雨をかわす踊り

雨をかわして踊るなんて無理。でも言葉でなら描けます。矛盾や衝突を解消するイメージ・・・そんな「発見」がテーマです。

青蓮院+

2006-02-14 19:42:02 | 雑談(ジョーク)
2月13日付のNY Timesに日本の記事がふたつ。ひとつは、日本の麻生外務大臣の歴史認識発言、もうひとつは、日本のコミック英語版がバカ売れでこれからイケイケドンドンという話(日本がもうけてるのではなく、Los AngelesのTokyopopという会社が中心らしい)。

いいたいことはやまほど、特に前者には山盛りに積み上げたいくらいあるが、とにかく日本というブランドは多角的に作用している。日本の外交についてはFeminism とPostmodern 3の最後に書いたが、それ以前にどこかで書いたように(忘れた)、日本は、世論を形成するLobbystが絶対必要だと思う(嘘はいう必要はないが口数が少なすぎる)。日本の政府が直接管轄するわけにもいかないので、経済連が中心になることをオススメしたい。

さてそんな日本に暮らす日本人たる僕は、日本を確かめに京都に行ってきた。いつも思うが、京都は京都であるだけでひとが集まってくる。司馬さんの東京と京都の商人の差についてのエッセイを読んでからは、京都に行くたびに、京都商人(あきんど)の高笑いが聞こえるようになったが、にもかかわらずなぜかまた行きたくなる(現在も次はいつにしようかと思案中)。

今回の旅行は一緒に行った人間が多く、行きたいところでいけたのは、青蓮院と瓢亭のみ。瓢亭は別に書くとして、青蓮院は、曼殊院と比較しても、格調高い庭園が素晴らしかった。この差は、曼殊院が江戸初期の家康との緊張ある関係からそこで時間が止まったかのごとく少しねじれた厭世観をとどめ、それが逆に純粋に枯山水をより枯れたものにして個性が作られているのに対し、青蓮院は、天皇家の仮御所としての歴史が長く(平安から明治まで)、よりおおくの人間の手にかかってきたからじゃないかと感じた。青蓮院が最高潮だったのが平安末から鎌倉とされているが、茶道が醸成される室町の庭園も小堀遠州のセンスも混ぜられている。

いずれにせよ僕の言葉では役不足なので、オフィシャルサイトでどうぞ。

追伸:さて今日は毎年楽しみなバレンタイン。もらえることはないとわかっていてもなぜかウキウキしてしまう。もらえたときは大々的にこのブログを借りて喜ぶつもりだが、今年ももらえなかったので、何となくやけくそな気分になり、1929年2月14日に起きたSt. Valentine's Day Massacreの話を思い出した。この事件は、当時の二大ギャング、アル・カポネ率いるイタリアマフィアと、ジョージ・モラン率いるアイリッシュとドイツ系のマフィアの名だたる対決で7人が射殺された事件だが、こういったマフィア映画はなんだかスカッとする。