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〈教学〉4月度「御書講義」の参考 上野殿御返事(刀杖難事) 〈 2020年4月4日

2020年04月04日 | 妙法

〈教学〉4月度「御書講義」の参考 上野殿御返事(刀杖難事)  2020年4月4日

苦闘の中にこそ真実の人間革命がある
 
 4月度「御書講義」の拝読御書は「上野殿御返事」(刀杖難事)。範囲は「勧持品に八十万億那由佗の菩薩の異口同音の二十行の偈は日蓮一人よめり……うつ杖も第五の巻うたるべしと云う経文も五の巻・不思議なる未来記の経文なり」(御書1557ページ2行目~8行目、編年体御書1181ページ17行目~1182ページ5行目)です。ここでは学習の参考として、背景と大意、解説等を掲載します。(森中教学部長の御書講義の映像が、創価学会公式ホームページ「SOKAnet」で視聴できます<5月6日まで>。講義の内容は、後日、紙面で紹介します)

 
 背景と大意

 本抄は弘安2年(1279年)4月20日、日蓮大聖人が身延で著され、駿河国(静岡県中央部)の青年門下・南条時光に送られたお手紙です。別名を「刀杖難事」といいます。
 本抄が認められたのは、駿河の地で日興上人を中心に弘教が進んでいることに危機感を抱いた滝泉寺院主代の行智らによって、大聖人門下への弾圧が本格化し始めた時期でした。実際にこの4月には、門下が襲われる傷害事件が起こっています。
 時光にも、いつ命に及ぶ迫害があるか分からない状況でした。大聖人は、障魔の渦中にある時光に、信仰に生き抜く勇気と確信を与えるために、励ましをつづられました。
 本抄ではまず、大聖人が、法華経の故に命にも及ぶ種々の大難に遭ったと述べます。続いて「竜の口の法難」の折、平左衛門尉の家来である少輔房から、「法華経の第五の巻」で顔を打たれたことは忘れないとつづられます。
 「法華経の第五の巻」は、法華経の「第一の肝心」です。勧持品第13の二十行の偈にある三類の強敵、刀杖の難等を身読したのは、大聖人お一人であると断言します。ここが、今回の拝読の範囲です。
 続いて、従地涌出品第15に記された地涌の菩薩の先駆けとして、末法の妙法弘通を託されて出現したのが、大聖人であるとの確信を述べます。
 さらに「とにかくに法華経に身をまかせ信ぜさせ給へ」と、時光に一層の強盛な信心を促し、大聖人と同じ覚悟、同じ心で戦うよう励まされ、本抄を結ばれています。
 
 
参考1 「法華経の第五の巻」

 「法華経の第五の巻」には、即身成仏現証を説いた提婆達多品第12、三類の強敵による迫害を予言した勧持品第13、滅後の弘通を勧める安楽行品第14、地涌の菩薩の出現を明かした従地涌出品第15の4品が収められています。どれも末法の弘教にとって重要な巻です。
 特に勧持品の二十行の偈は、菩薩たちが釈尊滅後、法華経の弘通を誓っている箇所になります。
 そこには、「諸の無智の人の 悪口罵詈等し」(法華経418ページ)、「悪世の中の比丘は 邪智にして心諂曲に」(同ページ)等と、三類の強敵が示されています。
 さらに、「刀杖を加うる者有らん」(同ページ)、「誹謗して我が悪を説いて」(同419ページ)、「我を罵詈毀辱せん」(同ページ)、「数数擯出せられ」(同420ページ)等々、さまざまな迫害があることも記されています。
 本抄で大聖人は、「二十行の偈は日蓮一人よめり」(御書1557ページ)と、「勧持品二十行の偈」の経文通りに難を受けたのは、御自身一人であると仰せです。法華経の証明者としての誇りと喜びが示されています。
 

 

参考2 2度の刀の難

 本抄で大聖人は、御自身が遭った「刀の難」を二つ挙げます。
 一つは、「東条の松原」つまり「小松原の法難」です。東条景信の軍勢に襲撃され、門下が亡くなり、大聖人も額に傷を負い、左手を折られました。もう一つは「竜の口の法難」です。平左衛門尉が率いた兵士たちに捕らえられ、処刑されそうになりました。
 このような難に遭った人は、他にいないことを示すために、法華経の文に照らしてつづられます。
 まず、不軽品に記される不軽菩薩は、杖の難に遭ったが、刀の難に遭ったとは、書かれていない。天台や妙楽、伝教は、「刀杖も加えず」との安楽行品の文のごとく、“刀杖の難には遭っていない”と述べます。あえて経文を確認することで、難の意味を転換されているのです。
 難を受けているだけでは、単なる苦しみでしかありません。しかし、法華経の行者として捉え直すならば、地涌の菩薩として滅後の弘通を実践している確かな証明となるのです。それは取りも直さず、一生成仏の軌道を歩んでいることの確信と喜びでもあるのです。
 
  

  

参考3 未来記を実現

 少輔房に、「刀杖の難」が説かれる「法華経の第五の巻」で打たれたことをもって、「不思議なる未来記の経文なり」と仰せです。
 法華経は、釈尊滅後の広宣流布の未来記といえます。その未来記を現実のものとするために、戦い抜かれたのが大聖人です。
 末法の御本仏である大聖人は、「諸天善神並びに地涌千界等の菩薩・法華の行者を守護せん此の人は守護の力を得て本門の本尊・妙法蓮華経の五字を以て閻浮提に広宣流布せしめんか」(御書507ページ)等、世界広宣流布について断言されています。この大聖人の「未来記」を実現するために「創価学会」は立ち上がりました。
 学会こそ、仏の大願たる広宣流布に連なる仏意仏勅の団体です。学会員一人一人が大聖人に連なる地涌の菩薩なのです。なかんずく、創価三代の師弟によって、世界広布は現実のものとなりました。
 大聖人が時光に、“私と同じように法華経に身を任せ、強盛な信心を貫くのだ”と励まされたように、私たちも創価の師弟に連なり、いよいよ強盛な信心に励んでいきましょう。
 
  

池田先生の指針から
 
1、青年への本格的な鍛錬

 少輔房が大聖人を打ち据えた「法華経第五の巻」は、法華経8巻の中でも、極めて重要な巻であると強調されています。「第五の巻」には、提婆達多品第12から従地涌出品第15までの4品が収められています。この「第五の巻」は、即身成仏の現証、滅後弘通の大難、妙法五字を弘める地涌の菩薩の出現など、末法弘通の方軌を示す「不思議なる未来記の経文」(御書1557ページ)なのです。
 法華経ゆえの大難は、この「第五の巻」の身読となるのであり、「仏果を得る」道である。ゆえに法華経に身を任せて、法華経を信じ抜き、法華経の題目を弘めていくのだ――これから起こり得る大難を乗り越えるためにこそ、時光に信仰の精髄を教えておきたい、真実の地涌の使命に生き抜き、三世にわたって師弟共戦の誓願の道を貫き通してほしい、との御真情が伝わってきます。
 この師匠の期待に応え、時光は熱原の法難の中で門下を護り、正義の旗を掲げ抜きました。後に、この若き後継の友を大聖人は「上野賢人」と賞讃されます。
 本物の信仰を教えたい、師匠と共に大願に生きる人生の価値を教えたい、との青年への限りない期待と鍛錬とも拝されます。そして、それに応える青年門下の誓願と奮闘――この師弟の中にこそ、広宣流布の脈動があるのです。
    
 

2、純真な求道心こそ勝利の源泉

 追伸には、「かつへて食をねがひ・渇して水をしたうがごとく・恋いて人を見たきがごとく・病にくすりをたのむがごとく、みめかたちよき人・べにしろいものをつくるがごとく・法華経には信心をいたさせ給へ、さなくしては後悔あるべし」とあります。
 法華経如来寿量品第16の自我偈にも、「咸皆く恋慕を懐いて 渇仰の心を生ず 衆生既に信伏し 質直にして意柔軟に 一心に仏を見たてまつらんと欲して 自ら身命を惜しまざれば」(法華経490ページ)とあります。
 御本尊を信じ、妙法を求める心は、どこまでも強盛にして一筋で、また素直であることです。
 自身の宿命転換を願い、広宣流布の実現を祈って、身命を惜しまず戦うところに、必ず幸福勝利の人生を開くことができる。生涯、素直に信心を貫き通した人が勝利の人です。最後に勝つ人です。ここに信心の極意があります。
 苦闘の中でこそ、真の人間が鍛え上げられます。
 苦闘の中でこそ、強靱な鋼の意志が育つのです。
 苦闘の中でこそ、人生の真実の涙を知ることができます。
 そして、苦闘の中にこそ、偉大な人間革命があるのです。(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第14巻)

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