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秋田内陸100㎞マラソンは終わった。
1年間準備をして、参加した。
H28/12クリスマスに、
一時は歩くのも苦痛を感じるほど腰が痛くなった。
突然「脊柱管狭窄症」と診断され、年齢からみて、死ぬまで治らない、と言う。
「秋田100㎞マラソンに賭ける」出版作業も重なる。
必死の治療。
H29/2末に、治癒して、
3/4稲毛30㎞ロード1位、3/28佐倉フル80才台2位、に参加できた。
この速い治癒に「浮かれて」、
4/29の千葉県陸上競技 記録会開催の下見に行く途中、
4/12自転車柵にペダルをひっかけて、背中から転倒。
肋骨3本完全骨折。肺に骨が刺さった。
これも、治癒して、
6/4柴又60㎞レース、80歳台で1位。
と、まあバカなことをした、と悔やんだ。
5か月も、ウルトラ練習ができなかった。
自己責任だ。
8月、「本」も出版できた。
それと、角館に行けたので、
前夜祭で去年に引き続き2枚目の「最高齢チャレンジ賞」をいただいた。(下の写真)
9/24朝4:30にいつもの通りスタートできた。
いつもの通り空を見上げ、よくここまでこれたと感慨深かった。
気温16℃、湿度94%という。
50㎞比立内関門は10時55分通過。
ここまでは、予定より遅れてはいたが、まだばん回可能範囲だった。
だが練習不足からか、笑内バイパスの登りで、筋肉痛がひどく、気力がなえてしまった。
55.9㎞の笑内エイドで、筋肉痛対策の、ロキソニンとガストール服用。
痛みがきえないので、58㎞の七面山水エイドで、
ロキソニンとスクラートをもう1回服用。
64.5㎞の阿仁関門で、痛み薄らいだ。
リタイアー者収容バスに30人の行列。
これを、「冷ややか」に横目で見て、65㎞の北緯40度写真ゲートを越えた。
リタイアー者2人と話しながら吉田の田んぼにはいった。
痛みが薄らいだ。
「悪いけど、先に行く」と、この2人と別れた。
徐々にスピードが出て、先に行く選手を、追い抜き始めた。
だが、76.83㎞の、森吉除雪センターエイドで、気力が消えかかった。
リタイアー宣言。
すでに15:15。
81㎞森吉関門の締め切りは15:30、残り15分。
座り込んだら、気力が無くなりもう動けなくなった。
車で追いついてきた応援サポータが、
「まだ15分もあるではないか、そのざまでどうすんだ・・・」、
と、一喝されてしまった。
地獄の底に、光が差し込んだ、心では涙がでた。
よろよろ、と走り出した。身体中の筋肉が締め付けられるように痛い。
本日もっとも、辛いランだ。
だが、大会提供の無料の「ババへらアイス」が、
明り又の田んぼの途中に、あるらしい、と思う。
よし、アイスをもらって、サポーターにプレゼントしよう。
2㎞ぐらい、自分では、すぱーとしているが、
よろよろと、すすむ。
遠くに、BOX型のバンが見える、人もいる、アイスだ・・・。
スーッと近づく、乗用車、え、何?
「15:30、コース締め切りです。競技終了です」。
お願いだ、アイスまで走らせて・・・・。
プレゼントの、アイスは消えた。
BOXバンは道路工事関係車両だった。
アイスは、だい16エイド森吉に設定されていたのだ。
11時間、79㎞で、今年の、秋田100㎞は終わった。
せめて、年齢81才の81㎞までは行きたかった。
無念の終了。
まずはお疲れ様です。
お体をゆっくり休めてください。
秋田100kmお疲れ様でした。
完走は残念でしたが、79kmまで走られたこと自体、大変素晴らしいと思います。
まずはゆっくり体を休めてください。
お疲れ様でした。
制限時間13時間の厳しい100kmに挑戦している姿は、後期高齢者ウルトラ愛好家の輝ける星です。
故障を完治して下さいね。
いつまでも応援しています。
何ともなさけない。
今年は、全て走って、時間切れ。
練習不足でしょう。
来年は、どうするか・・・、です。
また、「訪問」してください。