絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

父の89歳の誕生日

2013-07-18 | 日記
明日、7月19日は、父の89歳の誕生日です。

今夜は、前祝で「大穀のうなぎ」を食べに行ってきました。



我が家では、月に一度、この大穀のうなぎを食べに行くのですが、最近はうなぎが高くなったので、間が空いていました。

今日は、奮発して高いうなぎを食べました。3人で10000円でした。

我が家の最高の贅沢です。

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一泊の温泉旅行に行けば、一人10000円くらいはかかります。
そう考えたら安いものです。
今朝のテレビで、富裕層の一泊20万円という温泉旅館の話がありました。
それと比べたら、安いものです。

でも、それよりなにより、家族3人で、元気でうなぎを食べに行ける幸せを感じました。

来月は、私の誕生日です。またうなぎを食べようかな?
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石垣島のNくん 本のデッサン

2013-07-18 | 通信指導
石垣島のNくんが、本のデッサンを描いてくれました。

デッサンと写真を比べて見ましょう。

 

ここでは、透視図法を学んでもらいたいと思います。
これは、1点透視と言います。



赤い線で描いた部分を見てください。

水平な面の上にある平行線は、地平線の1点で交わるように見える。
というルールです。

だから、この場合は、交わったところが地平線です。

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因みに、この交わりが地平線より高いときは、上り坂になります。
もし、本が何かに乗っかって、向こう側が高くなっていれば、この交わりは、もっと上の方になります。

逆に、向こう側が下がっているような場合は、交わる点はもっと下になります。
下り坂の道を描くときなどは、地平線より下で交わるように描けば、下りになります。

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覇者 続き

2013-07-18 | 読書
武田信玄が小田原の北条氏を攻めたときの話が書いてありました。

私はこの辺りは、あまり読んだ記憶がありません。
上杉謙信が、10万の兵で小田原城を攻めましたが、落ちなかった。
それで、難攻不落の城として有名になったと書いてあります。
そういえば、後に秀吉も攻めて、落ちなかったのではないかなといううろ覚えですが、
そんな記憶があります。小田原評定という言葉がありますが、そのときでしょうか。

この武田信玄が、攻めたときは、2万の兵だったそうです。
このときも、とても落とせそうもなかったので、城の外へおびき出して叩こうとしたようですが、結局は失敗に終わったという話でした。
失敗と言っても、作戦は成功したのですが、最後の決め手になる部分の罠に北条氏がかからなかったということです。

武田信玄は、この時期、戦国時代で一番の力があったのではないかという気がします。
しかし、上洛するには遠すぎた。上杉がいるので、上洛したら留守を狙われるという話を読んだ記憶があります。
それでは、なぜ上洛しようと動き出せたのか、その辺りをしっかりつかみたいと思って読んでいます。

武田が動いたときには、上杉はどうだったのか?
今川、北条、徳川がいたのだから、留守をどう備えたのか?

徳川は、武田の上洛を許さないとばかりに、戦って敗れたということは以前読みました。
陣の形まで覚えています。エピソードは、家康が逃げる時、馬の上でもらしたことが有名です。
しかし、その時に上杉、北条は武田の留守を狙わなかったのでしょうか。

結果的には、上洛の途中で信玄が亡くなったために、上洛を諦めることになるわけですが、もし信玄がもっと長生きをしていたら、信長もどうなっていたかわかりませんね。

その辺のことをこれから読んで楽しみます。


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