鼠喰いのひとりごと

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コンスタンティン

2005-10-16 01:52:30 | 映画(洋画)

「コンスタンティン」 2005年
監督:フランシス・ローレンス
出演:キアヌ・リーヴス、レイチェル・ワイズ、シア・ラブーフ、ジャイモン・フンスー

日本語版 コンスタンティン 公式サイト

***

「大丈夫、ホラーじゃないよ。キアヌ・リーブス主演のフツーのアクション映画だよ」
そう言って、ビデオを見はじめて数分後。

ダンナは「このオオウソツキが!」という目で私を見ておりました(汗)

いや、私的には全然平気だったんですが。
というか、大抵の方には、全然平気レベルじゃないかと思うんですが(汗)
物語だってそれほど怖くないし、ちゃんとハッピーエンドですし。
難を言えば、最初のエクソシストなシーンが、ホラーが苦手な彼にはちょっと
受け入れ難かった…のかもしれません(汗)
んもー、最近のSFX技術凄いからー。

さて、この映画、一言で言うのなら、禁煙を勧める映画です。
あとは…キリスト教徒のための映画…かなー。

コンスタンティンはもちろん娯楽映画ですから、そんな真面目なつくりでもないし、
キリスト教の考え方にガチガチに凝固まってるわけでもない。
それでも、一神教の、神が唯一無二のものである感じ。全能感。天国と地獄、といった、
それほど詳しくない人間でも知ってるキリスト教のイメージは踏襲しています。
また、聖書にありがちな、隠語や象徴で現される寓意じみたものも、映画のあちこちに
散りばめられているので、キリスト教に詳しいひとなら、きっと、
もっと楽しめるんじゃないだろか…。

====

そこは、天使と悪魔が人間に立ち混じり、ルールに則って魂を誘惑し勢力を争う世界。
ジョン・コンスタンティンは、ルール違反を犯して人間に干渉した悪魔を祓い、
地獄へを送り返す役目を負うエクソシストである。
地獄の使者と戦う聖職者でありながら、彼が戦う動機は些か不純なものであった。
かつて、自殺を図った罪によって、死後地獄へ堕ちることを決定づけられている彼は、
喫煙によって肺ガンを煩い、余命1年を宣告されている。
そこで、天国の番犬エクソシストとして働くことで神の点を稼ぎ、
天国ゆきの切符を手に入れようというのだ。

ある日、悪魔祓いをした少女に取り憑いていた悪魔の様子がいつもと違うことに気付いた
コンスタンティンは、天使であるガブリエルに話を聞くために教会へ向かい、
そこで、妹の自殺に不審を抱く女刑事「アンジェラ」と出会う。

自分が追う「異常事態」が彼女の妹の事件と関係があると知り、
接触を試みるコンスタンティン。

一体、アンジェラの双子の妹、イザベルは何故死んだのか。
人間界に現れようとしている悪魔「アモン」とは何者か。

コンスタンティンの魂をめぐって、天使と悪魔の思惑が入り乱れる中、
物語は意外な結末を迎える。

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…意外な結末…でもないか(笑)
きっと、ちょっとカンのいい方なら、エンドロール後の映像を見て
「やっぱりお前か!!」と思うはずです(笑)

さて、コンスタンティンの世界観ですが…
私、キリスト教徒じゃないんで、どんな宗派がどんな教えを守ってる、というのが
全然見分けつかないんですが、とりあえずこの映画は、カトリックの教えに沿っている…らしい。
しかし、神と悪魔が人間の心を奪い合っている世界、という設定のわりに、
力関係が全然かみ合ってないのですよね。
悪魔も天使も、そして、地獄の主であるルシファーすらも、結局はより大きな存在である
「神」の手の中で踊らされているにすぎない、そんな感じを受けるラストでした。

天使ガブリエルの最後の姿にしても、人間を妬んだがゆえに人間に落とされてしまうのは、
果たして罰なのか愛なのか。
マモンの復活も、ガブリエルの暴走すらも、結局巧妙に仕組まれた神の意思だったとするなら、
そもそもコンスタンティンの自殺だって神の意思なのでは…(汗)
全ての悪も魔も、天使も良き行いも、すべてが神の意思によって組み上げられているとすれば、
つまりは、自分で並べたドミノを自分で倒して遊んでいるに過ぎないような気もします。

このへんは、もともと、キリスト教徒でないものにはわからない感覚なのかもしれませんが。
なにもかも自分がやることなすことお見通しって、怖いですよ…(汗)
やはり、どこの土着の神もそうであるように、基本的に「恐怖」が崇拝を形作るのでしょうか。

そもそも、私はあのキリスト教の、自分の血だの肉だの血腥い感じが苦手なのですよね。
十字架を戴いているだけならまだしも、苦悶するキリスト磔刑像を飾っているのもギャー!て感じ。
これは幼児体験のせいもある。
テレビでやってた血を流すキリスト像がおっそろしく怖かったから!
初期印象が「聖なるもの」って位置づけじゃないんですよ(汗)


さて、そもそもマイナス印象を持つ私がこんなことを言っては、
キリスト系の宗教を信じてらっしゃる方にはナニかもしれませんが、
この映画の中だけに言及することとして許してください。
決して、宗教そのものを貶めようとするものではありません。

私としては、この作品中に出てくる神に抱いた印象は「狡猾」でありました。
本人も納得づくのこととはいえ、部下を手駒として使う巧妙さは
組長が「お前ちょっと鉄砲玉になってくれや」
「ハイ!オヤジのために命張らせてもらいます!」というに等しい所業(汗)
コンスタンティン一人の魂にやたらと固執して
(なんだってあんなに拘ってるんだろう…愛かしら?)、
神の計略を見抜くこともできずにコロっと利用されてしまう大甘なルシファーなど、
比べ物にならない腹黒さ(汗)さすがは万物の父(汗)

結局これは、コンスタンティン一人の魂を争うために用意された、壮大なステージだったんだな、というのが、全部見たあとの感想。
そして、そのためだけに死んだ人間の数(もちろん、彼らは皆天国に行くのだとしても)を
考えると、どうも腑に落ちないものを感じる…。
生きている状態を至上と考えるか、魂が天国にある状態を至上と考えるかってことなんだろうけど…

…この作品中では、絶対、神も悪魔も、人間をゲームの駒扱いしてるよね。