嬉しいことって誰かに伝えたくならない?
笑えることって誰かに話したくならない?
それなのにつらいことや悲しいことって
どうして我慢してしまうんだろうね?
どうして自分だけで気持ち閉じてしまうのかな?
それはきっと、それを読んだ誰かが
同じようなつらい、悲しい思いをするのを止めたいと
その人が思うから。願うから。
でも、
それを受け止めて一緒に考えたい、って
そのほうが気持ち閉じられるより、ずっとずっと嬉しいって、
そんな輩もけっこういるんじゃないのかな?
ネットは広大だから。
で、笑い飛ばしたり
一緒に泣いたり
時には失礼な暴言をはいちゃうヤツもいるかも、だけど
そこにはきっと“私はあなたを見つけたよ”、“私はあなたを見ているよ”、という
文字にはならないメッセージが含まれているはず。
=================================
ブログについて考える★ブログのコメントについてのコメント
zippa-zappa様のコメントより:
衝撃の告白になりますが、私は1度ブログを消そうとしたことがあります。
別に、荒らされたとかじゃなく、リアルで疲れたときに。
でも、結局消さなかったのは、コメントがあったからです。
京女。様のコメントより:
そして、その記事に対するコメントは共感であったり、反対であったりするのですが、なんらかの意見を伝えてくれる人がいるってことはとても幸せだと思うのです。
自分のブログを見てくれているという意味で。。。
面と向かっては言えない照れや赤裸々な思い、社会に対する意見などもブログを通じてなら、気軽に意見の交換ができる。ある意味、リアル世界でのディベート以上に内容が深まるし、ほんとうに様々な人の意見も聞けるメリットがありますよね。
夢様のコメントより:
何かの番組でやっていたんですが、「花」だったか「果物」だったかな?まぁ、どっちかなんですけど、ひとつはその対象物に対して「誉める」、二つ目は対象物に毎日「罵声を浴びせる」三つ目は離れた「部屋」におき何もしない。
結果、一番最初に「枯れた?腐った?」のは3番目の離れた場所で無視された対象物でした。
ブログのコメント欄もそうだと思います。
何もコメントがもらえないと・・腐ってしまう。
で、で、結局・・あたしのいいたい事はブログのコメント欄はみんなのカウンセリングの場所なのです!!
R様のコメントより:
ブログは本来、実生活の中では出会うはずのなかった人同士を、ほんの一瞬出合わせてくれる奇跡のような存在。
そこで、思いが通じたり、共感したりする喜びに勇気をもらい、また、現実の課題に取り組んでいこうって気合を入れなおします。
(※編者注 そこ=コメント欄)
坦々麺様のコメントより:
コメントに関しては たとえ一時でも 相手の方が貴重な時間を使い 自分へ気持ちを向けて書いてくれたもの
ruko様のコメントより:
特にブログはそのメディアとしての属性からお互いに共感したことに対してコメントをすることが多い
ダラ子様のコメントより:
もしも私がブログを辞めるとしたら、記事は全て残しておこうと思います。もしくはページを保存できる期間を設けようと思っています。
コメントも記事も連鎖していると思うからです。
私のブログに記事やコメントを連鎖してくれている人がいる、それだけで嬉しいので(/ω\)ハズカシーィ
うおこ♪様のコメントより:
コメントに対してのコメントが書かれると、反応してくれたんだなぁと嬉しいです。
それが反論だったり、同意だったり。
更に内容を膨らませてくれたり。
=================================
参加者の皆様、素敵なコメントをありがとうございます!
勝手に編集してしまってごめんなさい。ブログ主特権にて。
(問題あればお申し出くださいませ。)
誰かが誰かのために書いた記事が
「私」を感動させ
誰かと誰かが交わしたコメントが
「私」を微笑ませてくれ、
誰かが1人でこっそりアップした記事が
「私」を考え込ませ
誰かが考え込んでつけたコメントが
「私」に記事を書かせる。
そしてその記事がまた誰かにコメントを書かせる。
そして・・・・・∞
こんな関係、
リアルではめったに体験できなくない?
だからブログが大好きです!(少なくても今は。<オイオイ!
コメント交換してきた、している、するだろう
たくさんのブロガーとの出会いに感謝。
追記:
私にこの記事を書かせてくれた元記事です。
いつも燃料投下、ありがとうございます。ゼットン様。
ちょっといいFLASH
笑えることって誰かに話したくならない?
それなのにつらいことや悲しいことって
どうして我慢してしまうんだろうね?
どうして自分だけで気持ち閉じてしまうのかな?
それはきっと、それを読んだ誰かが
同じようなつらい、悲しい思いをするのを止めたいと
その人が思うから。願うから。
でも、
それを受け止めて一緒に考えたい、って
そのほうが気持ち閉じられるより、ずっとずっと嬉しいって、
そんな輩もけっこういるんじゃないのかな?
ネットは広大だから。
で、笑い飛ばしたり
一緒に泣いたり
時には失礼な暴言をはいちゃうヤツもいるかも、だけど
そこにはきっと“私はあなたを見つけたよ”、“私はあなたを見ているよ”、という
文字にはならないメッセージが含まれているはず。
=================================
ブログについて考える★ブログのコメントについてのコメント
zippa-zappa様のコメントより:
衝撃の告白になりますが、私は1度ブログを消そうとしたことがあります。
別に、荒らされたとかじゃなく、リアルで疲れたときに。
でも、結局消さなかったのは、コメントがあったからです。
京女。様のコメントより:
そして、その記事に対するコメントは共感であったり、反対であったりするのですが、なんらかの意見を伝えてくれる人がいるってことはとても幸せだと思うのです。
自分のブログを見てくれているという意味で。。。
面と向かっては言えない照れや赤裸々な思い、社会に対する意見などもブログを通じてなら、気軽に意見の交換ができる。ある意味、リアル世界でのディベート以上に内容が深まるし、ほんとうに様々な人の意見も聞けるメリットがありますよね。
夢様のコメントより:
何かの番組でやっていたんですが、「花」だったか「果物」だったかな?まぁ、どっちかなんですけど、ひとつはその対象物に対して「誉める」、二つ目は対象物に毎日「罵声を浴びせる」三つ目は離れた「部屋」におき何もしない。
結果、一番最初に「枯れた?腐った?」のは3番目の離れた場所で無視された対象物でした。
ブログのコメント欄もそうだと思います。
何もコメントがもらえないと・・腐ってしまう。
で、で、結局・・あたしのいいたい事はブログのコメント欄はみんなのカウンセリングの場所なのです!!
R様のコメントより:
ブログは本来、実生活の中では出会うはずのなかった人同士を、ほんの一瞬出合わせてくれる奇跡のような存在。
そこで、思いが通じたり、共感したりする喜びに勇気をもらい、また、現実の課題に取り組んでいこうって気合を入れなおします。
(※編者注 そこ=コメント欄)
坦々麺様のコメントより:
コメントに関しては たとえ一時でも 相手の方が貴重な時間を使い 自分へ気持ちを向けて書いてくれたもの
ruko様のコメントより:
特にブログはそのメディアとしての属性からお互いに共感したことに対してコメントをすることが多い
ダラ子様のコメントより:
もしも私がブログを辞めるとしたら、記事は全て残しておこうと思います。もしくはページを保存できる期間を設けようと思っています。
コメントも記事も連鎖していると思うからです。
私のブログに記事やコメントを連鎖してくれている人がいる、それだけで嬉しいので(/ω\)ハズカシーィ
うおこ♪様のコメントより:
コメントに対してのコメントが書かれると、反応してくれたんだなぁと嬉しいです。
それが反論だったり、同意だったり。
更に内容を膨らませてくれたり。
=================================
参加者の皆様、素敵なコメントをありがとうございます!
勝手に編集してしまってごめんなさい。ブログ主特権にて。
(問題あればお申し出くださいませ。)
誰かが誰かのために書いた記事が
「私」を感動させ
誰かと誰かが交わしたコメントが
「私」を微笑ませてくれ、
誰かが1人でこっそりアップした記事が
「私」を考え込ませ
誰かが考え込んでつけたコメントが
「私」に記事を書かせる。
そしてその記事がまた誰かにコメントを書かせる。
そして・・・・・∞
こんな関係、
リアルではめったに体験できなくない?
だからブログが大好きです!(少なくても今は。<オイオイ!
コメント交換してきた、している、するだろう
たくさんのブロガーとの出会いに感謝。
追記:
私にこの記事を書かせてくれた元記事です。
いつも燃料投下、ありがとうございます。ゼットン様。
ちょっといいFLASH