降版時間だ!原稿を早goo!

新聞編集者の、見た、行った、聞いた。
「降版時間」は新聞社整理部の一番イヤな言葉。

★整理部のチカラ(←新書のタイトル風じゃん、笑)

2014年12月17日 | 新聞

【きのう12月16日付の続きのよーな感じ。あのぉ~、かさねて書きますが、ボクはニッカン関係者ではありませんので……】
新聞社の一編集部門にすぎない整理部(*1)が、新聞の売れ行きを左右することがあるのだろーか。
ある、あった、と思う。

1990年代の日刊スポーツ東京本社整理部(*2)と、彼らにゴーを出しつづけた同紙編集幹部の決断力が、当時200万部突破という飛躍的部数増を成し遂げたと思う(→まぁ、当時のエンタメ時流とも合致したのだろーけど、そこは傍においといて、ポイッ)。
組織にはイケイケな「旬」な時期があるのだなぁ、あるよなぁホント、とつくづく感じる。
さらに、当時の日刊スポーツ(以下、ニッカン)整理部が、現在のスポーツ紙の原形レイアウトをつくりあげた功績もデカい。
なぜ、新聞協会が表彰しないのか不思議。

ここが凄いよニッカン❶
スポーツ紙初の社会面(デイ・ウオッチ面)開設。
野球やサッカー、プロレス、レース、アダルト、芸能だけが面白いのではない、と政治問題・マル暴事件などを記事にしていった。
当初は膨大に配信される共同電の加工だったが、見やすいレイアウトで読ませる工夫。

ここが凄いよニッカン❷
競合紙を圧倒したレイアウト。
1980年代後半から他紙はフルページ型CTS(*3)に移行していったが、
▽写真や画像が切り抜けナイ
▽地紋見出しが曲げられナイ・加工できナイ
▽T(テキスト)データいじれナイ
▽丸形ボックスなどがつくれナイ
のナイナイ尽くしで平面的な紙面だった。
ニッカンは地紋見出しや記事を切り抜く写植電算CTSだったので、ド迫力の3D紙面ができた(→降版まで時間がかかるんだろーけど)。

ここが凄いよニッカン❸
「よしっ、レイアウト担当者名を最下段に入れろ!(アダルト面とレース面以外なっ)」
「欄外に1行メモ入れられないか!」
「写真にテキスト被せられないか!」
整理部長の発案(←推定ですよ)に応えた部員たち。
きめ細かく大胆な同紙のレイアウトは1990年代から。整理部にチカラがあったのだ。
さらに、
「面白いじゃん、もっといろいろやれっやれっ」
とゴーを出した編集局次長(←推定ですよ)。
ヒト・ハード・時流の三つが揃って部数を躍進させる、組織には旬な時期があるよなぁ、と思うのだ。


(*1)新聞社整理部
新聞編集製作の一部門。
紙面の割り付け、見出しをつけるセクション。「編集センター整理グループ」「編成部」とも。
でも近い将来、記者組み版で絶滅危惧職ではないだろーか………。

(*2)日刊スポーツ東京本社整理部
ニッカンはかつて大阪本社版と東京本社版があって、1990年代は東西全く違う紙面構成だった。
スポーツ紙を一変させたのは、N部長率いる東京本社整理部。

(*3)フルページ型CTS=ふるぺーじがたしーてぃーえす
記事テキストのほか、データ量が重い地紋見出し、活字H見出し、P写真、画像、広告などすべて取り込んで組み上げるのが、フルページ型CTS(コンピューター組み版・編集)。
対して、記事テキストはCTSディスプレーで組み上げて印画紙出力し、別システムで画像・地紋などをつくって1ページに仕上げたのがパートCTS(と呼ぶ社もあった)。
フルページはタテヨコ組みの一般紙向きで、曲げたり重ねたり被せたりの凝ったレイアウトはできなかった(←初期はね)。