雨をかわす踊り

雨をかわして踊るなんて無理。でも言葉でなら描けます。矛盾や衝突を解消するイメージ・・・そんな「発見」がテーマです。

パラダイム・シフト3

2009-11-13 21:12:12 | 音楽
そろそろ娘に音楽の次のステップをと考えていた(あまり関心を示さなかったmiyumiyuも今は克服し一緒に口ずさむどころか踊り出すようになった)。

今度のターゲットはアフリカ系アメリカ人のリズム感すなわちラグ。

ダンス関連の書物をみた限りでは、西洋はステップの刻み方ほかやはり規則正しさにポイントがある。が、アフリカ系アメリカ人のそれは菊池さんのいう律動とでもいうべきものがある。

武術もそうだが、身体の各部所がどのように動くかが別々に指示されるのではなくその背後にパラダイムの中心となるメタファがあり、それを把捉しなければならないということだ。

更に一歳の娘に教えるとなれば、かなり単純化する必要がある。

がその点ラグはそれほど簡単ではない。西洋で初めてアフリカ系アメリカ人のリズムを消化したものでありながらある種「~な感じ」を出ていない。いわゆるジャズ的と言われるものが単に人種あるいは人種混合問題を扱ってるだけに過ぎないのに似て曖昧なのだ。

その点花村満月のブルースを扱った作品は見事だったが、逆にいうとブルースは音楽より文学によって表現しやすいからかもしれない。なぜならブルースは客観的説明に既に拒まれた主観だからだ。

話が脱線したが、いずれにしろラグを複製可能な理論に還元する必要があるわけだ。

もちろん背景のない理論に問題がないわけではないが、The Fritz Pauer Trio のブルースで十分と言いたい。

さてラグだがアフリカ系アメリカ人のリズムがポリリズムというのでは還元したことにはなるまい。

菊池さんのいうプレスリーとバックバンドが合っていない理由を克服し、尚且つ一歳の娘が理解し実演できるようなメタファに還元する必要がある。もちろんラグからブギ、さらにはTR-909にまで応用がきくようでなけはればならない。

そんなのあるの?と思われるかもしれないが、あったのである。ハウスの四つ打ちにもそのままあわせられるような基本が(僕にとっては大きなパラダイム・シフトだった)。

ここのところそれが20年代のブルースにも当てはまるか確認してるのだが、ロバート・ジョンソンを考えた場合なかなか判断がしかねる。

あてはまることはあてはまるが、あのような経験と無意識を未加工のまま吐き出した本当のブルースにはやはりその本質的な特徴である統合不全があるからだ。

ただしそうしたブルースと僕が発見したアフリカ系アメリカ人のリズム感の基盤が符号したとしてもここでそれを開陳するほど僕は気前がよくない。

僕は、折角みつけたものは小出しにする姑息な人間である。

ヒントとして呼吸法を挙げるにとどめておく。