〈危機の時代を生きる――創価学会ドクター部編〉第12回 腸がつくるネットワーク2022年4月29日
- 大野記念病院院長代行 中河宏治さん
医学では、体内の各器官が互いに連携し、支え合いながら私たちの健康を守っていることが明らかになってきている。まさに調和の世界であり、仏法の“人体は小宇宙”との思想と共鳴する。コロナ禍の中、この人体の調和を保つために、どのような心掛けが大切で、仏法ではどう説いているのか。「危機の時代を生きる――創価学会ドクター部編」の第12回は、大野記念病院院長代行で消化器外科が専門の中河宏治さんの「腸がつくるネットワーク」と題する寄稿を紹介する。
コロナ禍が続き、運動不足やストレス、食生活の偏りなどが原因で、便秘や下痢など、おなか回りのトラブルに悩む人が増えてきました。
2021年に実施された調査では、“おなかに不調を感じたことがある”と答えた人は、約7割であったという結果もあります。
一般に「おなか」というと、「胃腸」を思い浮かべるかもしれませんが、消化器官という意味では、その役割のほとんどを、胃ではなく、腸が担っています。
もちろん、胃では、私たちが食べたものを押しつぶしたり、塩酸に浸したりすることで消化に貢献していますし、塩酸によって食べ物に付いた微生物を殺さなければ、人間の身体には、もっと多くの悪影響が出ているでしょう。
しかし、私たちが食べたものを、体内で吸収できるレベルまで分解し、実際に吸収しているのは、腸です。また、栄養を取り入れる際に病原菌などが進入しないよう、腸には免疫細胞の7割が集中し、命を守る砦の役割を果たしています。
その上で、「21世紀は腸の時代」といわれるほど、今世紀に入って、腸にまつわるさまざまな役割が解明され、腸が私たちの心身の健康と深く結び付いていることが分かってきました。
今回は、この腸の世界を見ていきましょう。
「断腸の思い」「腸が煮えくり返る」「腸が見え透く」という慣用句に表れているように、日本では古来、腸は心や感情と結び付くものと捉えられてきました。
「腸」は英語で「gut」と言いますが、複数形の「guts」になると「根性」という意味になり、「gut feeling(=腸の感覚)」は「直感」、「gut reaction(=腸の反応)」は「本能的反応」となるように、欧米でも“腸には、心や感情を左右する本源的な何かがある”と考えられてきたようです。
こうした表現は、科学的に見ても、決して的外れではありません。近年、研究が進むにつれ、腸と脳が、相互に影響しているという「脳腸相関」の関係であることが分かってきたからです。
脳と腸には、いくつかの共通点があります。
その一つは、脳からの指令がなくても、腸は自らで判断して動く力を持つことです。それは脳に次いで、約1億個もの神経細胞が密集する器官だからかもしれません。
また、脳では、さまざまな神経伝達物質を生成し、それを使って多彩な情報をやりとりしますが、腸でも脳と共通した神経伝達物質を生成し、それを使って腸の機能を支えていることが知られています。
例えば、安心感や幸福感をもたらすセロトニンや、心身を興奮させるノルアドレナリン、ドーパミンなどは、腸でも生成されています。中でも、セロトニンが生成される割合は、脳では2%に過ぎず、9割が腸で作られています。
皆さんも経験があると思いますが、強い緊張にさらされると、おなかを下してしまうことがあります。これは、脳で感じたストレス、より具体的には脳で神経伝達物質が作られたという情報が、自律神経を介して腸に伝わるからと考えられています。
反対に、便秘が続くと、憂鬱な気分になることがあります。これは腸の異常が脳に伝わるからです。
さらに、腸は、脳だけでなく、心臓、肺、胃など、ほかの臓器ともネットワークをつくって連携していることが判明してきました。
例えば、心臓は、腸の状態によって、心拍数が増減し、腸内の血流を変化させています。また深く呼吸すると、副交感神経が優位になり、腸の動きが促進されますが、これは肺が腸に影響していることを示唆しています。また便秘になると、腸内で腎臓に悪影響を及ぼす物質が生成され、腎臓病にかかりやすいことも明らかになっています。
なぜ腸は、全身の臓器と密接なネットワークを形づくることができるのでしょうか。
それは、腸が“全ての臓器のもと”ともいうべき存在だからです。
実は、受精卵から胎児に育つ過程で、最初にできる器官は、脳や心臓ではなく、腸です。これは「原腸形成」と呼ばれ、多くの動物の発生段階において、初期に起こるものです。受精卵が分裂し、細胞を増殖していくためには、栄養が必要ですが、その栄養を吸収するためには、腸の存在が不可欠だからです。そして受精卵から原腸ができると、そこから肝臓、脾臓、膵臓、肺などの臓器、筋肉や骨、さらには脳や神経などを作る部分へと分かれていきます。
腸が最初にできるというのは、生命の進化の歴史そのものです。単細胞生物が多細胞生物となる過程で、最初にできたのは腸、厳密にいえば口と腸、肛門がつながった“一本の管”でした。そして、ここから魚類や両生類、爬虫類と進化していく過程で、この一本の管が枝分かれし、よりさまざまな食べ物を消化し、吸収できるように、胃や小腸、大腸などが出現していったのです。また、その一本の管に張り巡らされた神経系が複雑化していく中で、脊髄や脳が生まれました。
もともと、腸から派生した臓器と考えれば、それらとネットワークを形づくっているのは、むしろ当然のことと言えるでしょう。
腸がつくるネットワークは、各臓器との間だけではありません。近年、腸内にいる細菌たちともネットワークを形づくっていることが分かってきました。腸内細菌は、いわば“人間とは別の生き物”ですが、その細菌とも連携を取り合っているというのです。
そもそも、なぜ、連携が必要なのでしょうか。それは、腸内細菌にしかできない役割があるからです。
例えば、「健康を維持するためには、食物繊維を多く取ることが大事」と言われますが、人間の身体には、食物繊維を分解できる力や機能はありません。その分解を担っているのは、腸内にすみ着く腸内細菌です。
人間が体内で生成できる消化酵素は20種類ほどといわれますが、共生する細菌たちは、その500倍の1万種類もの消化酵素を生成すると考えられています。そうした共生する細菌たちが、私たちが食べたものを分解し、栄養素に変えてくれるおかげで、私たちは体内に取り込むことができるのです。
腸には1000種類、100兆個ともいわれる腸内細菌が存在し、菌の種類ごとにまとまって、腸の壁に張り付いています。この状態は、並んで咲く“お花畑(フローラ)”に見えることから「腸内フローラ」と呼ばれます。
この腸内フローラが乱れると、下痢や便秘といった身体の不調となりますが、影響は、それだけではありません。
一人一人の腸に、どんな種類の腸内細菌がいるかによって、大腸がんなどの腸の病気になったり、糖尿病や動脈硬化、アレルギー疾患などの原因になったりすることが分かってきました。そうしたことを踏まえ、最近では、潰瘍性大腸炎などの治療法として、正常な人が持つ腸内細菌を移植するという方法も試みられています。
また、先ほど述べた「脳腸相関」には、腸内細菌も介在していることも明らかになり、近年では「脳―腸―腸内細菌相関」という新しい概念も注目されています。例えば、腸内細菌は、アミノ酸の一種である「GABA」という物質を作りますが、このGABAには、脳の興奮を抑える「抗ストレス作用」があります。腸内細菌は、そうした物質を作ることで、私たちの心の持ちようや性格にまで影響を与えていると考えられているのです。
このほか、マラソン選手たちの腸内で共通して豊富に存在していた特定の腸内細菌をマウスに与えたところ、そのマウスの運動量が向上したことから、“その腸内細菌が、人間の持久力をアップさせているのではないか”と指摘する研究者もいます。
まさに、腸内細菌の働きによって私たちは支えられ、その存在する種類によって、私たちの心身の状態は左右されるといっても過言ではないのです。
では、腸内細菌の状態を、私たちがコントロールすることはできないのでしょうか。
一つ確かなことは、私たちの食べるもので、腸内にすむ細菌の種類や状態が変わるという点です。つまり、最も大事なのは、食事に気を付けることです。
具体的には、野菜や海藻に含まれる食物繊維、バナナやハチミツなどに含まれるオリゴ糖、ヨーグルトやキムチ、納豆などの発酵食品を中心に、さまざまな食材をバランスよく取ることが、腸内細菌の状態を正常に保ち、多彩な腸内細菌を育てることにつながると考えられています。
食事が私たちの健康と結び付いていることは、仏教でも説かれています。
例えば、天台大師は「摩訶止観」で、良くない食べ物を食べると病気の原因となることから“食べ物の性質を知る”ことの重要性を教えました。
また、温めた「蘇」を食べることには病気を治す効能がある、と記した仏典もあります。「蘇」はミルクを発酵させたもので、現代でいうヨーグルトのようなものです。近年では、ヨーグルトを人肌に温めると、乳酸菌を効率よく吸収できることから、「腸活」の一つとして注目されていますが、仏典にも同じような教えがあることは、興味深い点ではないでしょうか。
さて、これまで、腸は“全ての臓器のもと”であること。また、その腸は、全身の器官はもちろん、腸内細菌まで含めたネットワークを形成し、中でも腸内フローラの状態が心身の健康に大きな影響を与えることを述べてきました。
それを踏まえて、御義口伝を読むと、絶妙な表現であると思わずにはいられません。
それは、「妙法蓮華経」の五字を人間の身に配した「我らが頭は妙なり。喉は法なり。胸は蓮なり。胎は華なり。足は経なり」(新997・全716)との仰せの中の、「胎は華なり」という言葉です。
まず、おなかを表す「腹」ではなく、「胎」という字が使われている点です。もちろん、「胎」には「おなか」という意味もありますが、その多くが、母胎や胎児など、妊娠にまつわる字として用いられます。しかし、この「胎」は「始」に通じ、「物事のはじめ」という意味があり、「胎」を用いることで、私が述べた“全ての臓器のもと”という意味合いが強まるのです。
そして、「華」は、お花畑である腸内フローラを想起させ、「胎は華なり」とは、“おなかの状態は、腸内フローラで決まる”という意味にも取れるのです。
その上で、私は、この御義口伝の仰せの直前で「『因』とは、華なり」(同)とつづられていることにも注目しています。これは「一大事因縁」(仏がこの世に出現した根本目的)という言葉を「妙法蓮華経」の五字に配したものですが、なぜ「因」が「華」なのか。科学的に見れば、腸内フローラは私たちの心身の状態を左右する「因」となる存在であり、不思議にも「因」は「華」となるのです。
腸内フローラの状態は、心身の健康を支える「因」となります。しかし、その状態は、変えられないものではなく、私たちの日々の食生活で変えていけるものです。また最近の研究では、私たちが身体を動かしたり、心の持ち方を変えたりすることでも、その状態を変えていけることが分かってきました。つまり、私たちの行動を「因」とすることもできるのです。
日蓮大聖人は「過去の因を知らんと欲せば、その現在の果を見よ。未来の果を知らんと欲せば、その現在の因を見よ」(新112・全231)と記されています。今の決意と行動が、自分自身の健康や将来、自分たちが住む場所をも変えていく「因」としていけると教えられています。
宇宙と生命を調和へと導く妙法に巡り合えた喜びを胸に、あふれる“ガッツ”で対話の花を咲かせ、「健康の世紀」を地域と社会に切り開いてまいります。
なかがわ・ひろじ 1955年生まれ。大阪市立大学医学部を卒業。医学博士。日本消化器外科学会認定医。92年から1年間、オーストラリアのシドニー大学に留学し、肝移植ユニットで脳死肝移植の臨床手術に従事。大阪市立大学医学部臨床教授などを経て、大野記念病院院長代行(副院長、救急センター長兼任)。創価学会関西ドクター部長、総大阪ドクター部長。副区長。
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