降版時間だ!原稿を早goo!

新聞編集者の、見た、行った、聞いた。
「降版時間」は新聞社整理部の一番イヤな言葉。

★記事下広告は潤沢だった=東京日日篇❸

2014年12月19日 | 新聞

【きのう12月18日付の続きです】
ついつい最近(1990年代前半)まで、鉛活字と凸版(とっぱん)、黒インクを使って活版で組みあげていた新聞。
僕たち新聞社整理部から見た、活版鉛活字組み版から第1期CTS(コンピューター組み版・編集)までを後世に書き遺しておこうかな、と。

お断り=紙面は「激動の昭和史を読む/太平洋戦争の記憶」(アシェット・コレクションズ・ジャパン発行)の毎号コレクションズから。
当時の社会情勢や政情などには言及せず、ただ単に
「60年以上前の、昭和初期の鉛活字組み活版新聞紙面はどーなっていたのだ?あーん?」
に注目しました。
「倍」「凸版」など新聞製作で使う用語は、繰り返し(クドイかもしれないけど )注釈をつけました。
というわけで、復刻新聞紙面を見た・読んだ第46回。


昭和15(1940)年9月26日付・復刻版「夕刊東京日日新聞」篇❸
74年前の新聞。
夕刊フロント1面の〝下半身〟=写真
記事下広告、他紙は鉛活字組み2段がほとんどだったが、凸版(*1)3段はかなり潤沢ではないだろーか。
「肉も骨も直接透過する『ラヂオン』療法/合資會社テーシー商會ラヂウム研究所」
「季秋集募別特・員會座講書南
(右から左読みですね)南書講習録」
「增血/病後・産後手術後等の貧血に…研理レバー/品製究研學化理・人法團財」

時代を感じさせるなぁ、ということはさておき。

飾り罫巻き2段ハコ(写真右上・元も子もなくなる英國/ガイダ氏痛論)があり、
ナカバサミ広告(中央・関西信託=*2)、
左下にツキダシ広告もあるので、なんとなくちょっと前の(現在の)新聞紙面を感じる。

左上の8倍顔写真はカドを切ったり、
2段見出し「天羽チアノ會談」顔写真でも上下マルくしたり、
写真ほとんどに、何らかの加工がされているは意外だった。
金属板だから、けっこう手間がかかったと思うけど、当時の流行りだったのだろうか。


(*1)凸版=とっぱん
金属板を腐食させてつくる、左右逆版のハンコ。
地紋見出しや写真とともに製版部でつくっていたが、約30分以上作業時間がかかった。
たとえば、地紋見出し製版の流れは次のとおり(新聞社によって工程・時間は異なります)。
①整理部から凸版伝票を製版部に出稿
②製版部で写植打ち
③青焼きを校閲部に流し、照合チェック
④〝校閲OK〟を製版部戻し
⑤写植文字をフィルム化して製版作業
⑥約30分ほど腐食
⑦完成!
⑧製作局大組みフロアにシューター(*3)落とし
1980年代後半から、環境対策と経費節減(なのかな?)で耐久性のある樹脂板になったが、数年でCTSが始まった。

(*2)ナカバサミ広告
はかってみたら左右34倍ほどだったから、ほぼ現在のサイズ。
74年前からあったのかぁ、とビックリ。

(*3)シューター
伝票を入れた専用筒を、天井や廊下など編集局内に張り巡らされたパイプを通して、各製作部署に圧縮空気で運ぶもの。
整理部→製版部、整理部→漢テレ・入力センター、整理部→活版部文選、整理部→同小組みなど、それぞれ専用ラインがあり、相手先を間違えたら降版間際でも容赦なく突っ返された(笑)。
CTS導入以前の新聞社ではどこでも見られたから、専門の業者があったのかしらん。

★アタマ見出しは3段だった=東京日日篇❷

2014年12月18日 | 新聞

【12月9日付の続きです】
ついつい最近(1990年代前半)まで、鉛活字と凸版(とっぱん)、黒インクを使って活版で組みあげていた新聞。
僕たち新聞社整理部から見た、活版鉛活字組み版から第1期CTS(コンピューター組み版・編集)までを後世に書き遺しておこうかな、と。

お断り=紙面は「激動の昭和史を読む/太平洋戦争の記憶」(アシェット・コレクションズ・ジャパン発行)の毎号コレクションズから。
当時の社会情勢や政情などには言及せず、ただ単に
「60年以上前の、昭和初期の鉛活字組み活版新聞紙面はどーなっていたのだ?あーん?」
に注目しました。
「倍」「凸版」など新聞製作で使う用語は、繰り返し(クドイかもしれないけど )注釈をつけました。
というわけで、復刻新聞紙面を見た・読んだ第45回。


昭和15(1940)年9月26日付・復刻版「夕刊東京日日新聞」篇❷
74年前の夕刊紙面。
当時の建てページ数はいくつだったのだろう。夕刊だから、ペラ(裏表だけの2ページ)だったのではないだろうか。
各記事の見出しが小さめだから、とにかく詰め込んでいるのが分かる。
トップ見出しが3段=写真
「けふ、我軍の一部隊」
「海防
(ハイフォン)へ海路進駐」
「南支軍發表/佛印の友好期待」


続くリード(前文)はベタ活字(*1)45字どり。
当時は普通の組み方だったのか、
強調する字句が倍半(*2)になっている。
リードの行間は少し広めの66~88インテル(*3)にするのだけど、
普通行間のままで組んでいるから、少しでも記事を詰めたかったのかもしれない。
(………とても分かります。
収容すべき記事がたくさんあるときは
「行間なんかにかまっちゃらんねぇ」
「4段見出しなんてもったいねぇ」
という気持ちになりますよねぇ)

意外だったのは、
「シキリ罫」→題字下の〝書簡に關する雜感〟タタミを右に押さえつけている二分三柱罫
がすでに登場していたこと。
この記事は連載コラム扱いだったのだろーか。
必携ものがあると整理記者には助かる(*4)のだけど、
他記事が詰め詰めなのに、ドンとあるから多少違和感があるのでございます。
………長くなったので、続く。

(*1)ベタ活字
本文記事で組んでいる活字。
この夕刊東京日日の場合は、1段15字組みなんだけど、のちの扁平15字体(縦88・横110ミルス)とは異なる気がする……。
また、新聞社のある年齢層のかたは、
「ベタ活字は88・110ミルスのサイズに決まっとる!なにを言っとる!」
ということもあるから、何文字を指しているのか判別しましょう(苦笑)。

(*2)倍半=ばいはん
1倍は88ミルス。
それの1.5倍だから、88+44=132ミルス。
CTS(コンピューター組み版・編集)では11ミルスを「1U」(Uはユニットの略)として、
1倍=88ミルス=8U
1.5倍=132ミルス=12U正体(せいたい・正方形)
とした。

(*3)66~88インテル
当時の普通行間は55インテルだったのだろーか(55は55ミルスのことで、CTSでは5U行間)ちょっと見るかぎりでは不明。
インテルは行間をつくる、薄い金属板。
22、33、44、55、66、88など、新聞社活版大組みには各種用意されていた。

(*4)必携ものがあると整理は助かる
必携ものがあると、大組み時そこは考えなくてもいいから(笑)。
気のきく活版大組み担当者によっては、定例位置に先組みしていてくれて、
ドタバタ整理(←僕のこと)にはどれほど助かったかぁ。

★整理部のチカラ(←新書のタイトル風じゃん、笑)

2014年12月17日 | 新聞

【きのう12月16日付の続きのよーな感じ。あのぉ~、かさねて書きますが、ボクはニッカン関係者ではありませんので……】
新聞社の一編集部門にすぎない整理部(*1)が、新聞の売れ行きを左右することがあるのだろーか。
ある、あった、と思う。

1990年代の日刊スポーツ東京本社整理部(*2)と、彼らにゴーを出しつづけた同紙編集幹部の決断力が、当時200万部突破という飛躍的部数増を成し遂げたと思う(→まぁ、当時のエンタメ時流とも合致したのだろーけど、そこは傍においといて、ポイッ)。
組織にはイケイケな「旬」な時期があるのだなぁ、あるよなぁホント、とつくづく感じる。
さらに、当時の日刊スポーツ(以下、ニッカン)整理部が、現在のスポーツ紙の原形レイアウトをつくりあげた功績もデカい。
なぜ、新聞協会が表彰しないのか不思議。

ここが凄いよニッカン❶
スポーツ紙初の社会面(デイ・ウオッチ面)開設。
野球やサッカー、プロレス、レース、アダルト、芸能だけが面白いのではない、と政治問題・マル暴事件などを記事にしていった。
当初は膨大に配信される共同電の加工だったが、見やすいレイアウトで読ませる工夫。

ここが凄いよニッカン❷
競合紙を圧倒したレイアウト。
1980年代後半から他紙はフルページ型CTS(*3)に移行していったが、
▽写真や画像が切り抜けナイ
▽地紋見出しが曲げられナイ・加工できナイ
▽T(テキスト)データいじれナイ
▽丸形ボックスなどがつくれナイ
のナイナイ尽くしで平面的な紙面だった。
ニッカンは地紋見出しや記事を切り抜く写植電算CTSだったので、ド迫力の3D紙面ができた(→降版まで時間がかかるんだろーけど)。

ここが凄いよニッカン❸
「よしっ、レイアウト担当者名を最下段に入れろ!(アダルト面とレース面以外なっ)」
「欄外に1行メモ入れられないか!」
「写真にテキスト被せられないか!」
整理部長の発案(←推定ですよ)に応えた部員たち。
きめ細かく大胆な同紙のレイアウトは1990年代から。整理部にチカラがあったのだ。
さらに、
「面白いじゃん、もっといろいろやれっやれっ」
とゴーを出した編集局次長(←推定ですよ)。
ヒト・ハード・時流の三つが揃って部数を躍進させる、組織には旬な時期があるよなぁ、と思うのだ。


(*1)新聞社整理部
新聞編集製作の一部門。
紙面の割り付け、見出しをつけるセクション。「編集センター整理グループ」「編成部」とも。
でも近い将来、記者組み版で絶滅危惧職ではないだろーか………。

(*2)日刊スポーツ東京本社整理部
ニッカンはかつて大阪本社版と東京本社版があって、1990年代は東西全く違う紙面構成だった。
スポーツ紙を一変させたのは、N部長率いる東京本社整理部。

(*3)フルページ型CTS=ふるぺーじがたしーてぃーえす
記事テキストのほか、データ量が重い地紋見出し、活字H見出し、P写真、画像、広告などすべて取り込んで組み上げるのが、フルページ型CTS(コンピューター組み版・編集)。
対して、記事テキストはCTSディスプレーで組み上げて印画紙出力し、別システムで画像・地紋などをつくって1ページに仕上げたのがパートCTS(と呼ぶ社もあった)。
フルページはタテヨコ組みの一般紙向きで、曲げたり重ねたり被せたりの凝ったレイアウトはできなかった(←初期はね)。

★お祭りならニッカン!

2014年12月16日 | 新聞


「自公勝利3分の2維持」12月15日付日本経済新聞15版
「自公3分の2維持」同日付東京新聞11版S
「憲法改正まっしぐら安倍」
「与党圧勝2/3の317議席確保」日刊スポーツ(以下ニッカン)同日付最終面(*1)9版。ちなみに、フロント1面は「羽生結」しか見えなかったので、
〝羽生くん結婚か?〟と思ってしまった(笑)「羽生結弦は帰ってきた!!」

開票速報紙面は、天下国家の一般紙より、読者目線に徹したニッカンの方が分かりやすいと思う=写真
衆院選総力5ページ展開で、
「小選挙区295議席」を日本地図に模したグラフィックで表し、同じく「衆院選当確速報」も。
さりげなくも、見やすいビジュアル。

「海江駄目よ駄目駄目~落選民主代表辞任へ」
「喜美氏落選、涙で謝罪/9月家宅捜索されていた」
「捜査本格化、失職可能性も/小渕憂子氏圧勝もイバラの道」
「18年ぶり小選挙区獲った、共産躍進」
「泣きの完敗宣言が効いた⁈残った橋下維新」
大谷昭宏氏、福岡政行氏の解説コラムで、さりげなくも、今後の政局解説。

きめ細かく大胆なレイアウトで、お祭りになると強いなぁ、ニッカン。
スポーツ紙で初めて社会面をつくった(*2)感度の良さは相変わらずでございます。
(→あのぉ~、僕はニッカン関係者ではありませんので、笑)

(*1)最終面
いわゆる、裏1面。ウライチとも。

(*2)スポーツ紙で初めて社会面
1977年スタート。当初は「デイ・ウオッチ」というページ名で連日1~2ページ掲載。
記事は共同を加工し、10行ぐらいにまとめた短信コラム型だった。

★梅原猛さんは、あと10年生きたいと言った。

2014年12月14日 | 新聞/小説

チャッチャッと期日前投票を終え、梅原猛さんの新著『親鸞「四つの謎」を解く』(新潮社刊、本体2,200円=写真右)刊行記念講座に行った。
梅原猛さん御年90歳、やや足運びが小さいものの、ご自分で登壇された。

1時間の予定が少しオーバーしたほど、熱っぽく親鸞聖人について語られた。
「私も齢90。同じ歳で亡くなった親鸞を理解しえた気がします。何か巡り合わせ、縁(えにし)を感じています。
親鸞が私に乗り移ったのかもしれませんな、ほっほっほっほっほっ」

聖人4つの謎とは。
①親鸞はなぜ出家したのか?
②親鸞はなぜ法然の弟子となったのか?
③親鸞はなぜ結婚したのか?
④親鸞はなぜ異常なまでに悪の自覚を持つのか?


いずれの謎の鍵を握るのが、親鸞の玄孫・存覚が書いた
『親鸞聖人正明伝(しょうめいでん)』
で、梅原さんは何十回と読み込み、同伝に基づくことで謎のいくつかが解けたと言う。
(*『正明伝』は長い間、教団からは偽書とされてきたが、15年ほど前に佐々木正氏著『親鸞始記』で存覚著に間違いないと論じた→梅原さんも同説を支持)

さらに梅原さんは、吉良潤氏著『親鸞は源頼朝の甥』に拠る。
親鸞の母は源氏の有力者の娘という説が以前からあったが、その〝有力者〟とは源義朝である!
「十分な説得力がある」
とした。
上記2著を基に、『教行信証』『歎異抄』と照らし合わせながら各地を調査・取材して書き上げたのが新著。

聖人の悪人正機説を、父殺しのアジャセ王から照射されるなど、
梅原講座、いやぁ~面白かったぁ!
僕も同著を刊行直後に読んでいたけど、講座であらためて納得した(ような気がする)。
(*『親鸞「四つの謎」を解く』は、芸術新潮2014年3月号特集をベースにし、大幅に加筆修正したもの)


「皆さん、どうぞお元気で。
この本、私の遺言になるかもしれませんが、
あと10年は生きたいと思っております、ほっほっほっ」
拍手のなか梅原さん、笑顔で壇を去られたのでございました。

★若杉冽さんは、どんな作家なのだろう?❸止

2014年12月13日 | 新聞/小説

【 きのう12月12日付の続きです。
「止」は分載原稿の最後〝コレデ終ワリダヨン〟の意味です 】

告発ノベル第2弾『東京ブラックアウト』(現役キャリア官僚・若杉冽さん、講談社刊行、本体1,600円=写真右)を読んだ。
我が身と立身出世しか考えない集団・霞が関(→とくに経産省!)と、
安全なんかどーでもいいよ原発早く動かせの電力会社&政権に、ハラが立つハラが立つ。
読後感が悪いので、ある意味〝イヤミス〟なのかもしれない。

で、
若杉冽さんは、どんな人なんだろう。
(以前、とある新聞に首下スーツ姿でインタビューを受ける写真が出ていたけど、見なかったことにして)2冊の告発ノベルから探った。

▽真保裕一、真山仁さんをよく読まれている人ではないだろーか
雪中・山中シーンでの描写や、テンポの良さ、改行が多い文体から、
真保、真山さんの作風に似ている気がするけど、たぶん気のせいでしょう。

▽劇画チックなセリフが意外と多い
僕が「ん?」と感じたのは(以下、本文から引用しました)

「……でも、大泉元首相は、いつ着火してもおかしくない存在ですよ」
「うぐぅ」声にならない音を小島は発する。

(僕註=大泉元首相は小泉純一郎元首相か、小島は日本電力連盟常務理事・小島巌)

「ハッ、ハァー」
しかし時代劇の侍のように、井桁は頭を垂れた。

(僕註=井桁は、原子力規制庁長官)

など、コミックの原作的セリフ回しがかなりあった。

▽ズバッと言い切る表現も散見
以下のゴキブリのほか、バカ、チャンチャラおかしい、などの卑近な言い回しも。

日本が東西に分断されかねない国家存亡の危機を経験しても、懲りずにしぶとく生き抜く縦割りの官僚制……あたかもそれは(中略)ゴキブリと同じであり、
放射能汚染に抵抗力があるところもまた、官僚制とゴキブリには共通性があった。
(後略)

▽アノ人だよねぇ、と分かりやすい登場人物名ばかりだけど、実名の人もいる
元経産省「古賀茂明」さんほか数人が実名で登場してきたが、何かのメッセージなのだろーか。
ちなみに、経産省とは表記することは少なく、「経済産業省」ときちんと書かれている。
▽加部信造総理=たぶん、アノ人だよねぇ
▽加部咲恵=たぶん、アノ首相夫人だよねぇ
▽前経済産業大臣・小口陽子=たぶん、アノ人だよねぇ
▽2011年当時の江田川経産相=フクシマ原発事故で、真っ先に家族をシンガポールに脱出させた、たぶんアノ人だよねぇ
▽参院議員・元俳優の山下次郎=たぶん、アノ人だよねぇ
▽おいらの党=アジェンダ・アジェンダ連呼のあげく熊手を買って分裂→解党した、たぶんアノ党だよねぇ
▽公命党、民自党、原発推進の老年の党、結びの党と合流した改新の党=それぞれ、たぶんアノ党だよねぇ

という茶目っ気もある感じなので、
以上を推測した人物像は
……………………………分かりませ~ん。
案外、30代後半の女性かも。

★アノ人も登場、若杉冽さん告発ノベル❷

2014年12月12日 | エンターテインメント

【きのう12月11日付の続きです】
なんとしても「2014年12月10日」前に刊行しなければならなかったのではないだろーか、現役キャリア官僚の若杉冽さんは。
12月10日は特定秘密保護法施行日。

『東京ブラックアウト』(若杉冽さん、講談社刊、本体1,600円=写真右)を読んでいる。
我が身と立身出世しか考えない集団だろーな霞が関は、と思っていたけど、それ以上の体たらく。品性劣悪なり(←多少は誇張して書いていらっしゃるのだろーけど)。
読んでいて、ハラが立つハラが立つハラ辰徳。
原発再稼動に急ぐ政権と暗躍する関東電力、近い将来必ず来るであろう大地震と火山噴火をかんがえたら、震える震える震えるうえにハラが辰徳。

第5章「天皇と首相夫人と原発と」には唸ってしまった。
若杉さんは御所に行かれたことがあるのだろう、御所内インテリアと来客接遇メニューが実に詳細(→調べれば分かるのかしらん)。
以下、本文から引用しました。

陛下が私的旅行として足尾銅山の跡地を訪問されたことも、原子力災害を二度と繰り返すことのないようにとの陛下の強い意志の表れである。
(中略)
「ときに井桁さん」(僕註=原子力規制庁長官・井桁勝彦)
と、陛下は微笑みを浮かべながらも、それでもどこか寂しそうな表情で、井桁長官に声をおかけになった。
テーブルの上には、ウェッジウッドのワイルドストロベリーに注がれた紅茶のそばに、角砂糖、ミルク、レモンスライス、そしてプティフールがいくつか添えられている。
御所での来客への接遇は、大衆が想像するよりも遥かに質素で、ありふれたものなのである。

(中略)
「原発でフクシマ以上の事故が起きたときに、災害対策本部が立ち上がり、総理が本部長として指揮を執ることが法律には書いてありますね。
しかし結局のところ、いったい誰が責任を持って事故を収めることになるのですか?」
井桁は、この陛下のシンプルなご質問に答えられない。

(中略)
陛下の目の焦点は相変わらず遠くで結ばれたままだ。陛下の疑問は、井桁ではなく、井桁の背後に潜む、戦前から連綿と続く官僚制、そのものに対して問いかけられているのだろう。
(中略)
「もうよい、井桁さん」
陛下は悲しそうなお顔で、その視線の焦点を、ようやく井桁に合わされた。
「........これは、警察と自衛隊の縄張り争いの話ではありませんよ」

(後略)

描写が巧いなぁ、と思う。
自衛隊法、原子力災害対策措置法改正、警察、消防などのデータを駆使して、法の不備と縦割り官僚制の危うさを突いていく。
前作『原発ホワイトアウト』と同様に、首相や夫人、代議士、電力会社が〝分かりやすい〟表記で出てくるからいいのだけど、
なおさら若杉さんの身辺が心配になってしまう。
................長くなったので、再び続く。

★若杉冽さん再び告発ノベル!❶

2014年12月11日 | 新聞/小説

なんとしても「2014年12月10日」前に刊行しなければならなかったのではないだろーか、現役キャリア官僚の若杉冽さんは。
12月10日は特定秘密保護法施行日。

『東京ブラックアウト』(若杉冽さん、講談社刊、本体1,600円=写真右)を読んでいる。
面白くて止まらない。
『原発ホワイトアウト』(2013年、講談社刊=同左)に続く、日本を貪り食う電力モンスター・システムもの(→でも若杉さん、この第2弾が最後になるのではないだろーか.......)。

『東京ブラックアウト』は、「2011年12月24日」付毎日新聞夕刊から始まった。
東日本大震災・福島第一原発事故
最悪『一七◯キロ圏強制移住』
原子力委員長、前首相に三月試算

(あのぉ~、余計なことなんですけど、毎日新聞は数字など洋数字表記なので、タテ書き小説向けに和数字に改めないほうが臨場感があったよーな........)
(ちなみに、前作『原発ホワイトアウト』は朝日新聞記事から始まっていた)

プロローグに続き、本文は。
ある年の大晦日の夜。
列島を爆弾低気圧が襲い、日本海側にある関東電力・新崎(にいざき)原子力発電所の高圧送電線鉄塔が倒壊、原発が緊急停止した。
翌元日午前7時すぎ。
原子炉冷却用バッテリー電源が切れ、原子炉の圧は急速に上昇しはじめた。
新崎原発では慌てて非常用バッテリー電源に切り替えようとするが、
5メートルにも及ぶ積雪と猛吹雪に外部電源車は機能しなかった。
原発所長代理は、官邸オペレーションルームに
「原子力災害対策特別措置法に基づく一五条通報です! 原子力緊急事態です!」
と報告した。

同時刻、東京。
非常事態を察知した資源エネルギー庁次長は密かにトイレへ駆け込み、docomo公回線電話で家族に
「急げ、日本を脱出しろ!」
と告げた................そう、あの時の「江田川経産相」のよーに。
(→以下、書けません。
品性なき木っ端役人根性の官僚たちにハラが立ってハラが立ってハラが立ってハラ辰徳)

読み進むうち、若杉さんの身辺まで心配になったりして。
ガードをしっかり、進撃の講談社。
怪しげなマスコミ取材うけるな、若杉さん。
という感じ。

................長くなったので、続く。

★「夕刊東京日日」初めて見た。

2014年12月09日 | 新聞

【12月6日付の続きです】
ついつい最近(1990年代前半)まで、鉛活字と凸版(とっぱん)、黒インクを使って活版で組みあげていた新聞。
僕たち新聞社整理部から見た、活版鉛活字組み版から第1期CTS(コンピューター組み版・編集)までを後世に書き遺しておこうかな、と。

お断り=紙面は「激動の昭和史を読む/太平洋戦争の記憶」(アシェット・コレクションズ・ジャパン発行)の毎号コレクションズから。
当時の社会情勢や政情などには言及せず、ただ単に
「60年以上前の、昭和初期の鉛活字組み活版新聞紙面はどーなっていたのだ?あーん?」
に注目しました。
「倍」「凸版」など新聞製作で使う用語は、繰り返し(クドイかもしれないけど )注釈をつけました。
というわけで、復刻新聞紙面を見た・読んだ第44回。


昭和15(1940)年9月26日付・復刻版「夕刊東京日日新聞」篇❶

3段題字下には(右→左書きだけど分かりやすく)
大阪毎日新聞社東京支店
麴町區有樂町一丁目十一番三
東京日日新聞發行所
昭和十五年九月二十六日(二十五日發行)=写真左

夕刊だから欄外日付は翌日付のようだけど、
「大阪毎日新聞社」の東京支店が、「東京日日新聞」を発行している、ということかしらん。
大阪毎日新聞と東京日日新聞が合併したのは1911(明治44)年で、
大阪毎日新聞、東京日日新聞の題号を「毎日新聞」に統一したのが1943(昭和18)年だから、
この当時は別々の題字だったのだろう。

【 紙面構成 】
1段15字組み(*1)の15段編成。
他紙は2段広告だったけど、下段に広告が3段もある。それも、鉛活字組みではなく金属の凸版広告が多い。
左下段には「ツキダシ広告」があり、「ナカバサミ広告」(*2)も入っている。
広告出稿は、わりと潤沢だったのかも。
………長くなったので、続く。

(*1)1段15字組み
全面1行15字組みなのだけど、部分的に異なるフォント(書体)で組まれているところがある。
当時は全部手拾い文選だったから、いろいろな活字棚があったのかもしれない。

(*2)ツキダシ広告・ナカバサミ広告
記事組みの最下段、右・左にある2段広告が「ツキダシ」、
記事の中、段のほぼ中央に入る1段34倍ぐらいの広告が「ナカバサミ」あるいは「ナカ広(こう)」と呼んだ。
(新聞社によって、呼び方が異なります)

★ヤマ罫が変わった?

2014年12月08日 | 新聞


以下のことは、とてもマニアチックなコトで、
「だから、どーしたというのだ?」
「なにか問題でもあるというのかね?あーん?」
と言われかねないのだけど。

レイアウト・紙面構成がオーソドックスな日経新聞のヤマ罫(けい)が変わっていた。
朝日新聞タイプの、長めのヤマ罫になっていた=写真中央が日経、右が朝日、左は読売新聞

活版時代を含め、2種類がある。
▽ヤマ罫=罫上下に3~4倍(*)のアキがある。記事を分ける・遮る。
▽仕切り罫=罫上下にアキがない。ビチビチ。
主に、記事をオサエルときに使う。
読む人が左段から右下段に目線を移そうとしたら
〝おっとぉ~、こっちは別な記事だから来ちゃダメよ~ダメダメ〟
という感じの罫(笑)。

朝日と日経新聞のヤマ罫は、上下に1.5倍ほどのアキがあり、
読売・毎日新聞は3~4倍アキの、従来型ヤマ罫
................だから、それが何か問題なのか?と言われても困るのだけど。


(*)倍=ばい
新聞編集で使う単位。
文字サイズのほか、画像サイズ指定でも用いる。
1倍は88ミルスで、1段1行15字組み時代の偏平活字の縦サイズ(←現在でも人事欄などで活躍中。横は110ミルス)。
コンピューター組み版・編集(CTS)では、11ミルスを「1U」(ユーはユニットの略)とし、
1倍=88ミルス=8U
とした。