絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

親鸞4

2010-03-02 | 読書
下巻の120ページまで来ました。

「色々立派な事を言いましたが、私の本当の気持ちは、あなたがほしい、ただそれだけです。」
「わたくしもです。」

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なんだか、ほっとしました。安心しました。なぜでしょう?

お互いに愛し合っていて、それを抑え続けていて、その気持ちがこのように一致して、願っていたことが叶ったということです。

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拍手したくなりました。こうでなくっちゃと思いました。

これは、史実ですか?創作ですか?わかりませんが。

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しかし、欲望は人をダメにすることがあるから、煩悩と言って解脱をしようとするのですね。これは、キリスト教にもありますね。適度で済まなくて、その欲望が原因で様々な苦しみが生まれるから、だから、いっそのこと無くしてしまおうということでしょうか。

しかし、このようにお互いに求めあって、愛し合う二人が一緒になることはすばらしいことですよね。キリスト教は愛がすばらしいと解くのに、キリストが結婚して子供がいたというダビンチコードなどは、とんでもないと言われます。修道女も結婚しませんね。なぜでしょう。
隣人愛と男女の愛は違うのかな?

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読んでいて、知ったことは、女性は浄土に往生できないという経典があることでした。
なぜでしょう?一度男になってから往生すると。
それを法然は女性も女性のまま往生できると、言ったのです。

そういうことは、それまでの経典や教えに背くことですから、そういう意味で危ういということでしょうね。
キリスト教なら異端ということになりますね。それによって殺される危険もあるのです。

この親鸞という小説はいろんなことを考えさせてくれます。面白いです。

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お知らせです。
今日の新聞に、五木寛之さんのお話がCDで発売されたとありました。
12本セットです。1980円の15回払いとありました。本人の肉声でいろいろなことを語るのを聴くのもいいかなと思いました。





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親鸞3

2010-03-02 | 読書
下巻の90ページまで読みました。

親鸞がサヨという昔お世話になった女性に「あなたは極悪人です」とこっぴどくやられます。若い女の心を弄んだということで、自分は悪人だなどと言っているけれど、本当に悪人だと思っていないと怒りました。

厳しい!!

高校時代、こういう生徒がいました。人は誰とでも仲良くした方が良いと思って、クラスの生徒と分け隔てなく接しました。その子はクラスの潤滑油、もしくはムードメーカーのつもりでした。
だから、あまり声をかけられないようなおとなしい女の子にも、他の元気が良い子と同様に声をかけました。しかし、それが、いけないと注意されたそうです。
八方美人というのだと言われたと。そして、何人の女の子が泣いているかわかってるの?と。自分はそのつもりがなくても、相手は特別な思いを持つということに気づかなければならないと。

サヨの言葉を読んでいて、このことを思い出しました。

悪人正機説については、まだわかりません。逆を言っているかもしれないと思ったりもします。悪人でさえ救われるのだから、私が救われない訳はない。というなら安心できていいんですけどね。

また、真実は危ういという言葉も、意味があるなあと思います。

間違って受け取られる可能性がある。一度でも念仏を唱えれば極楽浄土へ行けるなら、後はどんな悪いことをしてもいいと思われる。

その時、「良い薬があるから毒を飲め」と言われたらどうする?と親鸞は言いました。


ただ、念仏には、自力と他力があると親鸞はいいました。
自分から阿弥陀様救ってくださいと呼びかけるのが、自力念仏。
阿弥陀様からの呼び掛け(こっちを向け)に「はい」と答えることが、他力念仏なのだと。
その他力念仏なら一度でも救われると。

まだ、よくわかりませんが、そのようなことが書いてありました。

読んでいて考えたいことがたくさんありそうです。




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