住みたい習志野

市内の情報を中心に掲載します。伝わりにくい情報も提供して行きます。

市民プラザ大久保で「古い便りに映った習志野の風景」展 双葉山の写真も

2024-02-08 17:44:29 | 市情報

(みんなの経済新聞より)

市民プラザ大久保で「古い便りに映った習志野の風景」展 双葉山の写真も

市民プラザ大久保で「古い便りに映った習志野の風景」展 双葉山の写真も(みんなの経済新聞ネットワーク) - Yahoo!ニュース

市民プラザ大久保で「古い便りに映った習志野の風景」展 双葉山の写真も(みんなの経済新聞ネットワーク) - Yahoo!ニュース

 「古い便りに映った習志野の風景」展が2月1日、市民プラザ大久保(習志野市大久保4)で始まった。(習志野経済新聞) 大久保商店街協同組合の「習志野の歴史を語る会」...

Yahoo!ニュース

 

 「古い便りに映った習志野の風景」展が2月1日、市民プラザ大久保(習志野市大久保4)で始まった。

 大久保商店街協同組合の「習志野の歴史を語る会」が中心となり、当時の写真や資料を同会メンバーや地元住民らの方からの寄贈により集まった200枚以上の昔の習志野の風景を写した写真や絵葉書を展示する。

 第35代横綱・双葉山が屋外で土俵入りを披露しているものや、大久保にあった陸軍の歩兵やタンクが平原や設備で演習するもの、当時15連隊に所属していた三笠宮崇仁親王が愛馬を手入れする姿、牧場で飼育されている乳牛、木造の順天堂大学習志野キャンパスの写真やはがき、陸軍将校が描かれた年賀状などを展示している。

 見どころについて、同会のスタッフの明里さんは「大久保の街並みが映る写真や、各写真館の絵葉書を見てほしい。陸軍連隊の絵葉書は多くあるが、周辺の街並みを写したものがなぜか見つからず、今回、奇跡的に発見できた。当時にぎわっていた商店の様子を現在の姿と比較すると面白い」と話す。

 「会の運営を通して習志野に関わる貴重な資料を収集する中、より多くの方の目に触れる機会を作りたいと考え展示会を企画した。100年近く前の絵葉書を通して習志野の歴史に興味を持ってもらえれば」と来場を呼びかける。  開館時間は9時~21時。第2・第4火曜休館。入館無料。3月31日まで。

これはスゴい!女子大生が大久保をディープに探検 - 住みたい習志野

嗚呼(ああ)、鷺沼温泉! 習志野名物がまた一つ姿を消しました - 住みたい習志野

今回が最後!3月5日までレトロな「歴史展示会」 - 住みたい習志野

「スゴい女子大生」がまたまた大久保の古い街並みをウォッチ - 住みたい習志野

旧陸軍「御用商人」張替酒店見学会(第3回)行わる - 住みたい習志野

 

 

コメントをお寄せください。


<パソコンの場合>
このブログの右下「コメント」をクリック⇒「コメントを投稿する」をクリック⇒名前(ニックネームでも可)、タイトル、コメントを入力し、下に表示された4桁の数字を下の枠に入力⇒「コメントを投稿する」をクリック
<スマホの場合>
このブログの下の方「コメントする」を押す⇒名前(ニックネームでも可)、コメントを入力⇒「私はロボットではありません」の左の四角を押す⇒表示された項目に該当する画像を選択し、右下の「確認」を押す⇒「投稿する」を押す

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クラウドファンディングで金が集まらなければパイプオルガンを捨てる?無責任な習志野市

2024-02-08 17:26:14 | 文化ホール

(チバテレプラスより)

千葉県習志野市 パイプオルガン再設置 CFで判断

千葉県習志野市 パイプオルガン再設置 CFで判断 | チバテレ+プラス

千葉県習志野市 パイプオルガン再設置 CFで判断 | チバテレ+プラス

千葉県習志野市の宮本泰介市長は2月7日、新たに整備する習志野文化ホールにパイプオルガンを再設置するか...

チバテレ+プラス

 

 習志野文化ホールのパイプオルガンを巡っては、JR津田沼駅前の再開発で新しく整備する文化ホールに、移設して再設置するかどうか多額の費用がかかるということもあって市民の賛否が割れていました。

 このため、市は、再設置するかどうかをクラウドファンディングで決めることにしました。

 目標額は、再設置に必要な金額の1億5000万円に設定する予定で、「寄付の機運が高まる」年末に向けて行うとしています。

 そのための経費3700万円余りを新年度当初予算案に計上しました。

 宮本市長は、7日の記者会見で「お金が集まったら再設置する。目標額に達成できなければ、寄付者へ返金する。市民に委ねる面はある」と述べました。

「文化ホール」のブログ記事一覧-住みたい習志野

 

 

コメントをお寄せください。


<パソコンの場合>
このブログの右下「コメント」をクリック⇒「コメントを投稿する」をクリック⇒名前(ニックネームでも可)、タイトル、コメントを入力し、下に表示された4桁の数字を下の枠に入力⇒「コメントを投稿する」をクリック
<スマホの場合>
このブログの下の方「コメントする」を押す⇒名前(ニックネームでも可)、コメントを入力⇒「私はロボットではありません」の左の四角を押す⇒表示された項目に該当する画像を選択し、右下の「確認」を押す⇒「投稿する」を押す

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

作業中の男性死亡…バキュームカーとブロック塀に挟まれ(習志野市の下請労働者)

2024-02-08 17:13:15 | 非正規、労働問題

(千葉日報の記事より)

作業中の男性死亡…バキュームカーとブロック塀に挟まれ 千葉・習志野

作業中の男性死亡…バキュームカーとブロック塀に挟まれ 千葉・習志野(千葉日報オンライン) - Yahoo!ニュース

作業中の男性死亡…バキュームカーとブロック塀に挟まれ 千葉・習志野(千葉日報オンライン) - Yahoo!ニュース

 7日午前9時10分ごろ、千葉県習志野市実籾5の市道で、し尿のくみ取り作業をしていた公益社団法人船橋市清美公社職員、工藤俊彦さん(68)が、動き出したバキュームカーと住...

Yahoo!ニュース

 

 7日午前9時10分ごろ、千葉県習志野市実籾5の市道で、し尿のくみ取り作業をしていた公益社団法人船橋市清美公社職員、工藤俊彦さん(68)が、動き出したバキュームカーと住宅のブロック塀に挟まれた。工藤さんは全身を打っており、現場で死亡が確認された。

 習志野署によると、工藤さんは男性作業員と2人でくみ取り作業の準備をしていて、坂道を後退しだしたバキュームカーと塀に挟まれた。同署は詳しい状況を調べている。

9年前にも市役所ゴミ収集下請労働者の死亡事故がありました

ステップ乗車事故がなぜか隠されていた? - 習志野市民フォーラム

ステップ乗車事故がなぜか隠されていた? - 習志野市民フォーラム

習志野市の委託業者が資源ごみを収集車で回収中転落、死亡する事故が起きました。禁じられているステップ乗車が原因とみられます。しかし、新聞によりますと事故があったの...

goo blog

 

習志野市の委託業者が資源ごみを収集車で回収中転落、死亡する事故が起きました。
禁じられているステップ乗車が原因とみられます。
しかし、新聞によりますと事故があったのは10月8日で作業員の方が亡くなられたのが15日。
このような委託業者の事故を宮本市長は何故30日まで公表してこなかったのでしょうか。

9年前の死亡事故、こんな経過でした。市議会でも大問題になりました

清掃労働者死亡事故弾劾闘争 | Unionnarashino

2014年10月8日、資源ごみを回収していた清掃労働者が頭を強く打って、1週間後の10月15日に死亡する事故が起きました。

 事故の原因は、道路交通法で禁止されているステップ乗車を行い、ごみ収集車から振り落とされて転落し、道路に頭を強く打ちつけたためです。ステップ乗車とは、ゴミを収集する労働者が、ゴミの収集地点から次の収集地点に移動するとき、清掃車後部のステップ台に足をのせ、清掃車につかまって移動することです。

 労働者が仕事中の事故が原因で亡くなるという、絶対にあってはならないことでした。

 ところが、習志野市は事故が起きたことすら隠ぺいし、「闇から闇」に葬り去ろうとしたのです。

 しかし、10月31日、『朝日新聞』朝刊で報道され、死亡事故が明らかとなりました。新聞の見出しは以下の通りです。

 「ごみ回収中事故 男性作業員死亡  習志野、ステップ乗車か」

 新聞報道によって、死亡事故が公になって以降、死亡事故を追及する闘いがまきおこり、恐るべき事実が次々と明らかになったのです。

 死亡事故を起こしたのは、習志野市資源回収共同組合に加盟している(有)熊倉商店で、代表の熊倉一夫氏は、宮本泰介習志野市長の後援会長でした。

 熊倉一夫氏は、習志野市防犯協会会長です。

 習志野警察署は、死亡事故の原因について「捜査中」としており、ステップ乗車が原因であると断定していません。警察が捜査中であることを理由に、習志野市も事故原因は不明としています。

 また、労働者死傷報告書が労働基準監督署に提出されたのは、11月14日でした。

 こうした事実から浮かびあがるのは、宮本市長と熊倉商店と習志野警察署の「鉄の三角関係」です。道路交通法で禁止されているステップ乗車を行って死亡事故を起こしたことが明らかになれば、当然にも熊倉商店の責任が追及されます。そして、資源ゴミの収集を委託してきた習志野市の責任も追及されることはもとより、法律違反を行ってきた人物が宮本市長の後援会長であることは、2015年4月に行われる市長選挙を直前にした当時、非常に都合が悪いことになります。さらに言えば、習志野市の防犯協会会長が法律違反を起こして死亡事故を起こしたことが発覚したら、習志野市警察署にとってもその責任が問われることになります。

 ここで、3者の利害は一致しました。

 誰が見てもステップ乗車が原因で清掃車から振り落とされて、頭を強く打って死亡したことが明らかにもかかわらず、事故原因は「警察による捜査中」とし、そのことをもって、習志野市は「事故原因不明」として、熊倉商店の責任は問わないということです。しかも、仕事中の事故が原因で亡くなったにも関わらず、労働災害の手続きさえせず、死亡事故を「闇から闇」に葬ろうとしたのです。

 しかし、『朝日新聞』の報道で、死亡事故が明らかとなり、3者の思惑は破綻しました。死亡事故を弾劾する声がまきおこり、習志野市議会でも問題になったのです。

 何よりも大問題なのは、「労災かくし」という犯罪が行われたことです。事故が起きたのが10月8日で、労働者死傷報告書が労働基準監督署に提出されたのは11月14日でした。実に、1カ月以上経過しています。

 労働基準法施行規則第57条及び労働安全衛生法規則第97条では、事業者は労働災害等により労働者が死亡又は休業した場合には、遅滞なく、労働者死傷報告等を労働基準監督署長に提出しなければなりません。ところが、熊倉商店と習志野市は、事故が起きてから1カ月以上が経過してから、労働者死傷報告書を労働基準監督署に提出しているのです。

 この点は、2014年12月の習志野市議会でも追及されました。市議会で、クリーン推進課の職員は「事故があった日に労働基準監督署に話をした、と報告を受けている」と答弁しました。

 ところが、労働基準監督署に問い合わせしたところ、労基署は「事故の当日に話はなかった。事故の話が労基署にあったのは、(『朝日新聞』による)報道された数日前」と回答したのです。

 『朝日新聞』が死亡事故について、習志野市や熊倉商店を取材し始めたことで、死亡事故を隠ぺいすることができなくなったと判断し、あわてて労働基準監督署に相談に行ったのです。

 習志野市議会で、市はウソの答弁を行っていたことが明らかになりました。

 また、労働基準監督署に問い合わせしたところ、葬祭料と遺族補償の申請がされていないことも明らかになりました。

 労働基準法80条(葬祭料)では、「労働者が業務上死亡した場合においては、使用者は、葬祭を行う者に対して、平均賃金の六十日分の葬祭料を支払わなければならない」とあります。

 また、労働基準法79条(遺族補償)では、「労働者が業務上死亡した場合においては、使用者は、遺族に対して、平均賃金の千日分の遺族補償を行わなければならない」とあります。

 死亡事故を隠ぺいしようとしていた10月段階ではなく、労基署に労働者死傷等報告書を提出した11月以降も、なぜか労基署に葬祭料と遺族補償の申請がされませんでした。

 ここから明らかになるのは、熊倉商店は労災保険に加入していなかったのではないか、ということです。労働者を一人でも雇用する場合は、事業主は労災保険に加入する義務があります。労災保険に加入もしていない企業に資源ゴミの収集を委託し続けたとすれば、習志野市の責任もきわめて重大です。

 死亡事故の直接の原因は、ステップ乗車にあったとしても、真の原因についてはっきりさせる必要があります。清掃労働者死亡事故弾劾闘争の中で浮かびあがってきたのは、習志野市と習志野市資源回収共同組合の利害関係です。

 習志野市議や市民の調査によると、習志野市と習志野市資源回収共同組合は、年間3億7千万円の随意契約で、①粗大ゴミ・資源物等の中間処理業務委託、②資源物収集運搬委託、③可燃物収集運搬委託の廃棄物処理業務契約を行っています。

 これに加え、集まった「粗大ゴミ・資源物等」を、習志野市が資源回収共同組合に格安で売却し、回収共同組合が最終処分業者に高く売って、利益を得ていることが指摘されています。

 つまり、習志野市資源回収共同組合は、①随意契約によって億単位の委託料金を習志野市からもらっていることに加え、②資源物を処理することによってさらに利益を得ているのです。

 まさに、「ゴミ利権」ともいえる癒着関係です。

 実際、熊倉商店の社長・熊倉一夫氏と市の幹部が10年間にわたり、市の税金を使って視察と称した中国旅行を行い、大宴会を行っていたことが習志野市議会で追及され、2014年から中止になっています。「ゴミ利権」を維持するために、市の幹部を税金を使って接待し、不当な利益を上げ続けていることが問題となっています。

 しかも、習志野市資源回収共同組合の本社事務所と言われている場所には、小さなプレハブ小屋が建っているだけで、人の気配もなく事務所としての機能が全くありません。この点について、2015年9月の習志野市議会で問題になっていますが、担当職員は「当該事務所には電気の配線がされている。事務所内には机が置かれている。クーラーボックスもある。組合事務所は茜浜3-4-10である」と答弁し、あくまでも本社事務所と言い張っています。

 こうしたことから明らかになるのは、清掃労働者死亡事故の真の原因は、本来市が直営で責任をもって行うべきゴミの収集という仕事を民間業者に外部委託していることにあります。

 死亡事故を起こした熊倉商店は、『朝日新聞』の取材に対して、「ステップ乗車はしないように指導していた」と言っています。

 しかし、危険なステップ乗車をせざるを得なかったのは、少ない人数で大量のゴミを限られた時間で収集しなければならず、時間に追われていたからです。

 習志野市からゴミの収集を委託された民間業者は、労働者の人数を削減し、賃金を抑えることによって、市からの委託料を少しでも、自分たちのふところにいれて、金儲けしようとします。大量の仕事に対して、少ない人数と低賃金。労働者が安心して働くこともできず、労働災害が続出することになります。世界中で蔓延している民営化・外注化の現実そのものです。

 しかも、外部委託していることによって、事故の責任を委託した業者に押しつけることになります。今回の死亡事故は、市長の後援会長が引き起こしたために、熊倉商店の責任は追及されませんでしたが。

 2016年3月の習志野市議会で、「今回の事故で安全対策に問題があったのではないか?」との質問に、石井クリーンセンター所長は「今回の事故については、安全管理の部分で足りなかったところはあると考えております」と答弁しました。

 ところが、宮本市長がたちあがり、「今のは訂正でございます。まだ原因が特定されておりません」と答弁し、担当部署の責任者が認めた「安全管理の部分で足りなかったところはある」という考えを訂正=撤回したのです。

 事故の責任から徹底的に逃げ回る宮本市長。労働者が仕事中の事故が原因で死亡しているのに、安全管理が足りなかったことすら認めない宮本市長の姿勢に、民間委託によって事故の責任から逃げ回るあり方が端的に示されています。

 清掃労働者死亡事故が大問題化する中で、宮本市長は「5分でできる作業を4分でしよう」などという市長訓示を行いました(2月3日)。

 これは、「1時間でできる作業を48分でしよう」「2時間でできる作業を1時間36分でしよう」ということになります。ゴミ収集に引き付ければ、「今までは2時間かかけてゴミ収集していたのを、1時間36分でやれ」と言っているに等しいことです。まさに、ステップ乗車をやってでも、早くゴミを収集しろ、と言っているようなものです。こうした合理化のあり方が労働者の命を奪ったのです。

 

 

コメントをお寄せください。


<パソコンの場合>
このブログの右下「コメント」をクリック⇒「コメントを投稿する」をクリック⇒名前(ニックネームでも可)、タイトル、コメントを入力し、下に表示された4桁の数字を下の枠に入力⇒「コメントを投稿する」をクリック
<スマホの場合>
このブログの下の方「コメントする」を押す⇒名前(ニックネームでも可)、コメントを入力⇒「私はロボットではありません」の左の四角を押す⇒表示された項目に該当する画像を選択し、右下の「確認」を押す⇒「投稿する」を押す

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Narashino gender 40 日本女性史koki版㉜ 近世Ⅻ 縁切寺というアジール

2024-02-08 15:14:54 | ジェンダー

縁切寺というアジール

  • 夫から逃れて満徳寺に駆け込む女 夫に掴まりそうになったとき、雪駄を門内に投げ込めば、駆け込んだとみなされて、寺男に保護されて、夫はどうすることもできなかった。

認められた妻からの離婚理由

江戸時代は、妻から離婚請求しても、夫の縁切状が必要だった。しかし、幕府法では、5つの場合に限り、奉行所に訴えれば、離婚は認められた。

①夫が妻の同意を得ないで、妻の持参財産(衣類など)を質入れしたとき。妻の父からの離婚請求が認められた。

②妻と別居もしくは音信不通が3,4年続いたとき。夫は妻を呼び戻して離縁状をわたすべきとしている。

③妻が髪を切ってでも離婚を願うとき。妻が夫を誣告(ぶこく・ウソの申し立て)したとき。

④夫が家出して1年が過ぎたとき。公権力で離婚が成立し、妻は再婚できた。⑤⑤比丘尼寺(びくにでら)へ駈け込んで3か年が経過したとき。

⑤の比丘尼(尼)寺というのは「縁切寺」のことで、江戸時代は、鎌倉の東慶寺と上野国(群馬県)の徳徳寺の2か所。たったこれだけ?

  • 東慶寺 鎌倉市にある臨済宗の寺。本山をもたない独立した尼寺で、現在は男僧の寺で縁切り機能はなく、「花の寺」として有名で、拝観できる。

  • 満徳寺 群馬県太田市にあり、明治に廃寺となったが、現在は「縁切寺満徳寺遺跡公園」として、本堂・門・庭園を復元し、資料館で縁切寺について学べる。

縁切寺のミニ前史

縁切寺の原初は、世界中にある。世俗の権力の及ばないところを「アジール」(避難所:ドイツ語でAsyl)といい、犯罪人や奴隷が逃げ込むと追及できなくなるという制度が近代まであった。中世のキリスト教会はアジールの役割もあった。「レ・ミゼラブル」でもジャン・ヴァルジャンが逃げ込んだのは教会だった。日本の寺院も、仏の教えに従い慈悲を施すところで、踏み入って殺生できない浄界であると考えられた。承久の乱のとき、敵から逃れた兵士が自分の寺に押し寄せたことを知った明恵上人は、「自分の袖の中、袈裟の下に隠しても助ける」と北条泰時に言ったと伝えられる。(「明恵上人伝記」)

  • 高山寺蔵 明恵上人像

中世においては、落武者や逃亡人などが、保護を求めて寺院などに駆け込むことを「山林に走りいる」、「山林する」といい、「山林!」と叫んで駈け込んでいた。山林に囲まれた寺は仏教的に出家遁世する場所ということを表わしている。そこでは世俗の政治権力や権利や義務を遮断するという「無縁の原理」(網野善彦)があり、追及を阻止することができた。寺院アジールの存在は深く庶民の間にも知れ渡っていた。中世の人々は、権力や武力とは異質(無縁)な自由と平和を求めていたんだね。網野の「無縁・公界・楽」(1978)は、大きなブームになり、今でも書店に並んでいる。

  • 網野善彦「無縁・公界・楽」

縁切り寺とガザ。アジールがなくなっていく世界

縁切寺、中世にはあちこち存在したが、江戸時代には禁止されて、全国で縁切寺は徳川と関係のある2寺だけ。女性の救済にはほとんど役に立っていない、ただの言いわけみたいな存在。kokiはこのブログで、三くだり半とセットで一回で簡単に済ませようとおもったのだけど、どういうわけだか、縁切寺の尻尾の先にガザがつながっている。

こういうのをなんていうのだろう。思索の先に引っかかっている尻尾。チョンと切ってしまえばいいのだけど、糸だと思っていたのが針金みたいに硬くてお気に入りのハサミが欠けてしまうかもしれないし、不要と思えても存外、尻尾は移動のバランスになり、アイデアが生まれるかもしれない。

縁切寺の尻尾はガザだ。パレスチナ自治区そのものが、複雑な政治折衝の鬼っ子だったとしても、国際的に認められた避難所(アジール)だ。

  • 壁の向こうのガザ(侵略前)

避難民が無差別攻撃で殺される筋合いはない。もう、この世界は、アジールがフェイドアウトしつつあるのか…。

  • 破壊されたパレスチナ自治区ガザ地区

人間社会はかならずしも支配と被支配に分かれていない。どんな時代のどんな権力もその統制は隅々まで行き渡っているように思えて、現場では力関係が逆転していたり、公然とした抜け道で無力化されていたり、力関係から下りる自由があって、庶民たち、とくに女たちはそれで生き延びてきた。

歴史家の網野善彦は日本の中世を対象にアジールを論じ、たとえば桑名では朝廷に牡蠣(かき)を献上していることを理由に領主支配からの拒否が認められていたことを例にあげて、「世俗的な社会権力とは無縁になりうる方法があった」。その「無縁」によって形成された社会を「公界・くがい」と呼んだ。現在、世界が追いつめられて、ガザさえも存在できないというなら、アジールはどこで存在できるのか? 病院や難民キャンプや国連支援機関までも攻撃する。子どもの手足を切断するディストピア…。

今の日本も逃げ込む場所がなくなっている

日本も「失われた30年」で、世の中逃げ込む場所がなくなった。歌舞伎町「トー横」で立っている少女たちは元締めがいるわけではない。ネットカフェというアジールの利用料を稼ぐために自ら売春をしているのだ。引きこもっている鬱病の人に家族はそこがアジールだと思っているだろうか?

修道院や禅寺、コミューン、一部の農業協同法人などもアジールで、家族ではないが、家族のように生活を共にしている。テロやゲリラ、一揆などもアジール内部から表面化した思想が、聖俗貴賤の分断に斬り込んだのかもしれない。

政治権力とからむとアジールがアジールでなくなる

アジールは必要だろう。自由領域、避難所はちゃんと確保しておくべきなのだ。そうでなきゃ、政治亡命、外交、戦場の野戦病院、赤十字…は成立しない。そしてアジールは今日的には救済センターとして機能している。失業者保護、児童保護、DVやストーカーなどのシェルター…。しかし、今日の政治・社会状況下で公的な施設として整備されると、「世俗の政治権力とは関係ないことでござんす」とはいかない。福祉の私物化、貧困ビジネスなどとつながり、一層の地獄と化すのが現状で、支援NPOや従事している公務員は苦しんでいる。

明恵上人の「袖の中、袈裟の下」、かっこいいね。最近は犯罪政治家がアジールに逃げ込む。永田町は自民党の裏金議員の「アジール」、習志野市役所は市長の犯罪隠しの「アジール」。「アジト」と「アジール」を勘違いしていないか?

  • 無住(1227~1313)

鎌倉時代の僧の無住は本来の遁世(とんぜ)について、「心を捨て、まめやかに(本当に)遁れる」には「わづかの世、いやしき家を捨てずして、へつらひ苦しみ過ごし」ているようではだめだと断言している。(「沙石集」)

本当に遁れるためには、本当に苦しむことが必要なのだ。何かの負を感じた者はアジールに逃げ込むが、アジールは隠匿のためにではなく、「回復」のためにあるのだ。パレスチナ自治区はイスラエル建国と同様のパレスチナ国家をつくり、平和に共存するためにある。

駆込寺はどうだったのだろうか? 

  • 高野山宿坊マップ 駆け込み寺ではないが、高野山には宿坊がたくさんある。

戦国時代の大名は、寺院アジールの特権を否定しようとした。山の中の寺である高野山にはアジールそのものである「遁科屋(たんかや)」があった。戦国時代は「政治犯」や落武者が多く逃げ込み、遁科屋は有名になり、仏敵・信長は比叡山は焼き討ちにしたが、信長が本能寺の変で急逝しなければ、高野山も焼き討ちにしたかも知れないね。なぜか、信長の墓は高野山奥の院にある。寺院アジールは、大坂の陣の落人探索を契機として、江戸幕府は1665年「諸宗寺院法度」で完全に禁止した。

縁切寺と幕府

戦国時代までは尼寺はどこも縁切り機能を有していたので、縁切寺は全国各地にあり、だれでも近くの比丘尼(尼)寺に駆け込み、3年過ぎれば夫との縁が切れる慣行であったが、1762年、縁切りの特権は、尼寺の2寺限定で黙許した。

幕府(寺社奉行)は、駆け込み女にどのように臨んだのか? 幕府の縁切寺への対応は変化している。

1600年代後半には、幕府は「妻が夫を嫌う」ことは「不届」と反感(嫌悪)した。妻が髪を切って離婚することを許さず、髪を剃って尼になれば、3年後の離婚を夫に命じた。髪を剃ることは刑罰という考え。3年尼を務め、東慶寺から離婚の訴え(寺社離縁状)がでれば、夫が離縁状を書き、晴れて実家に帰ることができたが、再婚は禁止した。

  • 東慶寺全景図

東慶寺は、鎌倉時代創建の臨済宗の尼寺。徳川家康の孫の千姫が、豊臣秀頼の側室の娘の入寺を家康に願ったという徳川ゆかりの寺で、「縁切り寺法」(自主寺法)により、明治後期までの600年間、駈け込めば夫と離縁できる公認の寺となった。

  • 千姫(1597~1666) 7歳で秀吉の嫡男の豊臣秀頼に嫁ぐ。江戸時代になって、桑名藩主の本田忠政の正妻となるが、晩年は出家して江戸城で暮らす。波乱万丈の人生。

公家、大名から社寺に至るまで統制支配した江戸幕府なので、一尼寺を取り潰すのは簡単だったが、「権現様(家康)御声懸かり」なので、縁切りを特別許可。ただし、寺社奉行から駆け込み女の引き渡し要求があれば、拒絶できなかった。

駆け込み女は、どのように扱われるか?

東慶寺は、駆け込み女を簡単に入寺させ、在寺を許可するのではなく、妻の親元と夫方の関係者をまず呼び出して事情を聴く。その際、寺は示談で離婚を成立させる「内済離縁」という可能性を示唆し、双方の熟談を促す。その結果、妻が入寺を取りやめる代わりに夫が離縁状を出すことで合意すれば、寺は「内済離縁」として処理し、親元に帰させる。

双方が合意しない場合に限り、入寺を許可することになる。この段階で寺は寺役人を婚家に派遣させるが、その前に夫方の名主に「出役達書・でやくのたつしがき」(出張予告通知書)を飛脚で送りつける。手紙の他にも権威をつけるために菊桐金紋付の御状箱に寺法書を入れて送りつけられるので、これを見た夫が恐れおののいて離縁状を出すことがよくあった。これを「出役達書後内済離縁」という。

  • 菊桐金紋付の御状箱(参考)

名主宅へ出張した寺役人は、関係者一同を集めて東慶寺の寺法を読み聞かせる。寺法には東慶寺が古来より許された慈悲の寺であることが強調され、夫に離縁状(寺法離縁状)を出させるか、寺法に従うことができないとする「違背書」を提出するかの二者択一を迫る。離縁状を出さないとなると、寺は寺社奉行所へ吟味(取り調べ)を願い出る。その段階で奉行所は夫を仮牢(留置所)に入れると脅し、夫はしぶしぶ寺法を拒否した詫びの文句を入れて寺法離縁状を書くという筋書き。

  • 夫から東慶寺あての寺法離縁状 3行半には収まらない。夫以外にも家主と5人組が連署加印。奥書は名主。

寺法で離縁が決まると、妻は、内済離縁と違い、すぐには下山できず、2年(24か月)は、在寺を義務付けられた。寺でのんびりしているのではなく、実態は家事奴隷みたいな待遇だったらしい。夫は離縁状を出した時点で再婚可能となる。駆け込み女は24か月後。この24か月の差は何だ?禁足期間は夫に従わなかった制裁期間と考えられているのである。

満徳寺の場合

  • 満徳寺本堂(復元)

日本に二つしかない駆込寺の、もうひとつは、群馬の満徳寺である。時宗(じしゅう)の寺で、千姫の侍女が入寺したことから家康から縁切寺と認められた。その後千姫自身が入寺したという説も(諸説あり)。満徳寺には満徳寺の寺法があり、東慶寺と異なるが、詳しくは書かない。

寺敷地内に徳川の威光を反映した寺役場があり、寺奉行への依存が強く、奉行の「お声掛り離縁」が多かった。

もともと檀家を持たない寺で、江戸時代は徳川家に護られていたが、幕府がなくなると廃寺になる(1872年)。明治以降、僧寺として継続してきた東慶寺とは対照的。現在は復元されて、1992年に縁切寺満徳寺資料館(太田市徳川町)ができて、江戸時代の縁切りについて学ぶことができる。縁結びスポットにもなっている。

  • 徳徳寺資料館の展示 水を流すと縁結びになるらしい。

2つの寺、駆け込み件数は、満徳寺の記録では100件ほど。東慶寺は江戸末期の150年間に2千人超。駆け込み地域は、満徳寺は上野国(こうずけのくに)が半分近く。東慶寺は江戸が30%。江戸から鎌倉までは13里。「十三里 比丘(びく)ともせずに嫁走り」と川柳に読まれた。駆け込み女の年齢は20歳から55歳。平均して29歳であるが、20代が大半。30代にも小さなピークがある。2,3年、寺に籠ったとしても、まだ若い。

現在もそうだが、離婚となると夫も妻も現実的になる。

江戸時代、夫は離縁状と共に嫁入り道具、持参財産も返還しなきゃならなかったから、「出ていけ!」という前に、質屋にいって荷物を返してもらう金が必要。川柳に「秋風を防ぐ持参の金屏風」。夫婦関係は金でつながっている?

離婚慰謝料(縁切金)も広く行われており、別れたい方が金を出す。相場で200万円ほどだったそうだ。幕府法では、妻の方から暇をとった(離婚を請求した)なら、持参金の放棄もやむをえない。離婚請求をした方が経済的な負担をするのが原則ルールといえ、家父長制で妻には金がない。なるべく払わないように、嫌いになった夫をおろおろさせ、離縁状を書かせ、再婚したい男を逃さない。そんなしたたかな逸話もたくさん残っている。

時代が商品経済で動くようになっていた世の中で、女性は、家事や子育ての合間に現金収入を得るためによく働き、稼ぐようになっていた。へそくりは夫の給料からでなく、自分の働きで貯えていたのよ。江戸幕府の、年貢米に依存した武家社会の建前としての男尊女卑は、まるで、妻に見捨てられて三くだり半を書く羽目になった愚かな男のようだ。

現在の女性たちも、駆け込み寺に駆け込んだ江戸時代の女たちと同じ。自分から別れるのだと、三くだり半をにぎりしめて働いている。 泣いてなんかいない。(koki)

  • 澤田瞳子「駆け入りの寺」文春文庫 京都の尼寺を舞台にした連作時代小説

 

 

コメントをお寄せください。


<パソコンの場合>
このブログの右下「コメント」をクリック⇒「コメントを投稿する」をクリック⇒名前(ニックネームでも可)、タイトル、コメントを入力し、下に表示された4桁の数字を下の枠に入力⇒「コメントを投稿する」をクリック
<スマホの場合>
このブログの下の方「コメントする」を押す⇒名前(ニックネームでも可)、コメントを入力⇒「私はロボットではありません」の左の四角を押す⇒表示された項目に該当する画像を選択し、右下の「確認」を押す⇒「投稿する」を押す

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

船橋特養「三山園」、労基署に指摘された賃金不払いを改めたら赤字になった、と民営化、分限免職(クビ)?

2024-02-08 09:16:04 | 非正規、労働問題

船橋特養「三山園」は公立(船橋、習志野、鎌ケ谷、八千代の四市複合事務組合)で安心、と言われていましたが、長年の夜勤賃金不払いが問題になっていました。

労基署の指摘でこの労働基準法違反は改められましたが、「労基署の指示に従って賃金を支払うようにしたら赤字になったから」と、今度は「民営化」(低賃金で働かせる民間に委託)方針を打ち出してきました。しかも今働いている職員は「分限免職(クビ)」にする可能性がある、というのですから、ヒドいものです。

民営化するから公務員を分限免職(クビ)にする、などという例はめったにないので、大問題になっています。

(東京新聞の記事より)

特養「三山園」民営化へ 「移らねば解雇も」に職員反発 船橋など4市事務組合、赤字で方針:東京新聞 TOKYO Web

特養「三山園」民営化へ 「移らねば解雇も」に職員反発 船橋など4市事務組合、赤字で方針

特養「三山園」民営化へ 「移らねば解雇も」に職員反発 船橋など4市事務組合、赤字で方針:東京新聞 TOKYO Web

特養「三山園」民営化へ 「移らねば解雇も」に職員反発 船橋など4市事務組合、赤字で方針:東京新聞 TOKYO Web

千葉県の船橋、習志野、八千代、鎌ケ谷市で構成する「四市複合事務組合」は、船橋市三山で運営する特別養護老人ホーム「三山園」を、社会福祉法...

東京新聞 TOKYO Web

 
 千葉県の船橋、習志野、八千代、鎌ケ谷市で構成する「四市複合事務組合」は、船橋市三山で運営する特別養護老人ホーム「三山園」を、社会福祉法人へ移譲する方針を固めた。事務組合によると、県内では現在唯一の公設公営の特養ホーム。赤字のため民間移譲を打ち出したが、園の労働組合が反発。公務員である職員が移譲先法人に移らない場合は、解雇に当たる「分限免職」とすることも示され、労働組合側は民営化と分限免職の取り消しを求めている。(保母哲)
 
 三山園は、4市で初の特養ホームとして1972年に開設された。介護が必要な高齢者向け100床のほか、ショートステイ用20床などを備えている。特養ホームは以前、自治体が設立する例が多かったが、介護保険制度の導入などで全国的に民間事業者が次々と参入。県内に524施設(昨年11月現在)ある特養ホームで、公設公営は現在、三山園のみとなっている。
 事務組合側は、経費増で赤字のため2022年、三山園の「あり方検討審議会」を設置。答申で「公設公営施設として開設された当初の役割は達成した」として、社会福祉法人への移譲を打ち出した。昨年11月には、25年4月をめどとする移譲などを盛り込んだ基本方針を策定した。
 こうした動きに、園の職員労組は反発。白井徹哉書記長らは「一方的に民営化が進められようとしている」と撤回を求めている。職員の分限免職が提示されたことに、「働く人たちの身分保障をないがしろにしている」と批判する。
 事務組合側は「公務員である職員もいったん退職していただき、社会福祉法人で働いてほしい」と説明。納得しない組合員は、4市の市役所前でビラを配るなど反発を強めている。
 
(職員組合のチラシ)
2月15日四市複合事務組合の定例議会があり、民営化と分限免職の予算・選定委員会設置条例案が提出されようとしています
 
市民にも職員にも入居者にも何の相談もなく強行しようとする松戸徹・船橋市長の強引な姿勢に怒りの声が広がっています。
 2月15日(木)午後3時から船橋市役所9階の第1会議室で開催される議会において、民営化と職員解雇のための予算・選定委員会設置条例に関する議案が提出されようとしています。下の一覧が4市複合事務組合の13人の議員です。議員の皆さんは、民営化と職員解雇に賛成しないでください。管理者である松戸徹・船橋市長は民営化と職員解雇の方針および議案を撤回してください。
 
 
休日が年80日未満で賃金未払い、労基署が指導
 
4市事務組合は「労働基準監督署からの是正勧告により人件費が増加し」(中略)と、労働組合が未払い賃金の支払いなどを求めたことが民営化の理由であるかのような主張をしています。

 本末転倒の主張です。そもそも、それ以前の三山園では、夜勤において4時間の「仮眠時間」と2時間の「休憩時間」が労働時間としてカウントされず(賃金もなし)、一般的な民間施設であれば夜勤1回が2日勤と計算されるところが三山園では実質的に約1・5日勤務とされてしまい、カウントされなかった時間については別の日に追加で働くことになり、通常であれば土日と祝日だけでも約120日の休日があるはずなのに三山園では年間休日が80日にも満たないというきわめて特異な職場環境が生じていました。
 
労働基準監督署への申告や行政指導があったことを民営化の理由とすることは、こうした経緯を無視あるいは歪曲するものであり、このような描き方に強く抗議します。
              
約10億円の改修費用の行方はどうなるのか?森友学園事件と同じやり方
 施設・土地について無償譲渡するとの話も出ています。さらには「10億円とも言われる改修費用について公費の投入が必要になるのでは」と指摘もされています(検討審議会)が、巨額の費用を自己負担してまで手を上げる民間事業者は考えにくく、森友学園事件のように巨額の゛お土産を付けて譲渡するスキームになるのはないのかとの疑問も出ています。

 船橋市、習志野市、八千代市、鎌ケ谷市で働く職員の皆さん、市民の皆さん。三山園の民営化と職員の首切り反対の声を一緒に上げてください。
 
 
 

コメントをお寄せください。


<パソコンの場合>
このブログの右下「コメント」をクリック⇒「コメントを投稿する」をクリック⇒名前(ニックネームでも可)、タイトル、コメントを入力し、下に表示された4桁の数字を下の枠に入力⇒「コメントを投稿する」をクリック
<スマホの場合>
このブログの下の方「コメントする」を押す⇒名前(ニックネームでも可)、コメントを入力⇒「私はロボットではありません」の左の四角を押す⇒表示された項目に該当する画像を選択し、右下の「確認」を押す⇒「投稿する」を押す

 
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする