国連が機能不全に陥っているのは確かだ。
イラク、パレスチナ、イラン、北朝鮮、スーダンなど、世界中に様々な問題が山積しているにもかかわらず、国連は何ら有効な手だてを講じることが出来ていない。存在感が全くない。
国連総会本会議は6日、日本の核軍縮決議案を賛成167、反対4(米国、インド、北朝鮮、パキスタン)、棄権7(中国、イランなど)で採択、正式に成立した。同決議成立は1994年から13年連続だそうだが、こう問い返したくなる。「それで? 何か効果はあったの?」。
組織の肥大化や腐敗は国連改革の本丸ではない。今、真に問われているのは国連の存在意義そのものではないのか。外務省の
「国連改革と日本の立場」を読んでも、国連の何が問題なのか、それをどう解決するのか、という本質にかかわる明確な論理が全くなく、単に安保理の加盟国を増やせば、そして日本が常任理事国になれば、それが即改革であると言わんばかりの全く説得力のない説明である。
恐らく外務官僚達の本音は、日本が拒否権を持つ常任理事国になることで「自分達外務官僚の」ステータスを高めたいということなのだろう。本音を隠そうとするから、このような駄文しか書けないのだ。
北岡伸一・前国連次席大使(元?東大教授)は就任当初、常任理事国入りがなぜ必要か問われて「入ってくる情報量が格段に増える」と答えたと記憶している。はたして、全く無力な国連・安保理に「手に入れるに値する」貴重な情報が存在するのだろうか。
北朝鮮制裁決議が成立したと言って喜んでいたが、一体どんな効果があったのか。この一件をみるだけでも国連の無惨なまでの非力さが良く理解出来るではないか。
国連の最も重要な役割は戦争の防止だったはずだ。しかし第2次大戦後、朝鮮戦争、ベトナム戦争、カンボジア内戦、中東戦争、フォークランド紛争、アフガン戦争、湾岸戦争、コソボ紛争、イラク戦争など数多くの戦争が起き、国連は戦争防止の役割を果たすことができなかった。全く無力だったのだ。米ソ冷戦がホットな戦争にならなかったのは国連の功績ではなく、当事国の戦略が奏功しただけだったのである。
国連の無力さの主因が常任理事国の拒否権にあるのは明らかだ。主要な国際紛争にはほとんどいつも常任理事国の利害がからみ、拒否権が発動され、適切な決定ができなかった。国連を改革するのであれば常任理事国の拒否権を剥奪し、多数決制に転換する以外にない。日本やドイツなど数カ国が新たに拒否権を有する常任理事国に加わるとする提案は改革ではなく改悪なのであり、安保理が何一つ決定できない事態に陥るのは自明ではないか。実現しなかったのはむしろ当然だ。
今後も国連は改革されず、腐敗し肥大化した無力な国際機関として存続することになるだろう。国連は中国や北朝鮮の核の脅威から我が国を守ってくれるわけではない。北朝鮮人権決議案が採択されても拉致被害者が帰ってくるわけではない。我々は盲目的な国連信仰から目覚め、国連の現実の姿を直視しなければならない。
我が国の財政事情が極めて厳しい中、このような無力な機関を維持するための過大な経費負担をやめるべきであって、毎年8000億円にのぼる我が国の分担金を三分の一程度に減額し、ドイツやフランスなみにすべきだ。他国の同意を得る必要はない。そのように宣言すればよい。