雨をかわす踊り

雨をかわして踊るなんて無理。でも言葉でなら描けます。矛盾や衝突を解消するイメージ・・・そんな「発見」がテーマです。

Cold Mountain

2007-12-05 20:07:56 | 歴史
映画 Cold Mountain をみた。

南北戦争が題材だが、映画だからそれなりにわかりやすい二項対立の構図をとらなければならないわけだが、この映画では、戦争を非難する、という構図が採用されていた。

南北戦争というと、大きな利害関係がからむ歴史的事件だけあって、なかなか総括されないが、ある学術書を98年くらいに読んだとき、公正な南北戦争像がやっと確立されたと書かれていたように記憶する。

が、ただその著作も非難の矛先は南部プランターになっていて、十分偏っていた。

しかし2000年くらいに出た一群の南北戦争の本は、一般向けでしかも公正なものだったと思う。

ざっとその本にある、戦争の起承転結を振り返っておこう。

まず南部と北部がそれぞれ採用する相容れないふたつのシステムの衝突に始まる。両方に理があるが、南部の方が人口が少ないために多数決で北部システムが採用されるため、南部は、合衆国憲法が謳う全体と個の関係が無視されたとして連邦を脱退、しかし北部は連邦がアメリカに不可欠だとして戦争に突入した。

戦争はすぐに終結しそうなほど南北で力の差は歴然としていたが、圧倒的不利の南部を英仏が援助したために長引き、このまま戦争が続けばアメリカ自体の破滅を導くと判断したリンカーンが妙手奴隷解放宣言(まだ解放したわけじゃない)を放つ。

英仏の援助のない南部はそのまま敗戦濃厚になるが、南部の騎士道が終戦の好機(奴隷解放宣言前に降伏することは可能だった)を逸しさせ、南部は戦後貧窮と混乱に苦しみ、その苦しみはF.D. ルーズベルト大統領が南部復興政策をするまで続く。

となるとこの戦争のポイントは、合衆国憲法を無視した北部と、戦争敗戦の好機を逸した南部の戦後の貧窮、ということになる。

が、この映画では両方とも指摘されることはなかったから歴史上の事件を題材にした映画としては失格で、「戦争反対」という誰もが認めざるを得ない指標を掲げてフタをしたと非難したくなったが、よく考えたら、まだ時間がそれほど経っていないから無理なんだなと合点した。

というのも1870年前後は、周知のように、20世紀前半の戦争の主役に躍り出る世界の強国(日米伊独露)が近代国家になるための変化を経た時代である。

ドイツはビスマルクが出てその準備をするし、イタリアも統一国家になるのは60年だが、ローマやヴェニスが加わるのは70年だし、ロシアも1861年にアレクサンドル2世が出てくる。

ビスマルクとアレクサンドル2世の比較が面白いのだが、それはおいて、日本とアメリカに絞ると、南北戦争だけでなく、確かに明治維新の本質も面と向かって論じられることがないことを思い出すだろう。

つまり明治維新による、政府の金の流出をとめるシステム変更は、西郷や新撰組の影に隠れてみえないはずである。

それなら南北戦争もそうであっておかしくない(ただ今度リンカーンの日記にまつわる映画がやるそうだ)。

追伸:フェルメールを観に行く前にどうしてもみておきたかった『真珠の耳飾の少女』もレンタルした。あの女優、いい雰囲気だ(名前メモらなかった!)。透明なのに確固たる存在感がいい。


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