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鷺沼の「パラシュート・ガール」、まだまだ続きがありました

2020-09-28 01:09:45 | 歴史

9月25日の記事「鷺沼飛行場から飛び立ち、谷津遊園先に舞い降りたパラシュート・ガール」
https://blog.goo.ne.jp/sumitai/e/2428acbc06fe1f4cc7c894a43fce42ce

にはまだまだ続きがあるそうです。

「女パラシューター」、ブラジルの日系人新聞でも紹介されました

昭和6年4月9日「日伯新聞」(ブラジル(伯刺西爾)の日系人の新聞)の記事

最尖端を行く 女パラシューター

空を彩るエアガールが出現しやうといふ折柄、矢つぎ早に今度は、最も尖端的なパラシューターが現はれた。飛行中に飛行機から落下傘で降下するといふ男もたぢろぐやうな冒険を敢(あえ)てしやうといふ勇ましい女性、それは宮森美代子といふ今年十九歳になったばかりの可愛い娘さん。福島県若松市の酒造家宮本(ママ)悦蔵氏の長女である。

兄の省一(22)君が、若松地方がパラシュート布地の産地でこれが外国へ輸出されて世界各国で使用され日本へも逆輸入されてゐるといふのに鑑みて、内国産パラシュートの製作業者を志ざし、会津中学を出ると直ちに上京してパラシューター日野俊夫(ママ)氏の練習所に入りパラシュート降下を美事にやってのけた。

この兄にしてこの妹ありで、美代子さんは兄の事業を助けやうと一昨年春、県立福島高女を出ると直ちに上京し、兄と共に日野練習所で研究をつづけていたもので「兄もパラシュートで降下したのだから自分にも出来ぬ事はない」と勇ましく躍り出たわけ。三月六日には津田沼飛行場で奥山飛行士操縦のサルムソン機上から美事に落下した。

(上の記事の説明)

「日伯新聞」の記事は「若松地方がパラシュート布地の産地」と言っていますが、本当は「川俣シルク」と呼ばれた羽二重のことだと思われます。
福島県伊達郡川俣町で織られた良質・軽量の羽二重で、明治時代には横浜でスカーフに加工され、日本のおみやげとして人気を博しました。こちらのサイトには、戦時中パラシュート用に織機を供出させられた旨の記載があります。
http://www.konno-silk.com/about-us/konnoの歩み/

会津若松の造り酒屋、「花春」が美代子さんの実家です。
http://www.hanaharu.co.jp/history.html

記事に出てくる「日野俊雄」は日本で最初の落下傘(パラシュート)「調速自在パラシウト」を発明した人物。
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10182719&TYPE=HTML_FILE&POS=1
石巻出身で、特に航空ショーでスタントマンとして名を馳せた人のようです。
http://sioworld.blog.fc2.com/blog-entry-1515.html

そして彼の練習所に入り、パラシュート降下に成功したのが「宮森省一」。その妹が「パラシュート・ガール」宮森美代子さんです。
そして、日本式パラシュートを発明し、航空ショーのスタントマンとして活躍した、その日野俊雄さんと宮森美代子さんの熱愛が「日米新聞」(アメリカの日系人の新聞)に、次のように報じられています。

アメリカの日系人新聞では、彼女の恋愛話が報道されました

(アジア歴史資料センター レファレンスコードJ20011346900 The Japanese American News 日米新聞 昭和6年(1931)4月13日)

  落下傘のクイン

尖端的な冒険に咲き出た恋の花

  宮森美代子さんと日野氏

   輝やかな愛の巣

 「空の女王」「日本一の女性」と超人的名称で呼びなされ、三一年型女性の人気を一人で背負ってゐるパラシュート・ガール宮森みよ子(19)さんの出現は、その楚々とした容姿、快活な言葉つきに誰しも初々しい乙女と信じてゐたのではあったが、はからずも、このみよ子さんには二世をちぎる愛人があり、その下谷池ノ端七軒町の家は人もうらやむ愛の巣、代表的三一年型女性宮森みや子さん――かの女は恋愛においても勇敢な勝利者であったのである。

 みよ子さんの愛人は、かの女の先生であるパラシューター日野俊雄(35)氏で、去る日、津田沼でかの女が決死的冒険を実演、パラシュート降下に成功した折りも、場の一隅から汗ばむ手、血走る目に飛行機からパッとばかり飛びおりて来た、愛妻(と、いっては早すぎるかも知れないが)を迎へた彼、日野氏のあったことは、場を埋めた一万の人の歓呼よりかの女にとっては嬉しいものであったに違ひない。

この、空を媒酌人とする尖端的な恋人たちは昨年十二月末、上野のシノバズ池にほど近い七軒町のとある路地を折れた古めかしい家の二階に、楽しい生活をはじめたのである。丹前姿の日野氏、派手な羽織のみよ子さんの笑顔――それから、それから、二人の前に力づよいただ二人だけの路が開かれた。はげまし助け二人はパラシュート降下を第一の目標に、世の常の恋人たちとはちょっと変はった路をたどってゐた。

 この空の恋人たちを訪ねるとまず日野氏は、

「これ(みよ子さんの事)は空から飛びおりる女だから世間ではフラッパーと思ってゐるでせうが、どうして、まるで反対で、すべてに内気なおとなしい女です。お針でも炊事でも、すべて人なみ以上にやります。ほんとうにおとなしいんですよ。少くとも百パ^セントのマダムぶりで僕としてはこれほど嬉しいことはないんです。」

当のみよ子さんは日野氏の言葉を聞いても静かにしてゐる。ただそれから、力強くぽつりぽつりと次ぎのやうに語った。

「日本の女性はあまりに勇気がなさすぎますわ。なんに対しても消極的にすぎます」

かくて二人が見合はす眼と眼には、互に信じ合ふ強いなに物かが感じられた。

(上の記事の説明)
美代子さんは、兄の勤め先のボスでもあり、自分のパラシュート技術の先生でもある日野俊雄さんと恋に落ちた、ということですね。

日野さんが「彼女はフラッパーではない」と言っていますが、「フラッパー (flapper)」という言葉は、ひな鳥が羽を羽ばたかせて (flap) 飛び立つ訓練をしている様子を意味し、そこから転じて未成熟な若い女性を表すスラングとなったといわれています。短いスカート、ショートヘアーなど、1920年代に欧米で流行したファッション、生活スタイルや自由な男女関係を好んだ「新しい」若い女性を指します。

また、記事の中で「みよ子さんの愛人、日野俊雄氏」という表現がありますが、当時は「愛人」という言葉には「恋人」の意味しかありませんでした。くれぐれも誤解のないように。(笑)
(戦後、太宰治が「斜陽」という小説の中で「愛人」という言葉を「不倫相手」の意味合いで使い、その後その意味の方が広まってしまったそうです。)
「愛人」は元々良い意味で使われていたって本当?

パラシュート・ガールの降下から半年後、日中戦争が勃発

 当時の「飛んでる」女性のこんな足跡が習志野に刻まれていたのに、今ではきれいに忘れられてしまっている。習志野市が「過去のない町」にされてしまうのは、何だか怖い気がします。

 ともあれ、パラシュート・ガールの降下から半年後、奉天郊外柳条湖で満鉄線が爆破され、日本は航空ショーどころではない時代に進んで行ったのでした。

宮森さんが履いていた「足袋」は、地下足袋から進化した「運動靴」。ドイツ人捕虜のゴムの技術が生きている
 前回のブログの記事の中に宮森さんの「足袋」の広告のことが出ていましたが、これは「足袋」というよりも「運動靴」。この頃初めて、地下足袋から進化した「月星運動靴」というのが発売されて、その広告に宮森美代子さんが起用されたわけですね。テレビドラマの「いだてん」や「陸王」で出てきたアレです。
 なお、つちやたびの本社は福岡県久留米。久留米収容所にいたドイツ兵のウェデキントという人が解放後残留し、ゴムの技術者としてつちやたびやブリジストン・タイヤに関わります。運動靴やゴムタイヤにも、彼らの技術が生きているわけです。
知られざる「ドイツ兵久留米俘虜収容所」の歴史を伝える - fornet’s blog
上のブログには、ローマイヤが「こんなもの食えるか!」と言った話も出ていますね。習志野以前に国産ソーセージがあったと言っても、「こんなもの食えるか」というレベルだった。それが一応のレベルに達したのは習志野があったからですね。

 



 

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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2020-09-28 11:05:34
続編を、興味津々、読みました。
ありがとうございました。
「習志野の女たちよ。パラシューターになって、わが町を俯瞰しようではありませんか!」。
習志野のためには、それしかないでしょう。


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