住みたい習志野

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鷺沼飛行場から飛び立ち、谷津遊園先に舞い降りたパラシュート・ガール(読者情報)

2020-09-25 11:12:36 | 歴史
 

鷺沼飛行場から飛び立ち、谷津遊園先に舞い降りたパラシュート・ガール

9月10日のブログ記事

鷺沼海岸に飛行場があった!日本民間航空の開拓者「伊藤音次郎」(投稿) - 住みたい習志野

について、ブログ読者の方から、以下の情報をお寄せいただきました。

NHK「雲のじゅうたん」、動画を見ることができます

 長谷川先生の伊藤音次郎の記事の中で、鷺沼飛行場で活躍した兵頭精(ひょうどうただし)さんが、NHK「雲のじゅうたん」のヒロインのモデルになった、という記事がありましたが、動画を見ることができます。(下の画面をクリックし、出てきたテレビ画面の右下の矢印をクリックしてご覧ください。)

連続テレビ小説 雲のじゅうたん

大正から昭和にかけて秋田と東京を舞台に、「鳥のように自由に飛びたい」という夢を追いかけ飛行士になった・・・

テレビ60年 特選コレクション | NHKアーカイブス

 

鷺沼の飛行場で活躍した「パラシュート・ガール」宮森美代子さんも習志野ゆかりの人物です

 会津出身の女性、宮森美代子さんは、今でいう女性スカイダイバー。昭和6年3月6日、津田沼町鷺沼の伊藤飛行場から黄色いサルムソン機に乗り、高度500mから飛び降りて谷津遊園先の砂地に着地、見事に成功した。当時19歳、「パラシュート・ガール」「空の女王」と呼ばれ、以後、全国各地で降下ショーを見せた。

http://www.webmodelers.com/201706katoucolumn.html

(宮森さん、足袋(たび)の宣伝ポスターにも使われました)

(「東京朝日新聞」1931.3.7)の記事

午後零時、全ての準備が成った。美代子さんは全ての見物人から期せずして起こる歓呼の声に送られて機上の人となり、奥山飛行士の操縦で機は磯浜を蹴って勇ましく離陸した。見物人はもう夢中になって機の行方を見つめる。機は大きく右に旋回して飛行場の上で高度をとって行く。三百-四百-五百メートル、かくて場の中央の空を通過すると見る内パッと飛び出した黒い一塊り、美代子さんが機から飛び出したのだ!弾丸の如く落ちるよと思ふ瞬間パラシュートはパッと白く大きく開いて、彼女の体をフワリと支えた。この時飛行場は息詰るやうな緊張が一度に破れて「アッ開いた!」と素晴らしい熱狂、観衆は我を忘れて躍り上がって喜び騒ぐ。そのうちパラシュートはフハリフハリと見事に谷津遊園海岸の砂上に降下した。時に午後零時十分、大地に降りた美代子さんは勇敢にも起き上がって歩きだした。ドッと起こる歓呼の聲!この時若きパラシューターの上に「日本一」の栄冠が輝いた。見ていた人はもう寄って集まって胴上げすること十分間も続いた。
 (美代子さんは記者の質問に次のように答えています。)
別にこわいとも思っていませんでした。科学を信頼していましたから。でも始めてですから十分に注意しました。飛降りた瞬間パラシュートが開いたのであとは別に恐怖心もなくフハリフハリと良い気持ちで降りて来ました。

 

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