今日はいつか行かなきゃと思っていた百年記念塔に上ってきました。
稚内市街を見下ろす丘の上に立っています。
正式には稚内市開基百年記念塔と言うんですね。
稚内の町が発足して100年となる1978年に建てたそうです。わたくしの生まれた年でした。
1Fと2Fは北方記念館となっていて、稚内やサハリンの歴史を知ることができます。
ロシアがちょっかいを出してくるので防衛隊みたいなものを置いていたようですが、
当時から稚内の厳しい寒さに相当苦労していたようです。
まあ、すぐに忘れるんですけど(笑)、いろいろ勉強になりました。
ここでも大きくフューチャーされているのが北海道とサハリンの測量をした間宮林蔵。
わかりづらいですが、間宮が協力したと言われる伊能忠敬が残した地図の1/2図が床に展示してあります。
1/2でこの大きさとは。
1821年に完成した”伊能大図”のうちの1枚。
測量のことはまったくわかりませんが、200年前でこのクオリティは素直に凄いと思うな。
それにしても、ずいぶんと稚内は間宮林蔵推しだなあという気がします。
特に稚内だけに何かを残したわけではないと思うのですが、公式ゆるキャラも”りんぞうくん”だし。
展望室に上がってきました。記念館も含めて入場料が400円かかります。
高低差がいまいちわかりづらい写真ですが、塔は海抜170mの丘の上にあり、展望室の高さは70m。
ノシャップ岬方向ですが、視程はそこまで良くなくサハリンは見えませんでした。
午後に上がると利尻富士は逆光になります。こちらも雲に隠れていました。
ふもとに降りて、同じ稚内公園内にある”氷雪の門”と”九人の乙女の碑”を望みます。
サハリンでも太平洋戦争の悲しい物語がありました。
記念館には防波堤ドームが鉄道駅だったころの写真が残っていました。
当時観光地としての価値があったのかはわかりませんが、実際に生活の役になっていたんですね。
そんな稚内で明日(9月2日)、初めてのフルマラソンが行われます。
スタートは宗谷岬、そしてゴールは北防波堤ドーム。
幸い天気は良いようですが、風は残念ながら思いっきり向かい風。
選手の皆さん、怪我無く完走目指して頑張ってください~。
稚内市街を見下ろす丘の上に立っています。
正式には稚内市開基百年記念塔と言うんですね。
稚内の町が発足して100年となる1978年に建てたそうです。わたくしの生まれた年でした。
1Fと2Fは北方記念館となっていて、稚内やサハリンの歴史を知ることができます。
ロシアがちょっかいを出してくるので防衛隊みたいなものを置いていたようですが、
当時から稚内の厳しい寒さに相当苦労していたようです。
まあ、すぐに忘れるんですけど(笑)、いろいろ勉強になりました。
ここでも大きくフューチャーされているのが北海道とサハリンの測量をした間宮林蔵。
わかりづらいですが、間宮が協力したと言われる伊能忠敬が残した地図の1/2図が床に展示してあります。
1/2でこの大きさとは。
1821年に完成した”伊能大図”のうちの1枚。
測量のことはまったくわかりませんが、200年前でこのクオリティは素直に凄いと思うな。
それにしても、ずいぶんと稚内は間宮林蔵推しだなあという気がします。
特に稚内だけに何かを残したわけではないと思うのですが、公式ゆるキャラも”りんぞうくん”だし。
展望室に上がってきました。記念館も含めて入場料が400円かかります。
高低差がいまいちわかりづらい写真ですが、塔は海抜170mの丘の上にあり、展望室の高さは70m。
ノシャップ岬方向ですが、視程はそこまで良くなくサハリンは見えませんでした。
午後に上がると利尻富士は逆光になります。こちらも雲に隠れていました。
ふもとに降りて、同じ稚内公園内にある”氷雪の門”と”九人の乙女の碑”を望みます。
サハリンでも太平洋戦争の悲しい物語がありました。
記念館には防波堤ドームが鉄道駅だったころの写真が残っていました。
当時観光地としての価値があったのかはわかりませんが、実際に生活の役になっていたんですね。
そんな稚内で明日(9月2日)、初めてのフルマラソンが行われます。
スタートは宗谷岬、そしてゴールは北防波堤ドーム。
幸い天気は良いようですが、風は残念ながら思いっきり向かい風。
選手の皆さん、怪我無く完走目指して頑張ってください~。
ソニックブルーさんがそちらにいる間におじゃましようかと^_^
あれ、ウェールズの谷には何度行ったんでしたっけ?(笑)
たまーに週末いないことがあるので、もし来稚をご検討頂けるなら連絡ください。
冬は1/4の確率で帰れなくなる(または来れない)ので、止めておきましょう。
百年記念塔も道路が閉鎖になるので10月いっぱいで営業終了です。
あ、でも別世界を経験するという意味では面白いのかな・・・?