※あくまで一個人感想です。
今後も追記・削除を含む変更あります。
※一部読書メモと重複します。
内容に関わりますので未読の方はご注意ください。
読み出して数日、かつて「世界の終りとハードボイルドワンダーランド」を
半日で読み終わった自分はもういないんだな、と気づくところからスタート。
なかなか集中できなくなっている自分が面倒。
これって年齢なのかな?とも思うし、強烈なドーパミン体験をイタプロでしてしまっているその反動もあるだろうし・・・でも、なによりも「対村上春樹バリア」のようなものが自分の中に確実にできてしまっている。
村上作品のいくつか(「ねじまき鳥クロニクル」「神の子どもたちはみな踊る」あたり)には、ひどい傷をおわされた(その傷自体が、私にとっての春樹価値を高めてしまうというアンビバレントな状況をちょっと面白く感じつつ)その強烈なマイナス記憶のせいで、どうも脳にダイレクトに情報がいかないように大量のチャフがばらまかれてる感じ。
そして、指定音源(?)がかえって物語世界を固定してしまって色がつく。
それが目的かもしれませんが、どうも好きな色ではなくて。
なので(ファン失格でしょうが・・・ってファンなのかなぁ??)
自分の好きな音源に切り替えたらやっと物語に入ることができました。
初期感想:
物語よりも、重箱にきちんと納められた言葉の質感と配置を楽しんでいる感じ。
きちんと発音された言葉のように、意味を届かせる作業。
ゆっくりとたんねんに選ばれた言葉を辿ります。
・・・だったのですが、いつもの春樹氏のヰタ・セクスアリス欲求(?)が出てきて、急ブレーキ。
うーーーーん、彼の作品って、ある意味、この欲求のバリエーションではないかと思える。
独特のにおい(プレ青年臭とでもいえばいいのでしょうか?少年期からの永遠の過渡期のようなとどまり感・・・カフカ君でも相当きつかったんですが;;)のある性欲バナシは、あまり得意ではないのだが、これがないと村上春樹物語にならない、というのもあるのかも。なので、BGMの力をかりて読み下す(推奨音源ではありません)。
物語自体はシンプル。で、個人の存在と他者との関わりの
せめぎあいのような関係が深刻にでも淡々と描かれる。
猟奇的事件とそこに至る狂気を1つ内包しているけれど、
それにはさほど色はついていなくて、かえってモノクロ映像のよう。
それによって個々にゆがんでしまった(らしい)エゴの色合いが主題かと。
あとは、自殺抑止効果?
しょせん、自分ではない他者のために、自分の存在を完全否定するな、
というメッセージでしょうか?いや、その周辺の空気というべきか。
夢が表舞台に近いので、わりと好きだった「アフターダーク」に通じる世界観で、個人的には嫌いではない、というか可もなく不可もない作品に落ち着きました(・・・これって新刊評としてはどうなのか?はさておき)。あ、「1Q84」も夢を紡ぐのでしたか。。。あれはちょっとへヴィだった(ロリ要素が)けど、今回はまぁ健全なのかな、と。。。
それにしてもこの本が爆発的に売れているのが、なにより興味深いです。
で、この作品が、3人称実験の続きだとしたら、登場人物の色とにおいは、どれだけ別の色を与えられていても極めて近い。誤解をおそれずに主観表現すれば、男も女もデルヴォーの絵の中の登場人物のよう。で、春樹作品はそれでいい気もします(どこかクリーンで生々しさがない)。
あ、そだ!19章はちょっと面白かった♪(表現として)。
駅の描写とつくる氏のありようが映像コラージュのようで。
で、読んでると夏目漱石の「それから」を思いだしました。
「忽ち赤い郵便筒が眼に付いた。すると其赤い色が忽ち代助の頭の中に飛び込んで、くるくると回転し始めた。傘屋の看板に、赤い蝙蝠傘を四つ重ねて高く釣るしてあった。傘の色が、又代助の頭に飛び込んで、くるくると渦を捲いた。四つ角に、大きな真赤な風船玉を売っているものがあった。電車が急に角を曲がるとき、風船玉は追懸けて来て、代助の頭に飛び付いた。小包郵便を載せた赤い車がはっと電車と擦れ違うとき、また代助の頭の中に吸い込まれた。煙草屋の暖簾が赤かった。赤出しの旗も赤かった。電柱が赤かった。赤ペンキの看板がそれから、それへと続いた。仕舞には世の中が真赤になった。そうして、代助の頭の中を中心としてくるりくるりと焔の息を吹いて回転した。代助は自分の頭が焼け尽きる迄電車に乗って行こうと決心した。」
氾濫する赤の狂気!
でも、つくるは電車には乗らず、駅をつくっている。
このつきはなし感、対象との距離感が、今回一番の収穫だったかも。
つくるを春樹氏に置き換えれば
この物語は作品をつくることの比喩なのかもしれない、なんて
今ちょっと思いましたデス。
追記:
もう1つ。永遠に続く関係なんてない。
だから今を大切に。
参考:
Liszt, Franz: "Le mal du pays"
マルチメディア化の成功事例
(・・・そして同様にレクサスは売れるのだろうか?)
村上春樹氏の新刊でフィーチャーされたベルマンのリスト:「巡礼の年」
【早くも60万部。村上春樹新刊に登場で問い合わせ殺到、ベルマン演奏「巡礼の年」が今すぐ聴ける】l
Thelonious Monk - 'Round Midnight - 1963
111オススメ音源
EARLY CROSS/Pathfinder:特に6. The Pilgrimage
Blazing Bronze/Dominion of the EAST
※111内「村上春樹」関連記事はこちらからどうぞ
興味深かったレビュー:
【読書感想】色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年(琥珀色の戯言)
深読み「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」(本読みな暮らし)
今後も追記・削除を含む変更あります。
※一部読書メモと重複します。
内容に関わりますので未読の方はご注意ください。
読み出して数日、かつて「世界の終りとハードボイルドワンダーランド」を
半日で読み終わった自分はもういないんだな、と気づくところからスタート。
なかなか集中できなくなっている自分が面倒。
これって年齢なのかな?とも思うし、強烈なドーパミン体験をイタプロでしてしまっているその反動もあるだろうし・・・でも、なによりも「対村上春樹バリア」のようなものが自分の中に確実にできてしまっている。
村上作品のいくつか(「ねじまき鳥クロニクル」「神の子どもたちはみな踊る」あたり)には、ひどい傷をおわされた(その傷自体が、私にとっての春樹価値を高めてしまうというアンビバレントな状況をちょっと面白く感じつつ)その強烈なマイナス記憶のせいで、どうも脳にダイレクトに情報がいかないように大量のチャフがばらまかれてる感じ。
そして、指定音源(?)がかえって物語世界を固定してしまって色がつく。
それが目的かもしれませんが、どうも好きな色ではなくて。
なので(ファン失格でしょうが・・・ってファンなのかなぁ??)
自分の好きな音源に切り替えたらやっと物語に入ることができました。
初期感想:
物語よりも、重箱にきちんと納められた言葉の質感と配置を楽しんでいる感じ。
きちんと発音された言葉のように、意味を届かせる作業。
ゆっくりとたんねんに選ばれた言葉を辿ります。
・・・だったのですが、いつもの春樹氏のヰタ・セクスアリス欲求(?)が出てきて、急ブレーキ。
うーーーーん、彼の作品って、ある意味、この欲求のバリエーションではないかと思える。
独特のにおい(プレ青年臭とでもいえばいいのでしょうか?少年期からの永遠の過渡期のようなとどまり感・・・カフカ君でも相当きつかったんですが;;)のある性欲バナシは、あまり得意ではないのだが、これがないと村上春樹物語にならない、というのもあるのかも。なので、BGMの力をかりて読み下す(推奨音源ではありません)。
物語自体はシンプル。で、個人の存在と他者との関わりの
せめぎあいのような関係が深刻にでも淡々と描かれる。
猟奇的事件とそこに至る狂気を1つ内包しているけれど、
それにはさほど色はついていなくて、かえってモノクロ映像のよう。
それによって個々にゆがんでしまった(らしい)エゴの色合いが主題かと。
あとは、自殺抑止効果?
しょせん、自分ではない他者のために、自分の存在を完全否定するな、
というメッセージでしょうか?いや、その周辺の空気というべきか。
夢が表舞台に近いので、わりと好きだった「アフターダーク」に通じる世界観で、個人的には嫌いではない、というか可もなく不可もない作品に落ち着きました(・・・これって新刊評としてはどうなのか?はさておき)。あ、「1Q84」も夢を紡ぐのでしたか。。。あれはちょっとへヴィだった(ロリ要素が)けど、今回はまぁ健全なのかな、と。。。
それにしてもこの本が爆発的に売れているのが、なにより興味深いです。
で、この作品が、3人称実験の続きだとしたら、登場人物の色とにおいは、どれだけ別の色を与えられていても極めて近い。誤解をおそれずに主観表現すれば、男も女もデルヴォーの絵の中の登場人物のよう。で、春樹作品はそれでいい気もします(どこかクリーンで生々しさがない)。
あ、そだ!19章はちょっと面白かった♪(表現として)。
駅の描写とつくる氏のありようが映像コラージュのようで。
で、読んでると夏目漱石の「それから」を思いだしました。
「忽ち赤い郵便筒が眼に付いた。すると其赤い色が忽ち代助の頭の中に飛び込んで、くるくると回転し始めた。傘屋の看板に、赤い蝙蝠傘を四つ重ねて高く釣るしてあった。傘の色が、又代助の頭に飛び込んで、くるくると渦を捲いた。四つ角に、大きな真赤な風船玉を売っているものがあった。電車が急に角を曲がるとき、風船玉は追懸けて来て、代助の頭に飛び付いた。小包郵便を載せた赤い車がはっと電車と擦れ違うとき、また代助の頭の中に吸い込まれた。煙草屋の暖簾が赤かった。赤出しの旗も赤かった。電柱が赤かった。赤ペンキの看板がそれから、それへと続いた。仕舞には世の中が真赤になった。そうして、代助の頭の中を中心としてくるりくるりと焔の息を吹いて回転した。代助は自分の頭が焼け尽きる迄電車に乗って行こうと決心した。」
氾濫する赤の狂気!
でも、つくるは電車には乗らず、駅をつくっている。
このつきはなし感、対象との距離感が、今回一番の収穫だったかも。
つくるを春樹氏に置き換えれば
この物語は作品をつくることの比喩なのかもしれない、なんて
今ちょっと思いましたデス。
追記:
もう1つ。永遠に続く関係なんてない。
だから今を大切に。
参考:
Liszt, Franz: "Le mal du pays"
マルチメディア化の成功事例
(・・・そして同様にレクサスは売れるのだろうか?)
村上春樹氏の新刊でフィーチャーされたベルマンのリスト:「巡礼の年」
【早くも60万部。村上春樹新刊に登場で問い合わせ殺到、ベルマン演奏「巡礼の年」が今すぐ聴ける】l
Thelonious Monk - 'Round Midnight - 1963
111オススメ音源
EARLY CROSS/Pathfinder:特に6. The Pilgrimage
Blazing Bronze/Dominion of the EAST
※111内「村上春樹」関連記事はこちらからどうぞ
興味深かったレビュー:
【読書感想】色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年(琥珀色の戯言)
深読み「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」(本読みな暮らし)