降版時間だ!原稿を早goo!

新聞編集者の、見た、行った、聞いた。
「降版時間」は新聞社整理部の一番イヤな言葉。

★エトキはケツ⁈=東京日日篇❻止

2014年12月25日 | 新聞

【おととい12月23日付の続きです。「止」は分載原稿の最後コレデ終ワリダカラナのマークです】
ついつい最近(1990年代前半)まで、鉛活字と凸版(とっぱん)、黒インクを使って活版で組みあげていた新聞。
僕たち新聞社整理部から見た、活版鉛活字組み版から第1期CTS(コンピューター組み版・編集)までを後世に書き遺しておこうかな、と。

お断り=紙面は「激動の昭和史を読む/太平洋戦争の記憶」(アシェット・コレクションズ・ジャパン発行)の毎号コレクションズから。
当時の社会情勢や政情などには言及せず、ただ単に
「60年以上前の、昭和初期の鉛活字組み活版新聞紙面はどーなっていたのだ?アーン?」
に注目しました。
「倍」「凸版」など新聞製作で使う用語は、繰り返し(クドイかもしれないけど )注釈をつけました。
というわけで、復刻!昭和の新聞紙面を見た!読んだ!第49回。


昭和15(1940)年9月26日付・復刻版「夕刊東京日日新聞」篇❻止
74年前の新聞。
読み始めると面白いし、現在の新聞編集と比べると、けっこう
「へぇ~、そうなんだぁ~。ふむふむ」
なところがあった。

【ヤマは入れないの?】
写真右下の2段見出し
3倍M「盛り場の駐車場」
2倍M「來月からいよ〃廢止」
(Mは明朝体*)
の横写真(人がたくさんいる写真)が記事に対応しているのかと思ったら、上の
4倍M「蓋開け 忽ち満員」
1.5倍G「本社主催」
3倍M「『戰ふドイツ展』の人氣」
(Gはゴシック体)
の記事写真だった。
同記事の最後行に
ベタG「寫眞は白木屋の〝ドイツ展〟」
とある。
へぇ~、こういうのアリだったのかぁ(→たまたまのイレギュラーだったのかもしれないけど)

普通なら、「盛り場の駐車場」右に2段ヤマケイを立てて記事を分けるのだけど、当時は
ケツエト(最後行にエトキ)
でよかったようだ。
というか、
下エト(写真の下にエトキ。上ならウエエト)
自体が無いのだなぁ。

(*)Mは明朝体
製作局文選との暗黙ルールで、見出しなどで書体指定がなければ、自動的に明朝体。
CTS(コンピューター組み版・編集)でも、入力モードにすると、とりあえず「M」が出てくる設定になっていた。

ところが、
製版部とはなぜか暗黙ルールがなく(笑)、書体指定忘れ地紋凸版を出稿すると、ジリリリーン
「忙しいんだからよぉ、MかGぐらい書いておけよ!激オコよ!」
と直通電話が来た。

活版当時、製版部が持っていた地紋見出し用書体(写植フォント)は、
▽極太ゴシック体→文字数自体がそろってなかった。
▽太ゴシック体→フロント1面トップ専用的な。
▽中ゴシック体→普通の地紋見出しに使用。
▽細ゴシック体→黒字・袋字とも、僕好み(あ、関係ないか、笑)
▽中太丸ゴシック体→なんとなくマンガチックになってしまうので、僕は1度も使わず(あ、関係ないか、笑)
▽細丸ゴシック体→かなり弱々しい書体、僕は1度も使わず。
▽太明朝体(大蘭明朝体とも)→どぎついので、整理部誰も使わず。
▽中明朝体→普通は、これ。
▽細明朝体(新聞明朝体とも)→企画ものに使うと、面白い効果あり。
………けっこう、たくさんあったのだなぁ。