雨をかわす踊り

雨をかわして踊るなんて無理。でも言葉でなら描けます。矛盾や衝突を解消するイメージ・・・そんな「発見」がテーマです。

アメリカ保守4:多様と人種

2006-02-08 23:34:28 | アメリカ
アメリカの現地時間で2月7日、キング夫人のお葬式が行われた。現役を含む4人の大統領ほか著名人が列席し盛大なものだったが、それぞれのスピーチが各立場を表す一方で、それを伝える側の文章も何かを伝えている気がする。つまり人種問題が、アメリカメディアの重要なトピックであり、政治的なプロパガンダにも劇的な記事ダネとしても使えるということだ。

例えばNY Timesでは、クリントン前大統領が最も好意的に迎え入れられてスタンディング・オベーションがあったと伝えた。だからといってクリントンをほめたいわけではなく、クリントンが、「私は過去の大統領と現在の大統領と一緒に今いることが出来て光栄である」といいつつ、隣にいる奥方をさも「未来の~」といいたかったのではないかとみなが察したために、No, Noと笑いながら訂正していたと伝えた。

これをもうちょっとすんなりといったのが、ワシントンポスト(A)で、クリントンはまだアフリカ系アメリカ人には人気があると表現しただけにとどめて、その記事の後半では、アフリカ系アメリカ人女性が結局頑張ってきたと賛美した。

これらふたつの記事には、クリントン夫妻ほか民主党系が人種問題で現政権を貶めたい事情を浮かび上がらせてるといえないだろうか。

もちろんいつものブッシュ非難もある。ワシントンポスト(B) では、ブッシュがNACCP(全米黒人地位向上委員会)のリーダーたちには全く挨拶もせずに葬式に出席した最初の大統領だと述べ、他方でアフリカ系アメリカ人側の視点を付け加える。King牧師は、King 牧師夫人と違ってこのような盛大な受け容れられ方はしなかったと述べたアフリカ系アメリカ人運動家の言を紹介した。結果として、人種差別問題でヤキモキしているBushがあぶりだされることになろう。

だからといってこれだけでは白人が読まなくなる。ワシントンポスト(C)では、お葬式が開かれたキング夫人が暮らしてきた、かつて白人が優勢だった街では、いかにアフリカ系アメリカ人優位に「改善」されたかをリポートしつつ、実は「改善」というよりは「白人が追い出された」という感じを与える(結果として仲違いを強調している気がする)。。。。

いずれにせよ「人種」が依然として彼らにとっていかに有用な指標であり話題でもあることがわかる。

となると当然保守系は人種差別をこうした偏った指標にすること自体にクレームをつける。例えば、Townhallの "Diversity, Schiversity"と題する記事がある。Diversityはいいとして、後者の単語は辞書に載っていない。語源でみると、Diversityの場合は、Diがふたつの方向、Versが「向かう」という意味なので、「ふたつの方向に向かう」ということで「多様性」となるわけだが、後者のSchmという接頭辞は、「嫌悪・軽蔑・無関心・それがどうした」などの含みを持つのでSchmversityは、「嫌悪・軽蔑に向かう性質」、訳をつけると、「?」(思い浮かばない)となる(浮かんだ方教えてください)。

記事の内容は、この著者は、ある企画をする仕事で5人でチームを組んでいるが、それぞれの宗教はユダヤ、カソリック、プロテスタント、結婚しているひと、していないひと、離婚経験者、同性愛者、などなどいろいろな点で異なるのに、彼ら5人は決して多様な人間の集団とはいわれない、アメリカにおける多様とは、そのなかにアフリカ系アメリカ人とアラブ系の人間がいることだ、と述べている(僕がアメリカにいたのが97年くらいからだが、スピルバーグが『アミスタッド』をつくり、CMも極端なくらい異人種で構成されていた。ただあのときは時代を反映してか、アフリカ系アメリカ人、東洋人、白人という組み合わせだったと思う。さらに話題がそれるが、僕がこの記事をみたとき、日本での多様さを考えざるを得なかった。日本の場合多様なグループというのは、いわゆる知的な職業か、いわゆる学歴上評判のいい大学の名前がいろいろ集まってる場合じゃないだろうか。)

いずれにせよ、その記事の内容は、多様を認めるとカッコいいことをいいながら十二分にそこには政治的な二項対立の逆利用があるといいたかったわけである。

保守のTownhallでは、もっと露骨にその事実、すなわちまさに人種問題がプロパガンダとしてしか利用されていないことを、言明する記事もある。タイトルが、「Race-baiters betray the King legacy 人種を喰いものにする連中がキングの遺産を裏切っている」とまさにそのものであるが、内容は、Nagin とクリントン上院議員が人種を楯にして、それぞれ来る選挙で当選を果たそうとしているというもの。ここでキングの遺産と呼ばれているのは、みながよさそうだと思うことを前面に掲げて頷かせる、というもので、これを使ってNaginはKatrinaでのミスを帳消しにし、クリントン上院議員は先程から繰り返しているように現政権批判をしている(数ヶ月前の世論調査で彼女を次の大統領候補および大統領としたアメリカ人は過半数をはるかに超えていた)というもの。

この記事を書いたのは、Tony Snowという見るからに保守系アメリカ白人の顔のひとだが、考えていることも本物の保守らしい。彼がキング牧師が偉大だったと考えているのは、みんながはじめられる一歩を用意したことだという。つまりあのワシントンでの演説の「我々はひとりでは歩いていかれない。またやりなおすことはできない(もう時計の針は戻せないという意味)」という現状認識が最初にあるところだといっている。

フェミニズムや人種差別などのエッセイを読んでいて僕も時々自問することがある、King 牧師が生きていたらどちらに賛成するだろうか、と。