
 私が、関西の、大阪の人は特に、「パン」を食べる時、東京の人は、意外とけち臭く、八枚切りのパンを好むが、大阪人は、これが不思議と、六枚切り、四枚切りなどと、パン一枚の話だが、分厚いパン、全然ケチじゃない、大盤振る舞いなのを、ラジオだか、テレビで、それら情報を仕入れて、母に話すと、母は、私も、どっちかというと、大阪派だわ、といって、大阪、関西の肩を持った。
 とにかく、母は、けち臭いのが大嫌いである。うちの父は、父の父、私の祖父が、一代で、巨万の富、というと大げさだが、地元でも、大地主になったのも、その祖父は、凄いケチで有名であり、中々掴んだ金を、離さない。それを、その祖父が、つまり父の父が早くに亡くなった時、日本国では、戦後、民法が変わり、今までは長男が遺産の全ての相続を総取り、独り占めだったのが、父の頃になると、兄弟で共同で、均等分割相続制度に変わってしまった。
 父は、長男だったが、腹違いの弟や妹たちと、何分の一かの、財産を父の父からもらった。
 これが、父は面白くなかったようだ。たった、数年で、自分の取り分が、戦後GHQにより、世の趨勢が変わってしまったのだから。
 だから、父は、早速、その財産を、どうやって切り崩したのか、あっという間に、使い果たしてしまった。ケチでは父は決してなかった。
 その、祖父、父の父は、凄いケチだったが、その傾向を強く持ったのが、父の腹違いの弟。これは、やはり、私の祖父の遺伝を強く受けたみたいで、未だに、その父の地元の、東北地方福島県本宮市に行くと、その弟の、家屋敷の構え方、田畑が、凄く豪勢で、往時を偲ぶ程、金持ちなんだなあ、と、こちらは、今まで、思い続けた。
 そんな我が家の父の姿を見て、私などは、バカなことやったなあ、これは、母もおんなじだったが、その父の、財産の使いっぷりにも、母なりに、この人を支えなければ、と、思い致したようだった。
 母も、母で、母は、その、昭和の頃、地道に、女一人で稼いで働いて、一軒家を東京町田市に於いてささやかながら、個人で親の応援も一切無しで、構えられる身分にまでなる。だから、父が、行商で、母の家に初めて行くと、その、母の母、詰まり、おばあちゃんが、私の父を大層気に入り、母の写真などを、母に無断で、父にあげてしまう。それからは、御察しの通り、父と母との出逢いと成り、私が誕生する。
 とにかく、母は、ケチな人が大嫌い。私は、父の父、祖父の影響を受けているらしく、母から見ると、どうしても、ケチに見えるらしい。それを、よく、母には、「あんた、ケチだねえ」と指摘されるのが、常であった。
 それ位、うちの価値観では、ケチは御法度なのである。お金も、常日頃から、堅実に、貯めて置く事は奨励されたが、いざ、入り用ならば、パパッと、後先考えずに、大胆に、使い果たす事が、我が家の美徳である。
 だから、大阪の人、京都・奈良の関西の人達が、普段はケチなんだが、いざとなったら、バーッと、気前よく、お金を使う生き方が、母をも共鳴、同意、同感、賛意をいだかせた。
 そうして、けれども、母は、どちらかというと、普段の実生活上も、ケチは戒めていた。
 また、東京、江戸っ子は、お金に対しては、宵越しの金は持たない、とはいうものの、それは見栄っ張りであり、わざと、無理している所が、自分に負荷をかけてまで、虚栄心にまみれているのが、堅実ではなく、母にとり、母も東京出身者ではあったが、その一点だけは、嫌いだったようだ。
 母は、私も、私らは、西から来た、西国出身者と同じなんだよ、と、常々言って、私に語って聞かせていたのを、今も思い出す。

以上。よしなに。wainai


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1 コメント

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Unknown (wainai123753)
2023-06-29 17:53:46
うちは少し、人のうちとは違うなあ、とは常々思っては居りましたが、余り疑問視もしませんでした。
それが当たり前。私がケチなのは、あんまり、治ってはいない気がしますが、母は、そこを、そういう私を見ると、すきあらば、「ケチだねえ、アンタは」という、声が必ず飛んでくるので、つい、母の前では、大盤振る舞いとなってしまっている事も有るのです。
少し、サイフのヒモを締めなくちゃ、と思っても、母に掛かれば、その思いは、消えてしまう。
でも、お金も、大事に使うならば、無駄遣いでなければ、大雑把に使っても良い、というのが、母の求める所であり、母にはいつも、一本取られたな、と、親子間では、思い致して居ります。
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