降版時間だ!原稿を早goo!

新聞編集者の、見た、行った、聞いた。
「降版時間」は新聞社整理部の一番イヤな言葉。

★アタマ見出しは3段だった=東京日日篇❷

2014年12月18日 | 新聞

【12月9日付の続きです】
ついつい最近(1990年代前半)まで、鉛活字と凸版(とっぱん)、黒インクを使って活版で組みあげていた新聞。
僕たち新聞社整理部から見た、活版鉛活字組み版から第1期CTS(コンピューター組み版・編集)までを後世に書き遺しておこうかな、と。

お断り=紙面は「激動の昭和史を読む/太平洋戦争の記憶」(アシェット・コレクションズ・ジャパン発行)の毎号コレクションズから。
当時の社会情勢や政情などには言及せず、ただ単に
「60年以上前の、昭和初期の鉛活字組み活版新聞紙面はどーなっていたのだ?あーん?」
に注目しました。
「倍」「凸版」など新聞製作で使う用語は、繰り返し(クドイかもしれないけど )注釈をつけました。
というわけで、復刻新聞紙面を見た・読んだ第45回。


昭和15(1940)年9月26日付・復刻版「夕刊東京日日新聞」篇❷
74年前の夕刊紙面。
当時の建てページ数はいくつだったのだろう。夕刊だから、ペラ(裏表だけの2ページ)だったのではないだろうか。
各記事の見出しが小さめだから、とにかく詰め込んでいるのが分かる。
トップ見出しが3段=写真
「けふ、我軍の一部隊」
「海防
(ハイフォン)へ海路進駐」
「南支軍發表/佛印の友好期待」


続くリード(前文)はベタ活字(*1)45字どり。
当時は普通の組み方だったのか、
強調する字句が倍半(*2)になっている。
リードの行間は少し広めの66~88インテル(*3)にするのだけど、
普通行間のままで組んでいるから、少しでも記事を詰めたかったのかもしれない。
(………とても分かります。
収容すべき記事がたくさんあるときは
「行間なんかにかまっちゃらんねぇ」
「4段見出しなんてもったいねぇ」
という気持ちになりますよねぇ)

意外だったのは、
「シキリ罫」→題字下の〝書簡に關する雜感〟タタミを右に押さえつけている二分三柱罫
がすでに登場していたこと。
この記事は連載コラム扱いだったのだろーか。
必携ものがあると整理記者には助かる(*4)のだけど、
他記事が詰め詰めなのに、ドンとあるから多少違和感があるのでございます。
………長くなったので、続く。

(*1)ベタ活字
本文記事で組んでいる活字。
この夕刊東京日日の場合は、1段15字組みなんだけど、のちの扁平15字体(縦88・横110ミルス)とは異なる気がする……。
また、新聞社のある年齢層のかたは、
「ベタ活字は88・110ミルスのサイズに決まっとる!なにを言っとる!」
ということもあるから、何文字を指しているのか判別しましょう(苦笑)。

(*2)倍半=ばいはん
1倍は88ミルス。
それの1.5倍だから、88+44=132ミルス。
CTS(コンピューター組み版・編集)では11ミルスを「1U」(Uはユニットの略)として、
1倍=88ミルス=8U
1.5倍=132ミルス=12U正体(せいたい・正方形)
とした。

(*3)66~88インテル
当時の普通行間は55インテルだったのだろーか(55は55ミルスのことで、CTSでは5U行間)ちょっと見るかぎりでは不明。
インテルは行間をつくる、薄い金属板。
22、33、44、55、66、88など、新聞社活版大組みには各種用意されていた。

(*4)必携ものがあると整理は助かる
必携ものがあると、大組み時そこは考えなくてもいいから(笑)。
気のきく活版大組み担当者によっては、定例位置に先組みしていてくれて、
ドタバタ整理(←僕のこと)にはどれほど助かったかぁ。