ピカソは、小さい時から大人のような絵を描いていた。「大人の上手な絵を描くのは、あまり時間がかからなかった。しかし、子供のように描くのに、一生かかった」と言っています。
子供のように、自由に伸び伸びと絵の世界で遊ぶように描くということでしょうか。
聞いていると、それが最も理想のようにも聞こえます。
大人は、どうしても見える物を写す。上手かどうかを問題にする。描いたら人が何て言うかを気にする。こんな絵を描いたら、どう思われるかと心配して、誰もが納得するような絵を描こうとする。また、認められたいとか、高い値段で売れたらいいとか、一流の人に認められたらいいとか考える。
しかし、子供はそんなことは考えずに、伸び伸びと描く。
だから、子供のように純粋にということが理想だと言う。
一理ある。
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では、絵は子供のままの姿勢で描き続ければ良いのかと問うと、そうとばかりは言えない。
なぜなら、人は絵を描くとき、上手に見える通りに描きたいという欲望を持つ。
その欲望の強さを誰よりも強く発揮したのは、レオナルドダビンチだろう。
透視図法、空気遠近法、明暗法、スフマート、これらを駆使して、見える通りを実現した最も早く、最も偉大な画家がレオナルドだからだ。
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発達段階でいくと、子供は、自分の描いている絵と、現実に見える物が違うことを気にして、見える通りに描きたいと思うのは、小学校5~6年生くらいだろうと思う。
そして、それができないことに欲求不満を持って、絵が嫌いになるのも、その頃から中学生にかけてだ。
だから、その欲求不満を解消してやるには、その時期にデッサンを教えたらいいと思う。
デッサンを教えるとは、物の見え方を教えることだと思う。
デッサンで指摘すること、描いてみせることは、子供たちにとっては、とても大きな驚きなのだ。生徒たちは、おおーーと歓声をあげることがある。このことは、私は高校生を教えていて、体験した。透視図法を使って、建物を描いて見せたら、「本当にそう見える」と言って、驚きの声を上げたのだ。そして、「すごいな」とも言った。
この反応を見ていると、中学までの美術で、こんなことさえ教えてもらってないのだなと感じた。透視図法を知っているだけで、絵を見える通りに近づけて描けるということを知らされていない。500年も前の人間が見つけたことを知らされてないのである。そして、絵が上手く描けるのは才能の問題だなどと、思わせられて、大人になる。
自由で伸び伸びと子供のように描くのが良いという考えで美術教育を展開すると、上のような状況を生み出すのである。
私は、せめて誰でも絵は上手に描けるようになるということを、デッサンを通じて教えたいと思う。スポーツと同じように、練習で上手くなるということをである。
その先、絵を専門にやっていく人は、もっと高度なデッサンをしていくことになるだろうけれど、その人たちにとってのデッサンの必要性は、また別の項目で書いてみたい。