輝きの瞬間〉 5月の広布史2022年4月29日
連載「輝きの瞬間」では、師弟の黄金の歴史を紹介する。今回は5月の広布史を掲載する。
1988年4月27日、東京・信濃町で、第1回「全国婦人部幹部会」が開催された。
席上、池田先生は、5月3日を「創価学会母の日」とすることを提案した。5月の第2日曜日である「母の日」と合わせて、“創価の母”をたたえ、祝福したいとの一心からである。
国連では75年を「国際婦人年」と制定し、翌76年から85年までを「国連婦人の10年」とした。幹部会が行われた当時、世界各地で女性に関する議論が深まり、21世紀への胎動が始まっていた。
先生は、新しい時代の婦人部にふさわしい、三色の旗を作成することも提案。それぞれの色に「和楽(赤)」「求道(黄)」「福運(青)」と、広布への“心”を込めた。さらに、白ゆりを配したデザインはどうかと語った。先生の創価の女性への真心が原型となって、三色旗は現在、創価学会のシンボルとなった。
先生は幹部会で語った。
「不自由に見える九界の現実の生活を離れて、どこか別世界に自由があるのではない」「妙法こそ事実の上に、真の『自由』を実現する無上の大法なのである」
この歴史的な会合から10年後の98年5月3日、婦人部代表の協議会が開催された。先生は、広布に献身する全世界の“母”の活躍に深く感謝し、詩「偉大なる母を讃う」を贈った。
「春の陽光のように/母よ!/あなたの明るい声は/皆の胸の世界に/勇気と希望を与える」
さらに、それから10年後の2008年には、「創価学会母の日」を記念して、「生命の 女王の姿の 婦人部は 尊き広布の 宝の人かな」と詠んでいる。
スピーチや随筆、「大白蓮華」の巻頭言などを通し、“創価の母”に限りない慈愛を注いできた先生。昨年の5月3日に「婦人部」が「女性部」として新出発することが発表された本部幹部会のメッセージで、高らかに宣言した。
「我ら学会家族には、母たち・女性たちの『幸福勝利』こそ第一なり」

5月5日は「創価学会後継者の日」である。
池田先生はかつて、「創価学会にとって『後継者の日』は、五月三日の『創価学会の日』につづく重要な日である」と述べている。
「創価学会後継者の日」が定められたのは、1976年5月5日、関西戸田記念講堂での鳳雛会・未来部の記念勤行会だ。
先生は、会合の直前まで後継の宝たちと心の絆を結んだ。和歌山のメンバーとは、成長を期待し、講堂の池に鯉を放流。役員など、勤行会を陰で支える友に感謝を伝え、励ましを送った。
その後、先生は勤行会の会場へ向かうと、後方から入場。参加者の輪の中に入り、「この講堂はみんなのものです」「あの人が高等部長です」と、隣に座っていたメンバーたちに声を掛けた。
あいさつに立った先生は、5月5日の「こどもの日」を、「創価学会後継者の日」にすることを発表。さらに、未来部のメンバーに6項目の指針を贈った。
①健康でいこう②本を読もう③常識を忘れないでいこう④決して焦らないでいこう⑤友人をたくさんつくろう⑥まず自らが福運をつけよう、である。
そして、“創価学会を一言するなら、いかなる時代がこようとも、師匠と共に、生きて生きて生き抜く団体である”と訴え、後継の成長に万感の期待を寄せた。
終了後、代表のメンバーとのクスノキの植樹が行われ、「誓いの楠」と命名された。この5年後の5月5日、先生は未来部の友に「誓い」と題する詩を詠んだ。
「いつも誓いを/持っている人は/尊く 美しい」「その誓いを/果たしゆくために/一生を努力していく人こそ/偉大なのである」
2013年、6項目の指針に、「親孝行しよう」が追加され、現在、「未来部7つの指針」となった。先生はつづっている。
「未来部の君たち貴女たちが、苦難にも負けず、勝利の花と咲き開くその姿は、父母の喜びであり、私の誇りであり、世界の希望であるのだ」

今年で45周年を迎える、1977年5月に行われた池田先生の九州指導は、17日の福岡市・九州平和会館(当時)訪問から始まった。翌18日には、同会館で本部幹部会が開催。先生は、力ある一人の人材を育成することの重要性を強調した。
19日に山口に赴き、22日からは再び九州へ。3年ぶりとなる北九州市訪問では、到着直後から何度も同志と記念撮影を行うなど、激励に全力を注いだ。懇談の場では司会のあり方などを、きめ細かく指導した。
3人の歯科医師のメンバーにも、“学会活動の闘士たれ”と励まし、開業した医院の前を車で通り、題目を送った。
24日は個人会館である田辺会館(当時)を急きょ訪問し、居合わせた友を激励。“会場提供者の方々を回り、御礼を言いたい”との、日頃からの真心の表れだった。
25日から2泊3日で佐賀へ。帰省中の創大生との懇談や記念撮影を行い、記念植樹では、車いすの女性に声を掛け、希望を送った。さらには、同志の営む理髪店も訪れ、散髪中に和やかな語らいのひとときを。寸暇を惜しんで、魂の絆を育む激励行となった。
27日には、熊本を訪問。女子部に指針を示し、未来っ子や年配の友らと記念のカメラに納まった。
東京に戻る29日も、出発ぎりぎりまで、熊本の同志と共に万歳をし、ピアノを演奏するなど、全精魂を注いで励まし続けた。「怒濤をも包み込む大海の境涯で、悠々と、また堂々と、広宣流布という人類史の大ドラマを演じていこうではありませんか!」
この九州指導の折、先生から激励を受けたリーダーや同志、その子どもたちも、広布の舞台や社会で活躍する人材へと、大きく成長している。
当時の様子は、小説『新・人間革命』第25巻の「薫風」「人材城」の章に詳しい。2012年の連載から10年。九州の友は、“師の手づくりの九州”の誇りを再確認し、飛躍を遂げてきた。今、新時代の金字塔構築を固く誓う。

「埼玉の地に、待ちに待った研修道場も、遂に誕生する運びとなった。私も、この研修道場を訪問して、二十一世紀の大埼玉の人材城の構築に総力を上げていきたい」
池田先生は2003年の随筆でこのようにつづっている。待望の研修道場は翌04年、創価大学からも程近い、日高市に完成した。
池田先生ご夫妻が埼玉池田研修道場を初訪問したのは、07年5月8日の午後。まばゆい新緑の中から、ウグイスのさえずりが響いていた。
「仕事は順調?」「ご家族は元気?」――先生は埼玉の同志と唱題をし、一人一人に声を掛けながら、懇談的に激励を。そして、埼玉広布のさらなる伸展を期す、重要な指針を数多く贈った。
「『破邪顕正』といっても、あくまで『破邪』が先である。まず悪と戦い、悪を打ち破るのだ。それでこそ『顕正』がある」
「『鉄桶の埼玉』の団結は、今や世界中に轟いている。『異体同心なればかちぬ』(全1463・新2054)である。『鉄桶の埼玉』が勝ち抜いていくことが、仏法の御聖訓の証明なのである」
「創価学会の前進にとって、そしてまた、日本全体の前進にとって、どれほど大事な天地であるか。埼玉の勝利が、全首都圏の勝利であり、全学会の勝利である」
さらに、師弟を叫び抜いていくことこそ究極の人生であることを、繰り返し訴えた。先生は出発の直前まで、集った友を力強く励まし続けた。
後日、この日は「常勝埼玉師弟の日」と定められた。今年で15周年。埼玉の同志は、この時に師から直接受けた指導を生命に刻み、全国模範の広布拡大の実証を打ち立ててきた。
19年8月、先生は2度目となる研修道場の訪問を果たす。「『鉄桶の埼玉』『模範の関東』は、大きく仲良く慈しみ合って、見事に勝ち進んでくれている」と、同志をたたえた。
“師弟常勝の埼玉”の堂々たる闘争は今、全国を牽引している。

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