絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

デッサンの必要性

2010-05-18 | 絵のこと
ネット仲間展というものに、誘われて、出品していましたら、コメントでデッサンは必要でしょうか?と投げかけられました。

私は、それに答えるには、原稿用紙100枚くらい必要だと添えて、しかし、できる範囲でコメントを返しました。

石膏デッサン不要論を唱える方がいることは、知っていますが、私は不要だという方の意図することも分かりますが、自分では、そうは思いません。

だから、自分で不要だと思う方はやらなければいいし、必要だと思う方はやればいいというしかありません。

ただ、よく考えると、かなりデッサンをやったから不要だと感じるわけで、やらない人が不要だというのは、果たして説得力があるかどうか疑問です。

ーーーー
でも、デッサンを極めた人が不要だというと、そうですかというしかないかなとも思いますね。
ただ、例え話ですが、大金持ちの人が、金なんかない方がいいと言っている気がして、ない人にとっては、ある方がいいと思っているのではないでしょうか。

デッサンの力のない人に、デッサン力なんか必要ないよということがいいのでしょうか?

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私のことで言えば、デッサンは必要です。今描いている具象絵画は、絵具を使っていてもやっていることは、デッサンです。バランス、リズム、ハーモニーもデッサン力だと考えるからです。形をとることも、比率を考えることも、明暗を考えることも、そして強弱も、全てデッサンの内容です。

もっと自由に、のびのびと描くと考えた時、デッサンが邪魔をするというケースはありそうですが、それは、破壊と創造の世界ですから、極めたデッサンの中からそれらを繰り返していけばよいのだと思います。

デッサン力を、技術と考えるなら、その技術は必要な時に使えば良いと思います。
そのかわり、習得していなければ、必要になっても使えません。

デッサン力を、見る力ととらえるなら、ないよりあった方が良いと思います。
全てを承知したうえで、形を変えたのと、描けないで形が狂っているのとはおのずと違うからです。前者はデフォルメといいます。

プロの歌手が外して歌うのと、素人が外れてしまうのとでは、似ていても全く違うということです。

だから私は、一度はデッサン力をつけて、その上でそれをどう使うかを考えるべきだと思います。

付け加えますが、私はポロックのような抽象画を描いていた時期があります。その時の絵画は特に石膏デッサンのような技術は必要ありませんでした。しかし、それでも普通に具象絵画を描いている時と、あまり変わらない造形制作をしているという意識でいました。それは、石膏デッサンなどを通じて、絵を描くという経験をしたからで、もし、そのデッサンの勉強がなければ、もしかすると、ただ、塗り絵をしている感覚でいたかもしれないと思いました。絵を描いているというしっかりした意識は、デッサンで培ったものかもしれません。

ネット仲間展でも書いたのですが、あまりに長くなっては、他の人に迷惑だろうと思って、書かないことがたくさんありました。それで、ここに少しかいてみました。
まだまだ、書き足りませんが。

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DVD デッサン会NO,2, NO,3

2010-05-18 | DVD紹介
夢工房デッサン会のNO,2 NO,3を紹介します。

これは、デッサン会の初期の頃の指導ですが、やっと石膏デッサンに入った頃の物です。
石膏デッサンの描き方がよくわかります。

このDVDをご覧になった方の感想で、一番記憶に残っているのは、私の手さばきでした。
現在通信指導をしている栃木県のTさんも最新のコメントをくださいましたが、私が練りゴムで消している映像を見て、娘さんが、使い方が全然違うねとおっしゃったそうです。
それで、思いだしたのですが、確かに、私のデッサン会の生徒さんたちも、「先生が描くと魔法のように良くなるから不思議だね」とおっしゃっていました。
それは、手さばきなのでしょう。このようなことは、描いて示してくれる先生でないと、見られません。私の場合は、それを撮影してもらい、みんなが何度でも見ることができるようにしています。



一体どうやって描くのかなということが、本当に手に取るようにわかります。
そして、DVDですから、何度でも見られます。それが、DVDの良いところですね。

デッサンをこれからはじめる方、始めたばかりの方、なかなか上達しなくて、苛々している方に、お勧めです。


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ローマ亡き後の地中海世界4

2010-05-18 | 読書
ローマ亡き後の地中海世界の上を読み終わりました。
これは、有難い本ですね。
中世からルネッサンス辺りまで、書いてあります。
驚いたのは、この北アフリカの海賊たちは、極端に言えば、19世紀まで存在したと言うことです。ルネッサンス辺りになると、姿を消すのかと思っていました。

そして、その対処法は、それぞれ海洋国家になったところが、自分たちで海軍を持って、対抗したということです。海軍と言っていいかどうか、それぞれ違うので一言で言ってはいけないようですが。

そうすると、海賊の方は、その戦う船を持たない地中海に面した町を襲うということになり、強いところは避けるという状況になりました。当たり前のことですね。
ただし、ヨーロッパは、十字軍で聖地奪回という行動を取るようになっても、この海賊の本拠地をとことん攻め滅ぼすような行動に出ていないのです。それが、不思議です。

そして、読み進めると、海賊に拉致されて浴場(収容所)に入れられている人々を救い出そうとする人が出てきて、活躍しますが、それは、武力で取り返すのではなく、お金を払って取り返すという方法でした。

海賊は勝手に拉致して置いて、金で売り戻すとは、盗んだものを金で売るということですね。とんでもないことです。どうして、攻め滅ぼすことができなかったのでしょう。

ただ、その救い出された人たちは、中心都市(イタリアならローマ)に戻りみんなに紹介されてから地元に戻りました。その姿を見て、他の人も早く救い出そうとみんなが寄付をしてくれたのだそうです。

そんな話が書かれていました。

しかし、金で買い戻すということだと、相手は段々と一人当たりの金額を釣りあげたり、いろいろなやりとりがありました。やっと、買い取って、戻ろうとしたときに、別の海賊から拉致されそうになったり、金がないので、金が届くまで、自分が身代りになるから、この人たちを国に帰らせてくれなどというやりとりもありました。

立派な人がいたものだなという美談もたくさんあるようです。

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