雨をかわす踊り

雨をかわして踊るなんて無理。でも言葉でなら描けます。矛盾や衝突を解消するイメージ・・・そんな「発見」がテーマです。

歴史大国日本

2005-04-24 14:22:05 | 歴史
History の語源は、「みえているひと、知っているひと」、ラテン語やギリシャ語では、「調べることによって学ぶこと」を意味する。Historyは、学ぶものであって、知ろうとしない人間には、何もみえてこない。そして悲しいかな、我が日本人ほど、20世紀前半の50年間を必死に学びたくなる国民はいない。そして気づく、「学びたくない人間との議論は、徒労以外のなにものでもない」と。

日本兵の残虐さ(atrocity)がこれまでよく語られてきた。南京に攻め込むときも、鬼の形相だったという。そんなに殺戮を好む人種だったのだったのかと思いきや、一応わけがあった。南京城に近づいた日本兵は、目を疑った。斥候兵として先行していた連中が、首だけさらしものにされていた。これで逆上したのだという。

しかし世界の人には次のようにいわれるだろう。「お前たちが邪悪にも他国を侵略したんじゃないか、侵略した蛮人に、慈悲は必要ない」と。

しかし、と日本人はいいたくなる。対朝鮮に始まる東アジアへの日本の軍事行動は、李朝が、当時の体制を保持したいために、改革派(金なんとか)を支持する日本を毛嫌いしつづけたためじゃなかったか。しかも日本は、朝鮮の内政改革の共同申し入れを清にして拒絶されたのだから、朝鮮を属国にしておきたかったのは清のはずではなかったか。確かに軍事力で事の是非を決めるのはよくない、しかし日清戦争後の韓国併合は、当時の大国英米仏露に承認されていた。当時の国際法上のルールも遵守していた。なのに、なぜ日本だけがこんなに悪し様にいわれなければならないのか?

さらに、アメリカの反日感情も日本だけのせいだろうか。満州をめぐり、対米関係が悪化したのは、満州鉄道の利権のからみだった(はずだ)が、アメリカの参画に対する日本の拒絶は、ロシアも支持していた(もともとアメリカには中国に進出させないという意図がロシアにあって日露協商の柱のひとつにはいっていたのに、その意志を露骨にアメリカにいわなくてはならなかったのが日本だった)。かくして、中国進出に一歩乗り遅れていたアメリカとぶつかることになった。

いずれにせよ、日本人がいいたくなるのは、「どうして私たちだけが?」である。。。いや、もういうまい。結局最後には、「お前たちは戦争に負けた」といわれるのだ。戦争に負けたという事実のために、当時帝国主義が引き起こした悲しみと過ちの全責任をとらされることになった。すなわちLOST CAUSEである。そして日本は、この矛盾を解きたいがために、他国よりはるかに真剣に、「調べて学ぼう」としてきた。その結果、対外的には、外交の稚拙さと大局的な見地を戦略をたててみすえなかったこと、内側的には、役人気質の縄張り争い、政治家に本当に国を思う元老の不在など、が反省点として挙げられてきたわけだ。

さて、過去のことばかり見ていたら誰かさんと同じである。歴史大国日本は、今、過去のためではなく現在と未来のために「調べて学ぶ」必要に迫られている。戦争という超法規手段によって、全責任を引き受けさせられた状況をどう対処すべきか。これを学ぶ必要がある。そしてこう忠告したい、日本は筋を通すのがスキだが(僕もそうだが)、筋を通すにも、そうすべきときと状況をマネージメントする必要がある。そして日清戦争や対米戦争のときのような賭けはよくない。今度は世界史から学ぼう。これまでそうしたImpasseに陥った地域は、日本だけじゃないんだから。

例えば、「南・・・」、おっと、湯斗に行く時間だ。なにせ湯斗は、このゴールデンウィーク中ずっと新潟にいってしまうという。折角の休み中、一度も伺えないとは。。。さらばじゃ。

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