降版時間だ!原稿を早goo!

新聞編集者の、見た、行った、聞いた。
「降版時間」は新聞社整理部の一番イヤな言葉。

★大メントケイがあったという衝撃。

2014年12月01日 | 新聞

ついつい最近(1990年代前半)まで、鉛活字と凸版(とっぱん)、黒インクを使って活版で組みあげていた新聞。
僕たち新聞社整理部から見た、活版鉛活字組み版から第1期CTS(コンピューター組み版・編集)までを後世に書き遺しておこうかな、と。

お断り=紙面は「激動の昭和史を読む/太平洋戦争の記憶」(アシェット・コレクションズ・ジャパン発行)の毎号コレクションズから。
当時の社会情勢や政情などには言及せず、ただ単に
「60年以上前の、昭和初期の鉛活字組み活版新聞紙面はどーなっていたのだ?アーン?」
に注目しました。
「倍」「凸版」など新聞製作で使う用語は、繰り返し(クドイかもしれないけど )注釈をつけました。
というわけで、復刻新聞紙面を見た・讀んだ第40回。


昭和16(1941)年12月11日付・復刻版「大阪毎日新聞」市内版@第21081号・篇❶

現在のインテリジェント・ブルー題字になる前の、毎日新聞と同じ縦組み題字。
題字下には(右→左読みだけど分かりやすく)
「發行所
大阪市北區堂島上二丁目三六
大阪毎日新聞社」
とあるから、毎日大阪本社が梅田新社屋に移転する前の堂島旧社屋の地だろうか。

さらに、
「【本社定期刊行物】
東京日日新聞
大毎少國民新聞(→現在の小学生新聞のことだろうか)
東日少國民新聞(→同。大阪・関東版があったのだろうか)
サンデー毎日
エコノミスト(→サン毎、エコノミストがすでにあったのかぁ!)」
とあって、題字下だけ読んでもけっこう興味深い。

ということはさておき、73年前の紙面=写真左
社説が1面トップにあって、これはこれでいいかも。
1段15字、行間55(かな?)、流しタタミ。
7段メントケイ(*)押さえというところが凄い。こんなデカいのは初めて見た。
社説が中面に流しだったり、ハコ風にタタんであったり、当時はかなり新聞社ごとに社説の組み方が多彩だったようだ。
現在のような定型組みに落ち着いたのは、いつぐらいからなんだろう。
2段「海上權われに歸す」
3倍活字M体で、高らかな見出しなんだけど........。

長くなったので、続く。


(*)メントケイ
地紋凸版「英東洋艦隊主力全滅す」の右にある、一種の飾りケイ。
普通の流し記事では使わず、決まりものタタミなどを押さえるケイ。
「メント」の語源を、活版製作局の人に聞いたことがあったが
「ドイツ語じゃね?(語尾上げ)」
整理部デスクに聞いたら
「ん?.......そういや、何だろうなぁ?」
だった。
活版時代、僕も1段、2段、3段メントまでは使用したことはあったが、7段メントがあるなんて知らなかった。
初期CTS(コンピューター組み版・編集)にも取り込んであり、タテ・ヨコに設定可だったのにはビックリした(とはいえ、あまり使いようがないケイだった)。