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大阪のオバチャンと聖教新聞

2021年07月30日 | 妙法

一人から始めたラジオ体操が300人集まるようになった話――大阪のオバチャンと聖教新聞2021年7月17日

  • 〈創刊70周年記念企画〉Life with Seikyo
02:35

 
 鈴木廣子さん(77)=大阪府高槻市、支部副女性部長=は2006年(平成18年)、21年間務めた本紙の配達を後輩に交代した。しかし、その後も長年の習慣ゆえ、毎朝午前5時前には目が覚めてしまう。
 
 「配達が励みやった。きょうも池田先生と一緒に戦うって決意して、全部、乗り越えてきたんよ」
 じっとしてはいられなかった。“とにかく行動せなあかん!”――近くの公園で、1人でラジオ体操を始めた。以来15年、今では、多い時で300人近くが集まる。
 

■“きょうも先生と一緒に!”――毎朝5時前には目が覚めます

 
 正月の三が日以外は、休みなしのラジオ体操。「大雨じゃなければ決行。配達してた頃より大変やで」と鈴木さんは笑う。

 夫・留之助さん(80)=副支部長=と共に、毎朝6時前には公園に着く。「お父さんは、川の掃除しながら行くんよ。私は来る人を迎えて、おしゃべり」
 体操が終わっても、太極拳、井戸端会議。自宅に戻るのは午前8時前だ。

 15年前、公園にラジカセを置き、6時30分のNHKラジオ放送に合わせ、1人で体操を始めた。
 「配達を交代してから3カ月はゆっくりしてたけど……」
 朝起きて、犬の散歩、1時間以上唱題しても時間を持て余した。
 

 
 「池田先生は毎日、世界を相手に広布の戦いをされてるのに、私は何をしてんねやって思って」
 
 毎朝、すがすがしく体操していると、散歩途中の人から「一緒にさせて」と声を掛けられた。
 1年間続けると30人ほどが集まるように。3年を過ぎた頃には100人を超えていた。
 
 地域に顔が売れ、9年前からは町内会の老人会長に。留之助さんも地元自治協議会の議長を務めた。
 「目配り気配り心配りでやっています。そやけど、(信頼を築くには)一歩前に出なあかん。自分を投げ出していかなあかん」
 

夫・留之助さん㊨と
夫・留之助さん㊨と

 
 老人会の旅行では、“負けたらあかん”と晴天を祈りに祈り、大雨の予報を覆した。
 「鈴木さんは晴れ女やな。25号(台風)よりも強いで」と地域の友人に言われ、「当たり前や、どんだけ祈ったと思ってるん」と返した。
 
 けれども、なぜ、そこまで頑張れるのか――。
 「そらあ、先生やで。先生のことを思うと、じっとしてられへん」
 
 創価学会に入会して今年で47年。鈴木さんは一度も先生に会ったことはない。
 しかし、「毎日、毎日、聖教新聞読んでたら、ここ(胸の中)に先生がいはるようになったわ」
 

 
 入会と同時に、留之助さんが始めた小さな鉄工所は、今では立派な工場になり、息子たちが後を継ぐ。自宅も2棟購入し、一つは広布の会場に提供してきた。
 
 46年間、自身の唱題時間を一日も欠かさずノートに記す。長い人生、ゼロが続いた日もある。
 「とにかく素直に信心したら、みんな開けるわ。私、この年で分かってん。題目、題目しかないで」
 
 家が火事になり、顔に大やけどを負った時も「主治医に『前よりもきれいにしてな』って言って。ほら、今もツルツルや(笑い)」。
 

 
 とにかく、めげない。何があっても祈って動く。
 本紙の購読推進は41年間、毎月続けた。コロナ禍で少し休んだラジオ体操も「デスタンス!?(ディスタンス)を取れば、大丈夫やし」と、すぐに再開。
 
 今月、NHKなどが主催する「ラジオ体操優良団体等表彰」の受賞が決まった。「ようやくNHKのお墨付きになった(笑い)」
 
 取材の途中で、鈴木さんは「もう十分しゃべったやろ。私、忙しいからそろそろ行くわ。じゃ、記者さんも頑張って!」。
 というわけで、あとは動画をご覧ください。

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