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結成70周年記念青年部総会から 活動体験(要旨)

2021年07月22日 | 妙法

第4回本部幹部会 結成70周年記念青年部総会から 活動体験(要旨)2021年7月22日

北海道 大平久美子さん(十勝県女子部長)
職場で信頼広げ同僚が入会

 私は短期大学卒業後、国内の大手銀行に入りました。函館に配属され、希望に燃えて出発したものの、空回りし、ミスばかり。上司からも怒鳴られ続け、味方は誰もいませんでした。
 
 「もう辞めたい」と泣きながら題目を唱える日々。そんな時、池田先生のご指導が目に留まりました。「何ごとも、最初から完璧な人などいません。つまずいたら、『よし、頑張ろう』『さあ、これからだ』と立ちあがればいいのです」との言葉に、“諦めるのは早い。職場で、なくてはならない人に成長しよう”と奮起しました。
 
 次の日から、苦手な営業にも挑戦。一人、残業し、めげずに働く私の姿を見た上司は、次第に態度を和らげ、仕事を応援してくれるようになりました。
 
 職場の雰囲気も一変し、活気にあふれ、2012年5月には、若者向けカード商品の営業で店舗が日本一に。個人でも全国1位の成績を収めることができました。
 
 その実績が認められ、2カ月後に札幌へ異動。そこでも、日本一を取ることができました。28歳の時には、最年少の課長代理となり、営業インストラクターとして全道を飛び回りました。
 
 何よりうれしかったのは、育成を担当した後輩10人全員が優秀な成績を収め、表彰されたことです。思い出すと、今でも胸が熱くなります。
 
 これを機に、次は生まれ育ったふるさとに尽くしたいと思うようになり、転職を決意。3年前に円満退職し、現在は地元の役場で水道事業に携わっています。
 
 懸命に仕事に取り組む中、上司からは「あなたがうちの町で働いてくれてうれしい」と言っていただきました。
 
 さらに、仏法対話を続けてきた職場の同僚が「どんなに自分がつらい状況でも、他人の幸せを祈るなんてすごい」と学会員の生き方に感銘。2年前から勤行を実践し、日蓮大聖人御聖誕800年となる本年2月16日、入会することができました。
 
 十勝県女子部は今、本物の姉妹のように仲良く楽しく、勇気の拡大に挑んでいます。私も芦別市や深川市出身の友人をはじめ、多くの友に対話を広げてきました。
 
 “いかなる戦いにも連戦連勝し、三世に輝く幸福の連帯を築こう”との誓いに燃え、どこまでも朗らかに、そして熱く、広布の道を歩んでいきます。

大阪 北村幸大さん(福島区男子部長)
苦難越え新たに美容室開業

 私は大阪市西淀川区で生まれました。両親が区内で美容室を営んでいたこともあり、高校卒業後は働きながら学び、美容師免許を取得。しかし両親が離婚し、父が家を出ていきました。私は、残された母と妹を支えるため、24歳で美容室のオーナーになりました。
 
 慣れない経営に加え、新規顧客の開拓、格安サロンとの競争など、苦難の連続でした。男子部の先輩の励ましを胸に、懸命に仕事に励む中、徐々に売り上げが向上。5年前には、西淀川区内の好立地にリニューアルオープンすることができました。
 
 しかし昨年、大きな試練が。新型コロナウイルスの感染拡大により、仕事が激減したのです。4月の予約は、ほぼキャンセル。売り上げがゼロの日もありました。“こんな状況で、4人の子と妻を食べさせていけるのか”と、不安が募っていきました。
 
 私には、行き詰まった時に開くノートがあります。それは、「聖教新聞」や「大白蓮華」などに掲載された、池田先生の指導を書きとどめたものです。16年前から書きため、現在、17冊目になりました。
 
 ノートを読み返す中で「状況がどうあれ、怯まない。自ら決めた道を断じて進む。この強き一念の信心に立つとき、無限の智慧と勇気がわき、一切の勝利が切り開かれていく」との先生の言葉に出合いました。
 
 「負けたらあかん」と決意し、1日3時間の唱題に挑戦。手紙や電話、SNSを活用し、同志や友人たちへの励ましの対話を重ねました。
 
 その中、運送業を営む常連客の男性が、経済苦で悩んでいることを打ち明けてくれました。
 
 私は自らの体験を通し、「この信心で一緒に乗り越えましょう」と語り抜きました。その思いが通じ、昨年7月11日の男子部結成記念日に、個人10世帯目となる御本尊流布を実らせることができました。入会した彼は今、男子部大学校4期生として前進しています。
 
 対話拡大に励むと、不思議にも美容室の客足が伸びていきました。そして昨年、最終的には過去最高の売り上げを記録することができたのです。本年4月には、西淀川区内に新たな美容室も開業することができました。
 
 また福島区男子部長として、地道に激励に励む中、関西一となる“部3”の大学校生を輩出することができました。これからも新たな人材と共に、異体同心の団結固く、常勝の金字塔を築いてまいります。

広島 笹原義昭さん(安佐北区・男子部本部長)
障がい者に寄り添う相談員

 高校卒業後、私は壁材製造の会社に就職。20歳の時、作業現場で大事故に遭いました。100キロを超える鉄板が落下し、下敷きに。命は助かったものの、右脚骨折と裂傷の大けがを負い、入院しました。
 
 病室から男子部の先輩に「このまま、働き続けられるか不安です」とメールを送りました。すると先輩は毎日、見舞いに来てくれ、真心の激励を。その温かさに触れ、不安は和らいでいきました。
 
 その後、けがは順調に回復し、無事に退院。リハビリに耐え、足は元通りに動くようになりました。
 
 題目を重ねる中、先輩のように人に希望を与える仕事に就きたいと思うように。コミュニケーションは得意ではありませんでしたが、離職し、福祉の道を志して大学へ進学。猛勉強の末、社会福祉士と精神保健福祉士の資格を取得することができました。
 
 その後、地元の山口から広島に移り、2009年にNPO法人に就職し、障がいのある方やご家族を支える相談員になりました。相談内容は、健康面や仕事の悩みなど、さまざま。その人が生き生きと生活できるよう、一人一人の声に耳を傾けてきました。
 
 すぐに解決できることばかりではありません。そのたびに自分の力のなさを痛感。唱題しては、池田先生の指導を求めました。
 
 「仏法は三世を貫く究極の楽観主義だ。絶対に行き詰まらない」との言葉に励まされ、さらに力をつけようと決意しました。
 
 働きながら大学院に通い、修士号を取得することができました。そして現在は、相談支援センターのセンター長として奔走しています。
 
 広島市を襲った7年前の土砂災害では、自宅の被災は免れたものの、周囲には家を失った方もいました。自分に何ができるのか模索しながら、避難所を回り、支援し続けました。
 
 仕事は多忙を極めましたが、時間をこじあけ、学会活動にも挑戦。広島市内に住む青年に仏法対話し、弘教を実らせることができました。
 
 2年前の10月には、男子部本部長の任命を受けました。
 
 まずは部員一人一人とつながっていこうと、訪問・激励に全力。コロナ禍でも広布の歩みを止めないと、懸命に励ましを送る中、本年、前回の3倍となる男子部大学校生を誕生させることができました。
 
 安佐北区男子部は、どこまでも師弟共戦の心を燃やし、不屈の楽観主義で、いかなる波浪も乗り越えていきます。