(ブログ読者の投稿です)
今年7月、こんなスゴい「大久保」探検記を書いてくれた女子大生のサイトを見つけました。
京成大久保駅周辺の歴史。軍隊の街と商店街の「カフェ」の関係性
今回は「京成大久保駅」周辺を散策。なぜ、京成大久保なのかって?それは軍隊の街だから。この場所に限らず、軍隊の街というのは […...
Deepランド
京成大久保駅周辺の歴史。軍隊の街と商店街の「カフェ」の関係性
というタイトルの投稿の中に、こんな面白いことが書いてあります。
軍隊とカフェ
カフェやビリヤード場などは、兵士だけでなく地元の青年も楽しんだ場所だったようだ。
カフェ
兵士の外出には制限があり、管外に出る場合には、特別に申請して外出許可をもらわなければならなかった。通常の外出は限られた場所であったが、兵士たちは自由を求めて勇んで外出した。
こうした兵士たちの心の慰めになる近道のひとつは、やはり飲食店であった。それらの店は「大久保銀座通り」に沢山あった。特に営内に居住する下士官には兵士と異なった心情があったようで、出入りの承認が営内で夕食後に開く酒保では物足りず、まちのカフェなどに消灯までの時を過ごす人も多かったようである。また、こうしてカフェは近隣の若者の憩いの場でもあった。
兵士たちは、憩いを求めてカフェに夜な夜な出かけていたらしい。カフェが青線的な役割を果たしていたのかは不明だが、兵士たちの規則の厳しさを考えると、夜遅くまで営業はしていなかったのかもしれない。
当時を知る人たち
当時を知る方にお話を伺った。やはり、カフェが多く点在していた付近には女給のような方が多く、近寄っていはいけない雰囲気があったらしい。お祭りの神輿が商店街を通ると、カフェのあたりで立ち止まる。それはカフェで働いている方が他の場所よりも余裕があり、お金を落としていたからだ。
少ししか聞くことができなかったため、今度もう一度お話を伺って追記しようと思う。
先ほどの銀巴里も、カフェの関係だったのではないか。習志野の騎兵軍を美しい歴史でとどめておこうと、敢えてカフェなどの情報は隠しているのかもしれない。
(以上、ブログ「Deepランド」より引用させていただきました)
カフェーと純喫茶の違い
「純喫茶」の「純」って何だろう?と思ったことありませんか?もっとも若い方たちにとっては「純喫茶」という言葉自体、聞きなれない「死語」になっているかも知れません。
Wikipediaにこういう説明があります。
明治時代には「ミルクホール」が知識人たちの社交の場であった。明治末期にはコーヒーを中心に提供する「カフェー」と名乗る店舗が誕生したが、接客係の女給を置いたことから、夜には主に酒類を出し、隣に座る女性に客がチップを払うといった、現在のスナックやクラブのような業態へと変質していった。こうしたカフェーは喫茶店とも呼ばれ、関東大震災以降に隆盛を見るようになったが、一方で酒類を扱わない本来の意味での喫茶店も一般的な存在となっていった。
こうした風俗営業的なカフェー、喫茶店は1929年(昭和4年)の「カフェバー等取締要項」、1933年(昭和8年)の「特殊飲食店取締規則」により規制の対象となり、酒類とホステスによるサービスを主とする業態を「特殊喫茶」、接客の伴わない喫茶店を「純喫茶」と区別するようになった。
あっぱれ!女子大生
女給さんがお酒の酌(しゃく)をする風俗営業の喫茶店が「特殊喫茶」、接客を伴わない「純粋な」喫茶店を「純喫茶」と呼んで区別した、その「純喫茶」という呼び方が今も残っている、ということなんですね。面白い!
銀座喫茶「麗人相競う喫茶の殿堂!」(「銀座カフェー興亡史」より)
「兵士たちは、憩いを求めてカフェに夜な夜な出かけていたらしい。習志野の騎兵軍を美しい歴史でとどめておこうと、敢えてカフェなどの情報は隠しているのかもしれない。」とブログには書かれていますが、軍隊相手の店ともなれば、裏であやしげなサービスまでやる店が少なくなかったでしょうね。
そんなDeepなところにまで目をつけてこんなブログを書いた女子大生、あっぱれです。
コメントをお寄せください。
<パソコンの場合>
このブログの右下「コメント」をクリック⇒「コメントを投稿する」をクリック⇒名前(ニックネームでも可)、タイトル、コメントを入力し、下に表示された4桁の数字を下の枠に入力⇒「コメントを投稿する」をクリック
<スマホの場合>
このブログの下の方「コメントする」を押す⇒名前(ニックネームでも可)、コメントを入力⇒「私はロボットではありません」の左の四角を押す⇒表示された項目に該当する画像を選択し、右下の「確認」を押す⇒「投稿する」を押す
また‘大久保を知ろう’のような誰でも塾を開き、有識者(って誰?)という人ではない町の人たちに自由に語ってもらい、様々な角度から町を知る、知ってもらう場をつくるのはどうでしょうか。
せっかくあるお休み処を活かしてください。
商店会連合会が立ち上がったらできますよ、きっと。
決まりきった考えから抜け出さないと、賑わいのある大久保通りは戻りません。
大久保の街は、歴史も商店街もとても魅力的でまだまだ書き足らないくらいです。地元の方にお話を伺おうと思っていたのですが、今の状況が落ち着き次第また調査を進めたいと思います。
習志野市の記事もたくさん載せていきたいと思うので、今後もよろしくお願いいたします!!
コメント有り難うございます。ブログを拝見し、まさにこれこそ「考現学」!と、感嘆しました。投稿者の方も絶賛していました。
今後も「住みたい習志野」で紹介してもらいたい、と思われる新しい投稿があればお知らせください。
(習志野以外に関する投稿でも編集部の「気分で」載せさせて頂きます(笑))
楽しみにお待ちしています🙇♂️