国府台合戦と鷺沼一族
兵站(へいたん)だった鷺沼城
第1回国府台合戦、里見・武田の房総連合軍、北条軍に敗れる
国府台合戦(こうのだいかっせん)は2回あり、第1回は天文7年(1538)10月、北条氏康(うじやす)対足利義明(よしあき:小弓おゆみ御所)を大将とした里見(義尭よしあき・義弘)、上総武田(かずさたけだ)などの房総連合軍との戦い。松戸相模台から矢切台付近で戦われた。
北条氏康(素浪人から戦国大名にのし上がった北条早雲が立てた後北条氏(鎌倉幕府の北条氏とは関係ないので、こう呼ぶ)の三代目)
里見義尭(安房里見氏の五代目。里見氏の全盛期を築き上げ、後北条氏と関東の覇権を争った)
ここで足利義明親子は討ち死に、里見軍(市川・船橋・鷺沼・千葉)は劣勢で敗走している。
足利義明(足利将軍家の一門。もともと僧籍にあったが、還俗(げんぞく)し、小弓城(千葉市)を攻め取って小弓公方(おゆみくぼう)と称し、古河公方(こがくぼう:父親の政氏まさうじや兄の高基たかもと)側と対立。第1次国府台合戦で戦死。)
第2回国府台合戦も北条軍に敗れる
第2次は、24年後、永禄7年(1564)北条(氏康・氏政)対 里見義弘・太田資正すけまさの連合軍で、正月7日に大勝した里見軍の油断から、北条軍の夜襲を南北二手から(8月午前6時頃)受けて、義弘は馬で戦場を離脱、船橋を経て敗走している。
再度にわたる国府台合戦は、両軍の制覇を賭けた戦いで、2度とも北条方の勝利で終わっている。
この結果、北条氏政の勢力が下総地域に大きく伸び、氏政の子直重(なおしげ)が千葉邦胤(くにたね)の養子になり、佐倉城に入っている。
その後里見義尭親子は有力な家臣、正木時定(まさきときさだ)にもそむかれ、その勢力は大きく後退した。
3年後北条氏を破るも、時すでにおそし
しかし3年後の永禄10年(1567)再び勢力を北に広げ、上総三船山(君津郡上湯江かみゆえ)の合戦で北条氏を破り、下総まで進出した。
里見は宿敵北条氏と和睦して、戦国時代を生き延びた
しかし時すでにおそく、里見氏の周囲は激動。三国同盟(武田・北条・今川)は崩壊し、上杉氏と北条氏は和睦、里見は武田氏と結び、宿敵北条氏とも和睦し、戦国時代を生き抜いた。
秀吉に領土を没収され、徳川幕府になってからは今の鳥取県へ飛ばされる。こうして里見氏は終焉を迎えた
天正18年(1590)秀吉の小田原攻略後義康は上総を没収され、慶長19年(1614)江戸幕府より忠義(義康の長男)は伯耆倉吉(ほうきくらよし:現在の鳥取県倉吉市)に減封(3万石)の上、国替えを命じられ、戦国大名里見氏はここに終焉を迎えた。(その後子どもがなく、廃藩となった)
国府台合戦では鷺沼一族が里見軍で奮戦
この国府台合戦(第2次)には「鷺沼源吾」の名もある(関八州古戦録)ことから鷺沼一族も、里見軍の一翼を担って奮戦したということがわかる。
このことから鷺沼城(鷺沼一族)は二度の国府台合戦時に参戦し、里見軍の(房総)武士団の終結地として、また兵站(へいたん)として(前線基地として)大きな役割を果たしていたということがいえる。
兵站(へいたん) 戦場で後方に位置し、前線の部隊のために軍需品・食糧・馬などの供給補充、戦況など広報連絡の確保、負傷兵の救護などを任務とする機関(拠点)
鷺沼は歴史上の舞台。大軍団が大地を揺らしながら鷺沼から出陣した
無論出陣も退路もほぼ同じと考えると、当時の鷺沼は激動する歴史上の舞台となっていたといえる。
(渚を走る馬)
時代が激動する中の鷺沼は、土を打つ馬の蹄(ひずめ)の音、嘶(いなな)く声、人のざわめきと具足の擦れ合う音、5千から1万もの軍団の移動が渾然一体となって大地を揺らしながら物々しく出陣していく。
時にはまた敗走し、傷を負いながらやっと鷺沼城に辿りついた人たちに、悲喜交々(ひきこもごも)の騒動があたりに充満したことだろう。村人たちは、この騒然とした状況を一種の怖れと不安を感じながら固唾(かたず)をのんで見ていたのではなかろうか。
鷺沼一族の子孫は現在にまで続き、その一部は村山姓に
千葉氏の滅亡の後、鷺沼一族は戦国の終焉までも続き、その一部は村山姓を名乗り、子孫が現在に至っている由緒のある家柄であると言える。
縄文、律令、鎌倉、戦国、と鷺沼は悠久の歴史の舞台
いずれにしても鷺沼のこの地は、縄文の時代から、律令国家の建国、そして鎌倉幕府の成立、戦国乱世の時代を通して、その都度兵站として登場し、大きな役割を果たした舞台になった。永い歴史のある地であることを忘れてはならない、と思う。
八五郎の時空旅行:鷺沼源太と藤原氏の言い伝え - 住みたい習志野
民間航空発祥の地も鷺沼。ここで女性パイロット第1号が誕生した
尚、その後も民間航空(伊藤飛行場)の発祥の地として、また女性パイロット(雲のじゅうたん)誕生の地として、日本中から脚光を浴びる。
鷺沼海岸に飛行場があった!日本民間航空の開拓者「伊藤音次郎」(投稿) - 住みたい習志野
(八五郎)
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