イギリス/ストックポート日報 《England/ Daily Stockport》

イギリス北西部の歴史ある街、ストックポート Stockportから(ほぼ)日替わりでお送りする、イギリス生活のあれこれ。

マンチェスター爆撃20年周年・・・よく復興したものです。

2016年06月16日 09時00分00秒 | マンチェスター

昨日、2016年6月15日は、暫定アイルランド共和国軍 Provisional Irish Republican Army (IRA)による、マンチェスター爆撃 1996, Manchester Bombing 20周年記念日でした。



(マンチェスター・イブニング・ニュースのウェッブサイトからかってに借りた、翌日の現場の写真です)

20周年の記念式典など一切ありません。

爆心地の現在、トラム(市電)の工事中です。



1996年6月15日、買い物客でにぎわう土曜日の午前11時17分、マンチェスターのショッピングエリアで、非戦闘状態のヨーロッパで史上最大規模の強力な爆弾が炸裂しました。

その1時間半前に爆破予告を電話で受けた市が、指定エリアから買い物客約7,500人を退避させ終えた直後でした。

妊娠6ヶ月の私もその中にいました。

ショッピングをしていたわけではなく、通勤とちゅうの通り道です。

それまでもIRAのニセ爆弾予告は何回かあり、あまり緊張感もありませんでした。

通りがかりの私も、ショッピングセンターから出てきたものすごい数の避難客といっしょに、一時集合所へ追いやられました。

パン屋の若い店員が2人、避難する際に運搬カートに乗せて大量に運び出した焼きたてパンを「もう店に戻れない」と判断したのか他の避難客に配っていたのが忘れられません。

シティー・センターの機能はすっかり停止・・・・・家に帰るバスがいつ運行されるかも不明。

避難客の群れからはなれ、とりあえず退避指定からはずれたエリアにある職場にむかうことにしました。
職場につけば誰か車で送ってくれる人がいるだろうと期待して・・・

そこから、いつもなら徒歩10分程度でノーザン・クオーター Northern Quarter(当時はスミス・フィールド Smith Field とよばれていました)にある職場まで、道の閉鎖でえんえんと回り道をさせられてその日は30分以上かかりました。(大遅刻です)

誰も仕事をしていません。
ラジオを聞きながら、臨時休業にするかどうか話し合っています。

椅子をすすめられ、座ってお茶を飲もうとしたとたん、ドンと衝撃があり建物が揺れて、棚からものがばさばさ落ちてきました。

私が30分前までいた、ショッピングセンターから黒煙が上がっているのが、窓から見えました。

本物の爆撃です!
職場は直ちに閉鎖され、即刻退避するよう通告がきました。

マンチェスター・シティ・センター全体が市街戦に突入したかのような緊張感につつまれていました。

車何台かに分乗して帰路に着きましたが、道の閉鎖や検問で、家に着いたのは午後遅くです。

とちゅうで、同乗した同僚の家によってニュースを見たりしましたが・・・・


ショッピングセンターで私が一時合流した買い物客のグループは、安全な場所にさらに移動して、全員無事だったようです。

周りのビルにいた人や通行人の重軽傷者が200人以上。
大破したショッピング・センター内の人はすべて非難し終わっていましたが、何しろ、爆弾の影響のおよんだ範囲が予想よりずうっと広かったのです。
避難区域外で、吹き飛んだガラスや建築材が当たって主に通行人が大勢けがをしました。

大混乱のシティーセンター、救急隊の大活躍、けが人をかばって逃げ惑う人々の映像が絶え間なくニュース速報で映し出されるのをあぜんとして見ていました。

今と違って、携帯電話も普及していない当時、プロのカメラマンが直後に現場に入って撮った生々しい映像です。
映画を見ているようでした。常套句で恐縮ですが・・・・

この規模の爆撃にしては奇跡です!亡くなった人は1人も出ませんでした。

許すまじ!無差別テロ!!

ただ、充分な時間の余裕をおいて予告をするところが、昨今のイスラム過激派とはちがいます。
人的犠牲は極力抑える方針だったようです。

それでも、当時のテロに対する緊張感は、いまのイスラム過激派への恐怖よりずううううっと身近でした。


ゴミ箱が駅や公共の場から姿を消した長い時期がありました。

不審な手荷物が発見されて、電車がとまったニュースをたびたび見ました。

白人の若い男が何人もの警官に取り囲まれて誰何されているのを駅で目撃したことがあります。

近くの大通りの「ガセ爆破予告」で大学が午後閉鎖になり、バスもとまって徒歩で帰宅したこともありました。


マンチェスターの復興のシンボル、オールド・ウェリントン・イン Old Wellington Inn(中央)です。

1552年建造の、現存するグレーター・マンチェスター最古の建築物でした。
伝統あるパブです。
爆撃前はこの場所から、少し離れた場所にあったのですが爆撃で木っ端微塵に吹き飛びました。

早くも一年後の1997年には崩壊をかろうじて免れた隣のパブ、Sinclear's Oyster Bar が修復移築された際に元の建物のかけらを集めて、新しい建材とミックスして完璧に再建されました。



爆心地から数十メートルしか離れてない場所です。

両隣の古いビルと、ちょっと見えてる大聖堂(ランセット窓と、赤い十字のセント・ジョージス旗が見えます)は外観はなんとか無事・・・・・中はぐっちゃぐっちゃに壊れたそうです。ふしぎだな~。

その後しばらく、マンチェスターの人々の間では、「マンチェスター爆撃の時、どこにいた?」が合言葉になった時期がありました。
「その場に(とちゅうまでですが)いた」私はちょっぴり注目の的でした。

見事に復興したものです、マンチェスター。

「Com'n Manchester, you can do it! がんばれマンチェスター、きっとやり遂げられるよ!」が復興にかける合言葉でした。


新しく建ったガラス張りの建物はとってもきれい。

以前の薄汚れたコンクリートの塊のショッピングセンターの建物が再開発で建て替えられて景観が大いに向上しました!



先日、お茶を飲みに入ったティールームの窓から見える、爆心地の新築ビルです。



IRAが犯行声明と謝罪(!!)声明を出していますが、犯人はまだ特定されていません。
いや、やった人は判明してるのにIRA と停戦協定をむすんだあと起訴しないだけだといううわさもあり、よくわかりません。

死者が出ていたらもっと違った印象の事件だったかもしれません。

いずれにしてもイギリスの歴史に残る大事件です。

↓↓↓画像をクリックしてください。はい、ありがとう。













コメント (8)
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