降版時間だ!原稿を早goo!

新聞編集者の、見た、行った、聞いた。
「降版時間」は新聞社整理部の一番イヤな言葉。

★記事下広告は潤沢だった=東京日日篇❸

2014年12月19日 | 新聞

【きのう12月18日付の続きです】
ついつい最近(1990年代前半)まで、鉛活字と凸版(とっぱん)、黒インクを使って活版で組みあげていた新聞。
僕たち新聞社整理部から見た、活版鉛活字組み版から第1期CTS(コンピューター組み版・編集)までを後世に書き遺しておこうかな、と。

お断り=紙面は「激動の昭和史を読む/太平洋戦争の記憶」(アシェット・コレクションズ・ジャパン発行)の毎号コレクションズから。
当時の社会情勢や政情などには言及せず、ただ単に
「60年以上前の、昭和初期の鉛活字組み活版新聞紙面はどーなっていたのだ?あーん?」
に注目しました。
「倍」「凸版」など新聞製作で使う用語は、繰り返し(クドイかもしれないけど )注釈をつけました。
というわけで、復刻新聞紙面を見た・読んだ第46回。


昭和15(1940)年9月26日付・復刻版「夕刊東京日日新聞」篇❸
74年前の新聞。
夕刊フロント1面の〝下半身〟=写真
記事下広告、他紙は鉛活字組み2段がほとんどだったが、凸版(*1)3段はかなり潤沢ではないだろーか。
「肉も骨も直接透過する『ラヂオン』療法/合資會社テーシー商會ラヂウム研究所」
「季秋集募別特・員會座講書南
(右から左読みですね)南書講習録」
「增血/病後・産後手術後等の貧血に…研理レバー/品製究研學化理・人法團財」

時代を感じさせるなぁ、ということはさておき。

飾り罫巻き2段ハコ(写真右上・元も子もなくなる英國/ガイダ氏痛論)があり、
ナカバサミ広告(中央・関西信託=*2)、
左下にツキダシ広告もあるので、なんとなくちょっと前の(現在の)新聞紙面を感じる。

左上の8倍顔写真はカドを切ったり、
2段見出し「天羽チアノ會談」顔写真でも上下マルくしたり、
写真ほとんどに、何らかの加工がされているは意外だった。
金属板だから、けっこう手間がかかったと思うけど、当時の流行りだったのだろうか。


(*1)凸版=とっぱん
金属板を腐食させてつくる、左右逆版のハンコ。
地紋見出しや写真とともに製版部でつくっていたが、約30分以上作業時間がかかった。
たとえば、地紋見出し製版の流れは次のとおり(新聞社によって工程・時間は異なります)。
①整理部から凸版伝票を製版部に出稿
②製版部で写植打ち
③青焼きを校閲部に流し、照合チェック
④〝校閲OK〟を製版部戻し
⑤写植文字をフィルム化して製版作業
⑥約30分ほど腐食
⑦完成!
⑧製作局大組みフロアにシューター(*3)落とし
1980年代後半から、環境対策と経費節減(なのかな?)で耐久性のある樹脂板になったが、数年でCTSが始まった。

(*2)ナカバサミ広告
はかってみたら左右34倍ほどだったから、ほぼ現在のサイズ。
74年前からあったのかぁ、とビックリ。

(*3)シューター
伝票を入れた専用筒を、天井や廊下など編集局内に張り巡らされたパイプを通して、各製作部署に圧縮空気で運ぶもの。
整理部→製版部、整理部→漢テレ・入力センター、整理部→活版部文選、整理部→同小組みなど、それぞれ専用ラインがあり、相手先を間違えたら降版間際でも容赦なく突っ返された(笑)。
CTS導入以前の新聞社ではどこでも見られたから、専門の業者があったのかしらん。