雨をかわす踊り

雨をかわして踊るなんて無理。でも言葉でなら描けます。矛盾や衝突を解消するイメージ・・・そんな「発見」がテーマです。

気の持ちよう20

2011-03-06 22:40:08 | 音楽
気の話をしていると、胡散臭いと思われる一方で、お近づきになる方もいる。

類は友を呼ぶというやつだ。

ただ関心がある、というだけなら、話相手になるだけだが(それはそれで面白いが)、ある程度能力を開発した人に会うと、かなり刺激的である。

最近ダントツに興味深いのは、気がみえるひと。

星々のようにそこらじゅうを飛んでるのがみえるらしい。

特に空には満天の星のように輝いているそうで、今日のように青空を背景にした気の星々は最高に美しいという。

以前も書いたが、僕は気がみえるといっても蜃気楼のような、透明のものだけ。

しかし彼の場合は、僕を肉眼にたとえるなら顕微鏡か望遠鏡のようだ。

そんな風に断言するのはもちろん実験したから。

僕が身体のまわりに集う気に流れをつくってやると、その動きをすべて「あてる」。

今~のように動かしましたね、と百発百中だったのだ。

彼ははじめそれが気だとは思わなかった。

いつからか、空気中に浮かぶ星々が自分にだけみえることを知り、何かわからなかったそうだが、僕の気の実演から、気であると判断した(動かす僕がそういっているというだけだが)。

彼としても刺激的らしい。

今までその辺に散在している星々を自在に動かす人間に会ったのもはじめてだし、『ドラゴンボール』というアニメに「カメハメ波」というのが出てくるが、あれみたいに星々が僕の手の中に集まってどんどん大きくなっていくところや、普通のひと(気功師ではないひと)の場合は単にバラバラの星々が漂うだけなのに、僕の場合は最終的にその星が身体のまわりにオーラのように包み込むように変化したりするのをみたのははじめてだと驚いていた。

しかし僕の方も刺激的である。

繰り返しだが、見える精度が僕と全然違う。

例えば人差し指から一本の剣をつくると長さ、幅までピッタリ同じものが「みえている」。

また、気の密度をあげ、硬気功用の気の玉をつくったときも彼にはそれがそれまでの星とは異なる濃い光になってみえ、一瞬紫色に燃え上がったのもみえたといっていた。

僕が感じていないことまでみえているわけだ。

更に驚いたのは、この気の玉は集中しないと逃げてしまうのだが、その逃げていく様も僕が感じているのと同じように描写してくれた。

彼がみえることは僕にとっては疑いがなかった。

残念なのは、体内に集めた気はみえないこと。

レベルに公の試験はないが、養生功という、下丹田に集められるようになると、邪気をかなりはねかえすことができるため、一般に「気功師」と呼ばれうる位置に立つが、その練った気がどのようにみえるか聞いてみたかった。

そして僕もそのくらいみえるようになりたいと思った。

一説によると、空海が唐から帰って天皇らの前で密教の秘儀を披露したとき金色の後光がみえたとあるが、おそらく強度さえあげれば誰にでもみえるようになるのだろう。

今度会うときはそうした気の玉を大きく強くつくれるようにしておくと約束して、再会を約した。

今日は妻の友人家族が遠くから遊びに来た。

子供たちは、光る鍵盤付電子ピアノで楽しんだ。

光は、光のないピアノよりはるかに刺激的であったらしい。


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