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小説「新・人間革命」に学ぶ 第30巻〈下〉 

2021年07月07日 | 妙法

小説「新・人間革命」に学ぶ 第30巻〈下〉 基礎資料編2021年7月7日

  • 連載〈世界広布の大道〉
イラスト・間瀬健治
イラスト・間瀬健治

 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第30巻<下>の「基礎資料編」。各章のあらすじ等を紹介する。挿絵は内田健一郎。

【物語の時期】1981年(昭和56年)6月16日~2001年(平成13年)11月12日
「暁鐘」の章(後半)

 1981年(昭和56年)6月16日、山本伸一の平和旅は、フランスからアメリカへ。ニューヨーク会館やホイットマンの生家などを訪問。20日の日米親善交歓会では、伸一がつくった詩「我が愛するアメリカの地涌の若人に贈る」が発表される。
 21日、カナダのトロントへ。翌日のカナダ広布20周年記念総会では、一人立つことの大切さを訴える。滞在中、文化交歓会に臨み、トロント会館等を訪問。再びアメリカへ。
 28日にはシカゴで盛大に開催された第1回世界平和文化祭に出席。また7月1日、世界芸術文化アカデミーは、伸一に「桂冠詩人」の称号授与を決定する。
 伸一は8日に帰国。間断なき激闘によって、世界広布の新章節の旭日が昇り始め、“凱歌の時代”の暁鐘は、高らかに鳴り渡った。

「勝ち鬨」の章

 山本伸一は7月、結成30周年記念の青年部総会に祝電を送るなど、新時代を担う青年の育成に力を注ぐ。18日、会長の十条潔が急逝し、第5代会長に秋月英介が就任する。
 11月、伸一は四国を訪れ、10日の「香川の日」記念幹部会で「もう一度、指揮を執らせていただきます!」と宣言。本格的な反転攻勢が開始される。また、四国男子部の要請を受け、二十数回にわたって新愛唱歌に筆を入れる。14日、男子部の「紅の歌」が完成する。
 12月8日、大分指導を開始。宗門事件の震源地・別府を訪れたあと、大分平和会館へ。10日、伸一は、夜の県青年部幹部会で詩「青年よ 21世紀の広布の山を登れ」を発表するために全精魂を注いで口述。直前まで推敲を重ね、21世紀への新たな指針が、大分の地から全国に発信される。
 伸一は12日、宗門事件で苦しんできた大分県竹田へ。岡城の本丸跡に集った友と写真撮影し、「荒城の月」を大合唱する。その後、熊本に移り、阿蘇の白菊講堂を初訪問。15日、熊本文化会館での自由勤行会に参加した友と、会館近くの公園で記念撮影し、「田原坂」を高らかに合唱する。
 1982年(昭和57年)1月10日には、宗門から激しい迫害を受けてきた秋田へ。伸一は秋田でも自由勤行会を開催する。雪の降りしきる中、秋田文化会館前の公園に記念撮影のために集った同志と共に、「人間革命の歌」を熱唱。民衆勝利の宣言ともいうべき「勝ち鬨」が轟く。

「誓願」の章

 3月22日、山本伸一は第1回関西青年平和文化祭に出席。その後、平和文化祭は、中部、さらには全国各地で行われていくことになる。6月には、国連本部で「現代世界の核の脅威」展を開催するなど、本格的な平和運動が展開されていく。1983年(昭和58年)8月には、伸一に「国連平和賞」が贈られる。
 84年2月、ブラジルを訪問した伸一は、大文化祭等に出席し、ペルーへ。87年2月にはドミニカ共和国、パナマも訪れる。また、各国首脳と対話を重ね、90年(平成2年)7月の第5次訪ソでは、ゴルバチョフ大統領と会談。10月には、アフリカ民族会議のマンデラ副議長を聖教新聞社に迎え、会見する。さらに、世界の指導者、識者、また、国内をはじめ、世界各地の創価の同志に次々と詩を詠み、贈る。
 日顕ら宗門は、伸一と会員を離間し、学会を破壊しようとする陰謀を実行に移す。伸一がベートーベンの「第九」をドイツ語でも歌おうと提案したこと等を、外道礼讃、謗法と批判。12月末、宗規改正を理由に、伸一や学会首脳幹部らの法華講総講頭・大講頭の資格を剝奪する。
 さらに、学会の組織を切り崩そうと、「檀徒づくり」を公式方針として打ち出し、「破和合僧」の大重罪を犯す。また、信徒蔑視、教条主義、権威主義を露骨にし、日蓮大聖人の仏法の教義と精神から大きく逸脱していった。
 宗門は91年11月28日付で、学会本部に「創価学会破門通告書」を送る。その日は、広宣流布の前進を妨げ、“日顕宗”と化した宗門からの“魂の独立記念日”となった。
 伸一は、92年、アジア、欧州等を訪問。翌年には、北・南米を回り、“人権の母”ローザ・パークスやブラジル文学アカデミーのアタイデ総裁らと対談する。また、アルゼンチン、パラグアイ、チリを初訪問。95年にはネパール、96年にはキューバを訪問し、国家評議会のカストロ議長と会見。次の訪問国・コスタリカで、歴訪は54カ国・地域になった。
 2001年5月3日には、待望のアメリカ創価大学が開学する。
 11月、創立記念日を祝賀し、男子部・女子部結成50周年記念の意義を込めた本部幹部会で伸一は、「創価の三代の師弟の魂」を受け継ぐよう、後継の青年たちに託す。学会は新世紀を迎え、第2の「七つの鐘」に向かい、地涌の大前進を開始していく。

【山本伸一の海外訪問】1981年1~3月、5~7月
メキシコ
未来部員に励ましを送る池田先生(1981年3月、メキシコ市で)
未来部員に励ましを送る池田先生(1981年3月、メキシコ市で)
ブルガリア
ブルガリアの名門・ソフィア大学で記念講演を行う(81年5月)
ブルガリアの名門・ソフィア大学で記念講演を行う(81年5月)
アメリカ
米ロングアイランドにある詩人ホイットマンの生家を訪問(81年6月)
米ロングアイランドにある詩人ホイットマンの生家を訪問(81年6月)
カナダ
世界的に有名なカナダのナイアガラの滝を見学(81年6月)
世界的に有名なカナダのナイアガラの滝を見学(81年6月)
【師弟の「勝ち鬨」】
香川・四国研修道場を訪問(1981年11月)。この四国指導の折、「紅の歌」が誕生した
香川・四国研修道場を訪問(1981年11月)。この四国指導の折、「紅の歌」が誕生した
大分・竹田の岡城址で、同志と「荒城の月」を合唱(81年12月)
大分・竹田の岡城址で、同志と「荒城の月」を合唱(81年12月)
雪に包まれる秋田を訪れ、路上で何度も車を止め、友を激励(82年1月)
雪に包まれる秋田を訪れ、路上で何度も車を止め、友を激励(82年1月)
82年3月の第1回関西青年平和文化祭(大阪・長居陸上競技場〈当時〉で)
82年3月の第1回関西青年平和文化祭(大阪・長居陸上競技場〈当時〉で)
【世界平和への貢献】
国連平和賞を受賞し、明石事務次長(当時)から感謝状とメダルが贈られた(1983年8月、都内で)
国連平和賞を受賞し、明石事務次長(当時)から感謝状とメダルが贈られた(1983年8月、都内で)
「核兵器──現代世界の脅威」展の開幕式に出席(87年5月、ソ連のモスクワで)
「核兵器──現代世界の脅威」展の開幕式に出席(87年5月、ソ連のモスクワで)
【識者との語らい】
ゴルバチョフ氏と和やかに語らう(1993年4月、東京・八王子市の創価大学で)
ゴルバチョフ氏と和やかに語らう(1993年4月、東京・八王子市の創価大学で)
キューバのフィデル・カストロ国家評議会議長(当時)を表敬訪問(96年6月)
キューバのフィデル・カストロ国家評議会議長(当時)を表敬訪問(96年6月)
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