ネット仲間展というものに、誘われて、出品していましたら、コメントでデッサンは必要でしょうか?と投げかけられました。
私は、それに答えるには、原稿用紙100枚くらい必要だと添えて、しかし、できる範囲でコメントを返しました。
石膏デッサン不要論を唱える方がいることは、知っていますが、私は不要だという方の意図することも分かりますが、自分では、そうは思いません。
だから、自分で不要だと思う方はやらなければいいし、必要だと思う方はやればいいというしかありません。
ただ、よく考えると、かなりデッサンをやったから不要だと感じるわけで、やらない人が不要だというのは、果たして説得力があるかどうか疑問です。
ーーーー
でも、デッサンを極めた人が不要だというと、そうですかというしかないかなとも思いますね。
ただ、例え話ですが、大金持ちの人が、金なんかない方がいいと言っている気がして、ない人にとっては、ある方がいいと思っているのではないでしょうか。
デッサンの力のない人に、デッサン力なんか必要ないよということがいいのでしょうか?
ーーーーー
私のことで言えば、デッサンは必要です。今描いている具象絵画は、絵具を使っていてもやっていることは、デッサンです。バランス、リズム、ハーモニーもデッサン力だと考えるからです。形をとることも、比率を考えることも、明暗を考えることも、そして強弱も、全てデッサンの内容です。
もっと自由に、のびのびと描くと考えた時、デッサンが邪魔をするというケースはありそうですが、それは、破壊と創造の世界ですから、極めたデッサンの中からそれらを繰り返していけばよいのだと思います。
デッサン力を、技術と考えるなら、その技術は必要な時に使えば良いと思います。
そのかわり、習得していなければ、必要になっても使えません。
デッサン力を、見る力ととらえるなら、ないよりあった方が良いと思います。
全てを承知したうえで、形を変えたのと、描けないで形が狂っているのとはおのずと違うからです。前者はデフォルメといいます。
プロの歌手が外して歌うのと、素人が外れてしまうのとでは、似ていても全く違うということです。
だから私は、一度はデッサン力をつけて、その上でそれをどう使うかを考えるべきだと思います。
付け加えますが、私はポロックのような抽象画を描いていた時期があります。その時の絵画は特に石膏デッサンのような技術は必要ありませんでした。しかし、それでも普通に具象絵画を描いている時と、あまり変わらない造形制作をしているという意識でいました。それは、石膏デッサンなどを通じて、絵を描くという経験をしたからで、もし、そのデッサンの勉強がなければ、もしかすると、ただ、塗り絵をしている感覚でいたかもしれないと思いました。絵を描いているというしっかりした意識は、デッサンで培ったものかもしれません。
ネット仲間展でも書いたのですが、あまりに長くなっては、他の人に迷惑だろうと思って、書かないことがたくさんありました。それで、ここに少しかいてみました。
まだまだ、書き足りませんが。
私は、それに答えるには、原稿用紙100枚くらい必要だと添えて、しかし、できる範囲でコメントを返しました。
石膏デッサン不要論を唱える方がいることは、知っていますが、私は不要だという方の意図することも分かりますが、自分では、そうは思いません。
だから、自分で不要だと思う方はやらなければいいし、必要だと思う方はやればいいというしかありません。
ただ、よく考えると、かなりデッサンをやったから不要だと感じるわけで、やらない人が不要だというのは、果たして説得力があるかどうか疑問です。
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でも、デッサンを極めた人が不要だというと、そうですかというしかないかなとも思いますね。
ただ、例え話ですが、大金持ちの人が、金なんかない方がいいと言っている気がして、ない人にとっては、ある方がいいと思っているのではないでしょうか。
デッサンの力のない人に、デッサン力なんか必要ないよということがいいのでしょうか?
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私のことで言えば、デッサンは必要です。今描いている具象絵画は、絵具を使っていてもやっていることは、デッサンです。バランス、リズム、ハーモニーもデッサン力だと考えるからです。形をとることも、比率を考えることも、明暗を考えることも、そして強弱も、全てデッサンの内容です。
もっと自由に、のびのびと描くと考えた時、デッサンが邪魔をするというケースはありそうですが、それは、破壊と創造の世界ですから、極めたデッサンの中からそれらを繰り返していけばよいのだと思います。
デッサン力を、技術と考えるなら、その技術は必要な時に使えば良いと思います。
そのかわり、習得していなければ、必要になっても使えません。
デッサン力を、見る力ととらえるなら、ないよりあった方が良いと思います。
全てを承知したうえで、形を変えたのと、描けないで形が狂っているのとはおのずと違うからです。前者はデフォルメといいます。
プロの歌手が外して歌うのと、素人が外れてしまうのとでは、似ていても全く違うということです。
だから私は、一度はデッサン力をつけて、その上でそれをどう使うかを考えるべきだと思います。
付け加えますが、私はポロックのような抽象画を描いていた時期があります。その時の絵画は特に石膏デッサンのような技術は必要ありませんでした。しかし、それでも普通に具象絵画を描いている時と、あまり変わらない造形制作をしているという意識でいました。それは、石膏デッサンなどを通じて、絵を描くという経験をしたからで、もし、そのデッサンの勉強がなければ、もしかすると、ただ、塗り絵をしている感覚でいたかもしれないと思いました。絵を描いているというしっかりした意識は、デッサンで培ったものかもしれません。
ネット仲間展でも書いたのですが、あまりに長くなっては、他の人に迷惑だろうと思って、書かないことがたくさんありました。それで、ここに少しかいてみました。
まだまだ、書き足りませんが。