市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

なにが要因 ランパス

2014-11-11 | 社会
だれもかれもが、ランチパスで貧魂亡者になり、我利我利行者となったわけではあるまい。また、その人も日常では、当たり前の隣人として、同僚として、ふるまっていくしかない。いや、単なる普通の市民であろう。だが、人は欲望を制御できなくなるし、制御不可能にするシステムで、そうなるという話である。それが怖い現実である。ようやく晩秋が来て、おまけに曇り日の廃墟感のただよう寂れた商店街に向かった.メインストリート橘通り1丁目のカフェ「COiN de Cafe」が目当てであった。ランチパスポートの1ページにあるカフェである。近くに市庁舎と県庁舎が石棺のように見えている。

 小さな店で、窓際に取り付けられたテーブルに一人で座った。あと3、4人は可能だが、合い席となる。室内にはテーブルが一台とカウンターである。ブラウンと白い壁の落ち着いた店内である。母親と息子さん(30歳)が二人カフェを運営していた。窓際から、県庁通りの豊かな楠の並木が見え、人通りは少なく、秋を感じさせた。午後2時前、客はぼく一人で、しばらくすると、母親の知人の女性がはいってくるなり、二人は大きな声で、夢中で会話が弾みだした。ぼくは自分の書いた都市論の本を読んでいた。と、母親が、ふとぼくに気がついたようで、「ごめんなさいね、大声でしゃべってて」と声をかけられたので、「聞いていて面白い話しで」というと、二人とも気さくな感じをぼくに示しだしたので、ランパスというのがありましたが、こちらはどうでしたかと、話をきりだしたのであった。
 
 来店者の殺到による経営者側の消耗をつたえ、様子を聞くと、二人そろって、ここもそうだったといい、什器が足らず、皿から、カップから買い足したり、息をつくまもない注文をさばくのに疲労困ばいの毎日だったということだ。ただ店を経営するうえで、大きな宣伝効果となり、利益もあがったというのだ。夜の来店者も増え、終わって今も、前よりもお客はふえつつあるというのだ。また、ここは県庁や市役所の人が多く昼休みがあるので、長いする客はいなかった。そうした雰囲気とテーブルがないので、回転は十分であった。他の店の例を紹介してもらえたが、スタッフも数名おり、テーブルも数十名は収容かのうな、レストランでも満席と予約の殺到が生じ、温厚な店主が、みたこもない不機嫌な態度を示すようになったという。かれが言うには、店、店によってランパスが合う店とあわぬ店が出てくるのではないかと、自分の店は合い、来年一月の次回も参加するというのだった。

 話を聞きながらなるほどと、納得できるのであった。話を聞き終わって、改めて店内を見回し、店主の感情を推し量り、母親の心情を感じながら、200円の損得を軸に、人はなぜ貧魂になるのか、あるいはならずに済むのかが、心に残った。すくなくとも一つわかったことは、店が限界まで小店舗であったことがある。ただそんな物理的要因だけで、人は常軌でない動きをするとは、驚きである。いやもっと、根源的な状況があったのかもしれない。ランパス期間中、どの店舗がどうだったのか、その情報を知る必要がある。人は、いっしゅんで常軌を逸するのだ、意識の噴火を知る必要がある。

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