イギリス/ストックポート日報 《England/ Daily Stockport》

イギリス北西部の歴史ある街、ストックポート Stockportから(ほぼ)日替わりでお送りする、イギリス生活のあれこれ。

リスボンで食べたもの...その2、ポルトガル名物の新鮮な魚介料理!堪能しました...しかし!わざわざ調べて分かった!環境への影響を考え、いろいろ疑問アリ        (写真多数)

2019年09月27日 21時33分29秒 | ヨーロッパ
リスボンで食べたものの話題...続きです。


あまり前回と変わり映えがしない、また魚か!?と上の写真を見て思われた方もいるでしょう。

上の写真です。
夫はサーモン、私はコッド(和訳はセイヨウタラだそうです)を注文しました。

コッドは前日夫が食べたのと同様、たっぷりのニンニクで香りづけされたオリーブ油にひたされて出てきました。

2日目、例のホテルの英語が堪能な男性に「前日とは違ういいレストランが近所にないか」ときいて教えてもらったのがこの、中途半端にレトロで庶民的な「海のマーメイド(店名、直訳)」。


やはり、入り口の横にガラス張りのディスプレイ用冷蔵庫があり、道行く人達に新鮮な魚を見せびらかして客寄せをしていました。

バーがあって、お酒やエスプレッソ・マシーンで淹れたコーヒーも出しています。


店のマスコット(?)らしい人魚の下半身がドカンとプリントされた装飾がほほえましいというか素朴だというか....絵ではなくシークエン(ラメ)をちりばめたコスプレ人魚の写真だというところもウケました。

地元の常連客がバーマンと会話を楽しんでいました。

やっぱり!!ここでもフラットスクリーンの大型テレビが音を消してサッカーの試合中継を流し続けています。


テレビはほぼ向き合って2台ありました。
どっち向きに座ってもサッカー中継が楽しめるように。

わざわざ私たちは壁の水槽の横の席に座りました。


ホテルの人が店内の「水族館」は見ものだ、ぜひ見てらっしゃいといっていました。

たしかに...食材である生きたカニやロブスター(そのうち一匹はハサミを輪ゴムでとじられていました)が活発に水底を歩き回る水槽があるレストランなんて、イギリスではちょっと考えられません。
日本では珍しくも何ともありませんが。

さて、本題です。
コッドは(ポルトガル語でバカルー bacalhau )サーディーン(ポルトガル語でサルディーナ sardinha)とならぶ、海洋国家ポルトガルを代表する魚だということはポルトガルに旅行するほとんどの人が知っています。

バカルーもサルディーナもイギリスではわりとよく知られたポルトガル語です。

ポルトガルに旅行したらバカルーか、サルディーナを食すべし!

サルディーナはポルトガルのマスコット/シンボル的存在らしく、ポルトでもリスボンでも、ありとあらゆる種類のお土産物のモチーフとして大人気でした。

大きな目のすらりと細い体形のサルディーナ、キュートです。絵になります。

3年前に行ったポルトでは干したバカルーが乾物屋や高級デリカテッセンで数多く売られているのを見かけました。

語弊のように糸で連ねて壁から壁へ渡した干しバカルーの専門店、壮観でした!
(むき出しでなんだかキタナイ感じもしましたが)

イギリスに帰国して、ふと思いつきました。
イギリスでもおなじみのサーモン、うちでもよく買って食べるのですが、イギリスで売られているサーモンはほぼすべてスコットランド産です。

日本でも鮭といえば北海道...

暑い国ポルトガルでサーモンがとれるのか?!

気になったら調べます!

ポルトガルで常食されているらしいサーモンはノルウェーで養殖されたものの輸入だそうです。
環境に対する影響が懸念される、国際的にもヒンシュクを買っている産業なんだそうで....ぎくッ!

ポルトガルの食生活のシンボル、コッドは、といえばやはりバルト海、北大西洋で採られ、数が減っている魚らしいのです。


ついでです!


フェリーで15分、テジョ河を渡った対岸のアルマダ Almada という町の Cacilhas (読み方がよくわかりません!)という船着き場のある集落のレストランで私が食べた、サーディーナの炭火焼き(バーベキュー)です。



テーブル全体が赤っぽく写っているのは大きな赤いパラソルを透かしてギラギラと灼熱の太陽が照りつけていたからです。



ちなみにこれは「半ポーション」!
私たちはあまりお腹が空いていなかったので少なめの昼食をとりました。
夫が注文したのははツナ缶のサラダです。

となりのポルトガル人のおばちゃんたちがにぎやかに食べていた「フルポーション」は、この倍以上の量でした。
お値段はあまり変わらないので、おなかが空いていなかったら、フルポーションを2人で分けるのがお得かもしれませんね。
残念ながら、夫は脂っぽい魚が好きではないのです。


「ポルトガルでサルディーナ!」
簡単に身がホロホロ骨からはずれ、しっとり脂がのってとろけるような口当たりで、ものすごくおいしかったです。

スプーンがついてきたのでスプーンで食べました。

しかし!

サーモンの出どころを調べるために読んだサイトによれば、ポルトガル名物サルディーナですら!(たしかにポルトガル近海産ではありますが)数が減っているので国際的に漁獲量を少しずつ制限していくべき魚だということなのです!

私たち夫婦は環境のことなど話題にして気にかけているほうだと思うのですが.....

楽しみにしていたポルトガルでの魚料理....本当に食べてもよかったのか!?

この件、長くなるので次回に続きます。

ずいぶん躊躇して買った、サルディーナの柄のボゥル2個。


大きさの比較のため置いたテーブル・スプーンは口にパクっと入るぐらいの大きさです。

底の円の色は黄、赤、水色、リノリューム版画と思われるサルディーナの配置も実にさまざまなバリエーションがある、手作りのリスボン産陶器です。
川沿いの比較的おしゃれな工芸品のお土産物屋数店で、売られていたのですが、値段が少しずつ違うのが不思議でした。

夫が、すべての値段を比較して一番安い店で買うべしと驚くほど頑強に主張しました。
観光客とみてぼったくられるのを異常なほどイヤがるたちなのです。

私もいやですが....

息子にはサルディーナ柄の靴下を買いました。










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7 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
夫婦喧嘩は存在しない (浅井洋)
2019-09-28 16:07:04
江里さま

   Almadaに 行こうと 思ったのですが

あれも見たい これも見たいと 時間がなくて

対岸に 行けなかったのですが

 貴女の お陰で 行った 気分に させて 頂ました 有り難う ございます
返信する
アルマダ (江里)
2019-09-29 05:14:40
思い付きで船に乗りたいと思って何があるかもわからずに行ってみたアルマダの観光記事を明日か明後日のせるつもりです。

浅井さん、アルマダで何をご覧になりたかったのですか。
巨大キリスト像の他に何があるんですか。
返信する
夫婦喧嘩は存在しない (浅井洋)
2019-09-29 06:14:27
江里さま
 
  ポルトガルには3回程 行ったはずです

当時は ナザレも見たいし

コインブラも 見たいし 日程は 住友商事の

一応 帰国 途中の ズル 休みだし

 それに革命(あれが革命と言うのか を 別にして)してて 

 almadaへの橋は サラザールがアメリカに頼って

作った 要らない橋だ と 悪口を いってた

ような それに  

十字架は リオの真似だと 言ってたような 

レンタカーも 観光ツアーのバスもなく

アフリカ帰りだから と言って 羽のばして遊ぶな

と リスボンの所長に 言われていたと 思います

でも 要らない橋をなぜ 作ったのか その対岸は

どうしてるのか あの目に見える 対岸が開発や

下請け産業の町に どうして成らないのか 

気になったのです
返信する
あのつり橋 (江里)
2019-10-01 07:28:14
4月25日橋、ですよね。
ポルトガルのカーネーション革命についてはリスボン旅行の前に観光ガイドにのっていたポルトガル史の概略で知りました。世界史で習った記憶がありません。スペインのフランコ体制の崩壊については世界史ではなく、歴史ドキュメンタリーなどでもよく取り上げられているので概要は理解しているのですが。

ガイドブックには「舞台となったリスボンにポルトガルにとってこんなに重要な歴史的事件を記念する建物もモニュメントもないのが驚きである」というような一文がありました。本当にその通りです。


私が生まれた後、西ヨーロッパで民主化革命があったということにびっくりしています。とはいえ、子供のころに海外ニュースなどで「サラザール政権」という言葉を聞いた確かな記憶があります。
独裁者サラザールが建設させた橋だということですが、立派です。革命を記念する晴れ晴れしい名前に改名されてポルトガル市民に親しまれているらしいですよ。
リスボンに停泊する豪華クルーズ船がリスボンを去る際、橋をくぐる前にリスボンに別れを告げる警笛を鳴らします。川岸で聞きました。
例のクリスト・レイ(巨大キリスト像、リオのマネなんですか?)に行き当たりばったりで行ってみましたがそこから見下ろした橋の景観は素晴らしかったです。
記事に写真をのせるつもりです。対岸のアルマダの町もクリスト・レイに観光客でいっぱいののりあいバスで行く途中に見てきました。写真がなくて残念です。
1960年ごろのすすけた半端にモダンで半端に高い中層建築がごっちゃごっちゃとたて込む思いっきりしょぼくて悲しい町でした。
バスに乗り合わせた(平日の昼間だったからか)お年寄りが多かった地元の住人も貧し気な雰囲気でした。
返信する
夫婦喧嘩は存在しない (浅井洋)
2019-10-03 19:43:00
江里さま

 テージョ川の南は 貧しくて アフリカへ 出稼ぎ

に 出る人が 多く 

 アフリカでは アンゴラと モザンビークが

ポルトガル領でした

 僕は安田講堂の時の学生でしたので 

革命ってもっと素晴らしいものか と 

幻想を抱いてましたが

 ポルトガルの学生の革命は 

あれは何だと 思いました でもその結果

アンゴラが 独立し その アンゴラに僕が

赴任したのです 

余分なこと 言って ゴメンナサイ
返信する
浅井さんへ (江里)
2019-10-04 03:50:31
余分なことではありません。
もしかして安田講堂に立てこもった学生闘士のおひとりですか。
ポルトガルの革命について書かれたガイドブックには革命を推進した兵士が一般市民に送られたカーネーションを銃にさしている写真が載っていて、ロマンとドラマを感じました。独裁体制を一掃し、属国の独立を促したんだから素晴らしい出来事だと思っていたのですが、認識が甘かった?

アンゴラもブラジルもポルトガルと深い縁がある、どちらも貧しそうな国ですが、浅井さんがその2国に赴任されたのは偶然でしょうか。
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夫婦喧嘩は存在しない (浅井洋)
2019-10-06 19:47:16
江里さま
 僕はデモは1回しか参加してません 原子力空母エンタープライズの横須賀への寄港を許すな と 言うデモです (話すと長いです)
 ブラジルに行ったのは 入社して2年目に暇だった時に 1浪の東京外語のスペイン語が 後輩で入って来て 浅井 同じ年だから タメ語(対等)に話そう 敬語は使わん その代わりに スペイン語を 教えたる 8時に出社しろ9時迄 教えるを 受けて  スペイン語を習ってたら
 課長が そんなに 暇なら 誰も行きたがらない
ブラジルへ行け 言葉も多少は 分かるだろう
 大体 暇だと 大声で言う奴は 課に 置いとけん 社内 留学の試験を受けろ 通れば 人事の費用で 海外に行ける と 試験を受けたのが 2人で僕より優秀なものが米国 僕がブラジルに成りました
返信する

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