阿仁の400mのトンネルを通り抜けると、比立内関門が見える。
道路を埋め尽くすほどの、応援者がいる。
大覚野峠を越えてきた実感が湧く。
第2関門(比立内49.7km)、11時3分25秒着。
「えっちゃん先生」がいた・・・。当管理者のSKIの先生だ。
おにぎりと小梅5個を差し出してくれた。
こんなちょっとしたサービスがすごくうれしいのだ。
「村」さんも応援にきてくれた。椅子をさがすなどしてくれた。助かる。
初めて応援してもらったとき、一緒にサポートしてくれた小学1年の息子ちゃんは高校生になっているのだろうか。
もう応援にはこない。そのうち一緒に走れるかもしれない。
スタート前から痛かった、腰と背中が痛みが増している。
やむなく、ボルタレンSR錠2倍量の2錠服用、胃にすごい負担は承知。
写真:勉ちゃんのサポーター、「えっちゃん先生」(右)
長めの握手に元気づけられた。まだ両膝に温シップをしている。
休憩6分33秒で飛びだす。
50km:11時12分8秒で通過。10分25秒遅れ。
遅れてはいるものの、昨年とほぼ同タイム。まだ、「死ぬ」ことはない。
11時スタートの50㎞組はとうにいってしまった。
でも、ま、いいか・・・、いつもの、あきらめとも余裕ともつかない気持ちになってきた。
頭の中で後半のタイムスケジュールを思い出す。全て出発時刻
第1関門 予定-9:17 実績-9:23 遅れ-6:23
第2関門(比立内49.7km) 予定-10:59 実績-11:12 遅れ-10:25
第3関門(阿仁64.4km) -12:58 実績-13:00 遅れ-1:51 -?
第4関門 -15:13 -?
第5関門 -16:17 -?
ゴール -17:48:50 -?
50㎞からの作戦。頭の中で上記のタイムと以下の作戦を考え長ら走る。
50㎞から、第3関門まで14.4km、予定の12:52着、12:58発。
1時間40分しかない。スピードは7分/kmにせねばならない。
いまの状態ではきつい。
第3関門(64.4km)以降は、8分/km、と関門休憩6分を見込んである。
このペースを守ることも困難になっている。
50㎞での遅れ10分25秒、このままでいくと、ゴールタイムは、17時59分25秒、
35秒しか残らない。
計算で確認、
11分10秒-10分25秒=1分以下
これは、大やばい状態。
比立内から笑内(おかしない)までの6㎞を、6分54秒で行った。
かなりかせいだ、えっちゃん、村さんの応援効果だ。
笑内のバイパスで、側溝に足を突っ込んでいるイエロービブのジー様
(地元では年長者に敬意を払う言葉)と救護者を横目に飛ばした。
この時間帯になると周囲のランナーの半分以上が、歩いているか、歩いたり走ったりの「R」気味。
早くこの集団の前に出たい。大腿四頭筋を大事に使っているのでスピードは出ない。
ケイレンは収まってきた。
大館の繁子さんに追い付いた。
声を掛けたいのだが、身体が言うことをきかない状態なので声も出ない。
精いっぱいの応援として、追い抜くとき、横に手を出して、がんばれの合図を送る。
転倒したことのダメージで走れなくなり、77kmで「R]したとのこと。
ひたすら、おにぎりをむりやり「飲み込んだ」ことで、身体が温まってきたのだろう。
だが小梅が品切れのため塩分不足。
代わりにラッキョウを食べた。息が「ふわーん」といい「かまり」(匂い)がする。
うーん、オレンジか梨がたべたーい。でも糖分をとると食欲減退、「R」が近づくので、危険。
58㎞の阿仁トンネルう回路の手前で、いつもは11時間台ゴールの、仁ちゃん(51)を追い越した。
「エンジン不調?」「腰です」「がんばれ」といいのこして行く。
仁ちゃんはここから24㎞を5時間かけて全て歩いて、81㎞まで行き
時間切れ「R]という。この執念もすごい。
60km:12時間23分56秒で通過
阿仁トンネル出口エイドで再び美保子さんに置いて行かれた。ついていけない。
第3関門(阿仁、64.4km)12時55分54秒着、3分33秒遅れ。
50㎞から1時間43分で到着。
遅ればん回のため、休憩予定6分を、4分で切り上げ。
背中が痛い、もっとストレッチがしたかった。
練習会なら、15分は休むところなのだが・・・・。
名物シソジュースには寄れなかった。ごめんなさい。
北緯40度の写真ゲートはできたての「作り笑い」を撮影してもらい毎年の記録を残す。
65㎞:13時5分21秒通過、2分26秒の遅れ。
ばん回してきたが、背中が重く、痛みがましてきた。顔を上げることも苦痛になってきた。
この遅れではすまない。もっと遅れそう。
第4関門までは、まだ16㎞もある。
長い、吉田、明又の直線田んぼと陣場岱の登り、浦子内(うらしない)への登り、を越えねばならない。
背中の痛みに耐えながら、走り続ける。
ちっとも楽しくなんか無い。
苦痛の連続だ。
毎年のことだが、つらい、「阿仁またぎ街道」だ。