絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

ローマ亡き後の地中海世界2

2010-05-14 | 読書
上の半分ほど読みましたが、相変わらず、海賊の話です。

中世の前半は、北アフリカにいるサラセン人の海賊にやりたい放題にやられる歴史ですね。
読んでいて嫌になりました。
イタリア半島を守るべき国は、ビザンチン帝国のはずですが、やってきてもサラセンの海賊たちに負けてしまいます。だからと言って、その海賊たちがイタリア半島を自分の国にするというわけではないのです。とにかく、襲って、奪えるものは全て奪って、若い労働力になるものは、拉致して、老人や子供は殺すんですから、たまったものではありません。最後は町を破壊し、火をつけて焼き払うという方法です。これは、もうやられた方は地獄ですね。
それが、イタリア半島の地中海に面した町はほとんどやられました。
特にターゲットにされたのは、修道院や教会だったそうです。人々は救いを求めて教会に集まるので、しかも武力がないので、拉致をするのに都合が良かったと言うのです。

イスラムの考えの中に、聖戦というのがあって、イスラム教以外の宗教を信仰しているものは、殺してもいいという考え方があったそうです。イスラム帝国は、北アフリカからスペインまで進出しましたから、その当時の北アフリカのイスラムは、サラセン人と言ったようです。そのサラセン人が海賊として、イタリア半島の海岸や南フランスの海岸に現れては、先に述べたような破壊をし続けていたのです。

一時的に、フランク王国のカール大帝によって、鎮圧されましたが、カールの死後はフランク王国の内紛で、それどころではなくなり、また海賊が暴れ出し、オットー朝のときには、海賊退治のお願いをしましたが、ビザンチン帝国と同じで、やはり海賊に負けてしまい、役に立ちませんでした。

この頃は、海賊という犯罪行為の歴史なんですね。私はこの辺の歴史を全く知りませんでした。この辺の歴史を書いてくれた塩野さんに感謝します。

しかし、この海賊行為に対して、それを鎮圧するような強大な国が現れるのはどこなんでしょうか?それとも、海賊たちが衰退していくのは、どんなことがきっかけなのでしょうか?
その辺を知りたくて読んでいます。
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美術史クイズ 22 解答と解説

2010-05-14 | 美術史クイズ
美術史クイズ 22 

解答

第1問 ラ、リューシュ(ハチの巣)

第2問 縦絵が横になっていて、自分の絵なのに、気付かなかった。

第3問 モンドリアン

ーーーーーーーーーーーーー
解説

第1問 8角形のアパートで、中央に螺旋階段がある。それぞれの部屋は三角形をしていた。
    シャガールは真面目で一日中絵を描いていた。それに腹を立てたスーチンが酔っ払って、シャガールの部屋の窓ガラスを石でたたき割った。

第2問 ある日、写生から帰ったら、とても良い絵があった。しばらく見ていたら、それが自分の絵だとわかった。縦に見る絵が横になっていたので、自分の絵だと気付かなかった。そして、わかってから良く見たら、詰らなかった。それは、意味がわかってしまうとつまらないということだった。意味でなく、色と形だけで見ていた方が良い絵だと思った。そのため、絵の中から意味を取り払った(何が描いてあるかわからない)絵を描こうと決めた。

第3問 モンドリアンは、木を描いていて、余分な枝を取り払い、不足している部分に枝を足したりしているうちに、段々と縦の線と横の線だけの絵に変化していった。そして、最後は縦横の障子の桟のような絵になった。感情的な激しさはなく、すっきりしているので、カンディンスキーと比べて、冷たい抽象と言われた。
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